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2003年12月1日 月曜日
◆リードはロバートソンと違う道を進むか
キリスト教徒連合に問われているのは、どこまでアメリカの変化を受け入れることができるか、である。これについての立場が、アファーマティブ・アクションに対する立場をも、移民問題に対する立場をも左右する。幸いなことにリードの言葉には、多文化社会のアメリカを認める姿勢が貫かれている。
一九九六年二月十二日、ロサンゼルスのタウン・ホールのスピーチで彼はこう語っている。「我々はそれぞれ異なる信仰をもっている。異なる民族的背景をもっている。肌の色も違うし、主義も異なる。この多様性は弱点ではない。これは我々の最も偉大な力だ。キリスト教徒、ユダヤ教徒、その他の宗教を分割するような政治は、アメリカの公正の精神に反している」。
リードはレイシズム、反ユダヤ主義をはっきりと批判しはじめている。一九九五年九月八日、ワシントンのヒルトン・ホテルでキリスト教徒連合の年次総会が開かれた。四千人が出席した総会では、ドール、グラム、ブキャナンなど大統領侯補者たちが次々に演説した。この総会での演説でもリードはこう明言している。「我々はユダヤ人とイスラエルの 最良の友人である」と。この総会には、約百人のユダヤ人が参加していた。ところが、依然としてキリスト教徒連合に厳しい論者の間では、警戒感は残っている。リードはともかく、そのボスのロバートソンはどうなのだ、という声もまた多い。
ロバートソンとリードでは、キリスト教徒連合の目的説明においてすら、若干のニュア.ンスの違いが見て取れる。ロバートソンは、多くの場合「キリスト教徒連合はプロニフイフ派市民の組織だ」、「子供のあるアメリカの中流家庭の声を一つにする」のがキリスト教徒連合の目的だという言い方をする。これに対してラルフ・リードは、「キリスト教徒連合は、自分たちの生活に政府が介入してくることを望まず、家族思いの公共政策を望んでいる家族のためになるように運動する草の根の市民組織」だと説明する。
リードは、最近では「敬虔な者たちが社会的にしかるべき役割を果たせるようにすることを目指す」とか、「キリスト教徒連合は常識を求めるアメリカ人のための運動である」という表現を使い、彼らの運動が特別なものではなく、ごく当たり前の運動であることを強調するようになっている。ロバートソンがより本音に近い部分を語り、リードが一般受けするようなことを語るような分担になっているのか。それとも、二人には路線対立があるのか。それは断定できない。少なくとも、年齢といい、イメージといい、対象的な二人がそれぞれの持ち味で訴えかけることによって、より広範な層にアピールしているということができる。キリスト教徒連合ウォッチャーのロバート・ボストンは、リードとロバートソンを「良い警官と悪い警官のコンビ」とみなしている。
◆ロバートソンと反ユダヤ主義
曲がりなりにもロバートソンは、過去にキリスト教原理主義者が引きずっていた反ユダヤ主義と決別してきた。その背景としてイスラエルにふれないわけにはいかない。一九世紀に入ると「ユダヤ人が祖先の地バレスティナにユダヤ人の国を建設しようとする運動」、シオニズムが、政治的運動として興り、ついに一九四八年イスラエルの成立をみた。「神によって約束された土地にユダヤ人が帰還した」と解するものもいた。だが、キリスト教原理主義者のイスラエルに対する態度は、はっきりしないままだった。モラル.マジョリティーのジェリー・ファルウェルもまた、一九六七年まで説教の中でイスラエルのことにふれたことはなかった。
ところが、一九六七年の第三次中東戦争を転機に変化が起こった。六七年六月、イスラェルは奇襲攻撃に出て、一週問でシナイ半島全域のアラブ連合一現エジプト一領、エルサレムを含むヨルダン領、シリア国境地帯を占領したのだった。この瞬間、イスラエル勝利は神の計画だと解釈されたのだった。ここから、ファルウェルらキリスト教原理主義者のイスラエル支持がはじまっている。
これにあわせて、ロバートソンらキリスト教原理主義者の多くが親イスラエル派となった。注目すべきは、ジェシー・ヘルムズらはこの時点で依然反イスラエルだったということである。ユダヤ人と共和党保守派の相性は悪いままだったのである。ユダヤ人の多数は民主党を支持していた。一九八○年当時の調査では無党派のユダヤ人の七五%までが民主党に好感をもっているという結果もでていた。
◆ユダヤ人社会とキリスト教原理主義の同盟
一九八○年代に異変が起こった。アメリカ国内のユダヤ人の保守化、アメリカ外交上のイスラエル重視の必要性などが重なり、キリスト教原理主義者と保守派ユダヤ人との接近が進んだのである。ファルウェルが明確にイスラエル支持の立場を打ち出すのに合わせて、ユダヤ人側もキリスト教原理主義との同盟路線を主張した。ユダヤ人社会で影響力を持つアーヴィン・クリストルは「コメンタリー」一九八四年七月号で、在米ユダヤ人がキリスト教原理主義を支持すべきだと明確に主張したのである。
保守派ユダヤ人たちは、アメリカが外交・防衛政策上リベラル化しすぎることが、イスラエルの防衛という目的にとって不都合だと考え、アメリカの防衛力増強に賛成することが利益に適うと考えた。ここにおいてキリスト教原理主義者たちと「強いアメリカ」の立場を共有することができた。ところが、クリストルはイスラエル支持、「強いアメリカ」支持においてのみの戦術的な同盟を組めと言ったのではない。彼は驚くべきことに、中絶問題などキリスト教原理主義者たちの主張する社会問題でも歩調を合わせていくべきだと問題提起したのである。
ユダヤ人の多数は、社会問題でもリベラルで、キリスト教原理主義の主張には賛同していなかった。この歴史を転換すべきだとクリストルは唱えたのである。、同時にユダヤ人たちは、民主党に対する見方を変えるようになっていた親第三世界という方針を機軸として、リベラル派のプロテスタントが親アラブ的傾向を強めたのである。NCCは、一九八○年にPLOをパレスチナ人の正当な代表として承認するよう呼びかける決議を採択した程である。こうして、ユダヤ人たちとリベラル派キリスト教徒.民主党リベラルとの蜜月時代は終わった。
むろん、キリスト教原理主義者・共和党右派のイスラエル支持への転換は、選挙におけるユダヤ人票が無視できないものであることを見せつけられたことも作用している一九八四年の選挙におけるチヤールズ・パーシム落選は、ユダヤ人票の影響力を十分に見せつけた。パーシーは、一九六七年にイリノイ州から選出された有力な共和党上院議員だった。一九八○年からは上院外交委員長もつとめ、その地位はしばらくは安泰と見られていたのである。ところが、彼のいくつかの行動がユダヤ人たちを激怒させた。
一九八一年、レーガン政権はサウジアラビアヘの空中警戒管制機の売却法案を提出した。これは、アメリカがアラブ諸国を軍事的に支援している象徴とみなされたのである。外交委員長として法案に賛成したバーシーは、ユダヤ人たちから敵視されるようになったのである。さらに、翌一九八二年には、パーシーは「イスラエルがレバノン侵攻時にアメリカ製武器を使用した」と非難した。アメリカのイスラエルヘの武器売却の条件は、その武器が防衛の目的にのみ用いられるというものであり、攻撃兵器として用いてはならないとされていた。パーシーはイスラエルがこれに違反したと非難したのだった。
こうして、ユダヤ人たちは反パーシー・キャンペーンに踏み切ったのである。パーシーを八四年の議会選挙で落選させることが具体的目標となった。在米ユダヤ人たちのロビー組織、「アメリカ・イスラエル広報委員会」は、イリノイ州出身の下院議員ポール・サイモンをパーシーの対立侯補としてかつぎだした。そして、サイモンに十分な資金的支援をした。彼らは「パーシーはPLOのアラファト議長を穏健派と呼んだ」というタイトルをつけた反パーシーの広告を新聞に出した。こうしてパーシーは落選した。一九七二年に七〇%獲得したユダヤ人票は、ちょうど半分の三五%に急落したのだった。ボール・マクロスキー下院議員やボール・フィンドリー下院議員も、同様にユダヤ人組織によって議席を奪われた。ここに至ってヘルムズまでもが、ついに立場を転換し、イスラエル寄りになった。(P213−P220)
◆突き放される日本
クリントンは、国際市場に関心を持つアメリカ企業の利益に十分配慮し、合理的、現実的な外交路線をとろうと試みてはいる。彼は、前大統領のブッシュ同様、いまのところエスタプリッシュメントの側にいる。日本に対して圧力をかけつつも、決定的な対立は避けようとしている。日本は、このクリントンにしがみついて従来の路線を続けようとしているわけである。しかし、勢いを増すキリスト教原理主義者たちに支えられ、ヘルムズのような外交路線が前面に出てくれば、日本はひとたまりもない。いや、キリスト教原理主義者・ニューライトによる権力奪取への序曲はすでにはじまっているのかもしれない。
第二次クリントン政権からはリベラル派がほぼ一掃された。共和党顔負けに、小さな政府の推進を公然と語るクリントンは、国防長官には共和党のウイリアム・コーエンを、国務長官にはヘルムズお気に入りのオルブライト国連大使を就けた。日本にとっての修羅場は、キリスト教原理主義者寄りの保守政治家たちが冷戦の夢から醍め切ったときである。「共産主義」、「社会主義」という看板だけを頼りに、中国や北朝 鮮あるいはキューバなどを攻撃することの虚しさに彼らが気づいたときこそ、日本に対して容赦ない攻撃をしかけてくるに違いない。
ヘルムズとともに過激な反日法案を出してきたカリフォルニア選出のダンカン・ハンターといったキリスト教原理主義に近い立場の議員たちも健在である。彼らは、アメリカの庇護の下、経済力の拡大に邁進する日本の路線に強い不満を抱いてきた。「共産主義国の脅威に対して、自らも大きな役割を果たせ」と唱えてきた。日本を「防衛責任をアメリカに押しつけ、経済的利益をむさぼる不届き者」とみるハンターは、レーガン政権時代に驚くべき法案を出していた。
「アメリカが防衛費にGNPの六%を費やしているのに、日本はわずか一%で、五%の差があるので、その分を防衛負担税としてとりたてろ」という内容の法案である。こうした責任分担論は、防衛力増強を望む日本の保守派にとっては、願ってもない圧力だったかもしれない。反共派・「強いアメリカ」派と国防派議員は多くの場合重複しており、日本の国防派議員との相性もよかった。日米同盟の意義を認識しているヘルムズらは、いまも日米安保の強化を唱えてはいる。
クリントンのすすめる対中接近を警戒する日本の保守派は、ヘルムズをそうした接近策に 歯止めをかける頼もしい味方と考えている。しかし、それは幻想なのではないか。ヘルムズやハンターらの狙いは、必ずしも日本の利益に適うものではなかったのである。一九八○年代後半から、彼らは日本企業に対して厳しい立場を鮮明にしてきた。不道徳な「商人国家」として日本をやり玉にあげるようになったのである。
一九八七年には、東芝機械の対共産圏輸出統制委員会(ココム)規制違反に激怒し、東芝制裁法案を提出、翌八八年には日本企業がリビアなど中東諸国に化学兵器製造用の機材を輸出していると、強く批判してきた。彼らは、九〇年代に入ると、「アメリカの日本企業が税金逃れをしている」として課税強化論を主張するようになった。このとき、ゲッパートなど民主党の対日強硬派と共和党の保守派の共闘といった状況が見られたことはいうまでもない。「アメリカの経済を守れ」という点では、右も左もない。
冷戦の夢から醒め切ったとき、つまり「共産主義」諸国の変質を確認したとき、彼らは「もはや日本は同盟国ではない。日米安保を破棄すべきである」と主張するかもしれない。そのときこそ、ヘルムズやハンターの経済ナショナリズムは、過激な保護主義に向かい、 「日本製品の対米輸出に一律一〇%の関税をかけろ」と叫ぶブキャナンや、「日本が米を買わないから、我々は日本の自動車を買わない」と言い放っデビット・デュークらのアメリカ至上主義へのみ込まれていくに違いない。
合理的な判断の通用するエスタブリッシュメントがアメリカで権力を握りつづけると考えるのは、現実的ではない。キリスト教原理主義者たちが「日本は不道徳だ」と信じるようになり、反日十字軍が叫ばれるような事態も想定して、対米政策を練り直すときではなかろうか。つねに最悪の事態を想定した上で、冷静な戦略分析と正確な評価をくだすことを怠れば、一九四一年十二月八日のような「清水の舞台から飛び降りる」愚を再現することになるのではないか。(P264−P267)
「キリスト教原理主義の国アメリカ」 坪内隆彦著:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4750597090/249-2956247-6535566
(私のコメント)
アメリカにおけるネオコンとキリスト教右派の連帯において、不思議でならないのは白人至上主義的で人種差別的なキリスト教右派と、親イスラエルのネオコンとがどうして連帯を組めたのかの疑問があった。それには双方の思惑が重なって連帯が成立したようだ。キリスト教右派にとってはユダヤ人の選挙に対する力を借りたかった。
ユダヤ人にとっては、本来ユダヤ人はリベラルな民主党を支持していた。人種差別問題で民主党を支持することが利益だったからだ。ところがリベラルな民主党はパレスチナ問題ではパレスチナよりになり、ユダヤ人の保守化とともに民主党から共和党へ乗り換えたようだ。ユダヤ人のこのような自分勝手な論理は許されるのだろうか。
自分達ユダヤ人はアメリカ国内では人種差別に反対してきたにもかかわらず、パレスチナやイスラエルにおける人種差別は肯定するというダブルスタンダードを持っている。これに対してキリスト教右派は人種差別的な方針を反省しリベラルな方針を打ち出した。つまりキリスト教右派がリベラル化して、ユダヤ人が人種差別的になったことにより連帯が成立するようになった。
キリスト教右派とユダヤ人の連帯はブッシュ大統領の選出に大きく貢献し、ブッシュ政権のネオコンが主導権を握り、東部エスタブリッシュメントの代表はパウエル国務長官のみとなった。このような傾向はユダヤとキリスト教右派の連帯が続く限り変わらないだろう。しかしこれが劇的に変わる爆弾を抱えていることも間違いない。
もともとキリスト教右派はKKKなどとも親しく、親ナチ的なグループから大きく発展してきたのだ。ラルフ・リードのリベラル融和路線も勢力拡大のための手段であり、彼らが天下を取ったとき、彼らの本性が現れるだろう。イラクでは毎日のようにアメリカ兵が戦死している。アメリカ国民のいらいらは高まる一方だ。やがてはこの不満がイスラエルおよびユダヤ人に向かって爆発してもおかしくはない。
ユダヤ人たちもアメリカのキリスト教徒を上手く騙してイスラエルのために、アメリカ軍をイラクまでおびき出すことに成功した。やがてはシリアやイランをもアメリカ軍に民主化してもらう計画らしい。しかしイラクで計画はつまずき始めている。この責任をめぐってユダヤとキリスト教右派が責任を擦り合うことは火を見るより明らかだ。そのようになった時アメリカのユダヤ人たちはイスラエルに逃げ出すしか逃げ場がないだろう。
もう一つ懸念されることは、キリスト教右派が反共のむなしさに気が付いた時、反共の防波堤だった同盟国の日本に対しても、日米安保条約の破棄まで言い出す危険性があるということだ。核兵器を開発している北朝鮮に対してイラクに比べ融和的なのも、反共的だったキリスト教右派の変質を物語るものだ。中国が共産主義の色を薄めるとともに日本への風当たりは強くなるだろう。
私はこの事に関して、アメリカから日米安保の破棄を言ってくる可能性を指摘してきた。合理的な考えが通用する東部エスタブリッシュメントが政権の主導権を失い、狂信的な宗教勢力がアメリカを支配し始めている。彼らの過去を洗い出して見ると、まさにオーム真理教とそっくりなのだ。レーガン大統領もハルマゲドンを信じていた。
2000発以上ももの核弾頭とミサイルのボタンをキリスト教右派の過激派大統領が握った時、世界はどうなるのだろう。ラルフ・リードのソフトな融和路線は彼らの仮面に過ぎず、本性を現したとき世界をハルマゲドンから救う手段はないのだ。親米ポチ保守の言論人はこの事実に気が付いているのだろうか。ラルフ・リードの正体を日本人は誰も知らない。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu60.htm