現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ32 > 146.html ★阿修羅♪ |
|
「欧州どまんなか」 November 25, 2003 ユダヤ博物館
美濃口 坦
ミノクチ・タン
1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)
|バックナンバー| 田村正人の「NY流行りもの」 |
その日、夕方仕事が片付くと同行の日本人がベルリンのガイドブックを見てユダヤ博物館へ行こうと提案した。この博物館は夜の8時まで開いているからである。
ドイツでのユダヤ人の歴史をテーマとするこの博物館は2年前の秋に開館された。当時、ミュンヘンに住む私たちの友人が額縁(ガクブチ)をつくり七百点に及ぶ文書や写真の展示物をその中に収める仕事を請け負い、妻も手伝う。彼女は毎日夜遅くまで働き、自分だけでも250の額をつくり展示物を中に入れたという。こんなことからこの博物館に親しみ覚える私も以前から訪れたいと思っていた。
入り口の前には警官こそ並んでいなかったが、中に入った途端私たちは厳重な身体検査を受ける。年代順に見るために私たちはまず展示会場の最上階にのぼり、その後丹念に見る暇がないので展示物の間をゆっくりと通り抜ける。
最初、中世時代に交通の要衝・ライン川沿岸にユダヤ人が居住していた地図を眺める。そのうちに1095年第一回十字軍遠視。「聖地奪還」の出掛ける前に、てはじめにドイツで異教徒・ユダヤ人を略奪・殺戮したという記述にぶつかる、、、、その途端、私は野党の政治家のマーティン・ホーマン連邦議会議員が田舎町の自分の選挙区で反ユダヤ主義的演説をしたとされて、かなり前から非難されているのを思い出した、、、、、、、
この保守的政治家は、ドイツが自国民より外国人を優遇する国家になってしまったと嘆く。例えばこの国は戦後ユダヤ人をはじめナチ犯罪犠牲者に年金方式で補償している。また三年前に、戦時下労働を強制されたユダヤ人などの外国人を補償したが、同じ運命に遭ったドイツ人はもらえなかった。彼は、ナチの犯罪を否定したり忘れようとするるわけでないことを強調しながら、ドイツ国民が自分を「加害国民」、ユダヤ人を「被害民族」という図式でしか物事を見ることができなくなったためにこのような結果になったと主張する。
そこで、この図式を打ち壊したいホーマン議員は、「ソ連・全体主義犯罪体制」をもたらしたロシア革命をもちだし、ユダヤ教を捨てた無信仰者のユダヤ人が多数革命に参加したことを指摘する。これで彼の証明は終わったも同然で、その後、彼は神を失ったナチも共産主義者も犯罪者で、(信仰心を失わない)ドイツ人もユダヤ教徒も加害者でないと補足する。
私にはただ支離滅裂に思われるだけのこの演説がドイツ社会ではスキャンダルになる。この陣笠議員は一躍有名になり近々党から除名される。彼が反ユダヤ主義者とされるのは、関係妄想のヒットラーが「国際金融資本・ユダヤ・ボルシェビズム」の三者を十把一絡げにして敵対視したからだ。ちなみに、グローバルになった国際金融市場の在り方を批判する人も「反ユダヤ主義者」として非難されることがある。
「アウシュビッツ」を心に刻み込みたいと叫ぶのはけっこうである。でも昔の魔女狩りのように到る所にヒットラーの臭いを嗅ぎ「反ユダヤ主義」の烙印をはるこの国の傾向に、私は不安を覚える。というのは、世論調査が示すように、「ユダヤ人は影響をもち過ぎる」とか「ナチの過去を利用してお金を引きだす」とか思う人の数が結局増えるからだ。表に現われた反ユダヤ主義を一方的にたたくと裏で強まるだけである。
奇妙なことに、ユダヤ人をたてて、お金を払い続けているというのは、ホーマー議員のような人々にもバッシングする人たちにも共通する事実認識である。両者の唯一の相違はこの事実を制約と思うか、それとも誇りに思うかだけである。また財政が逼迫してくると誇りに思えない人が増える。
この事実認識だが、確かに戦後間もない頃にできた連邦補償法でドイツが払った金額は積算すると巨額になる。これは当時の政府が一度に払うのをケチって年金方式にしたからである。次に、ナチに抵抗し迫害された自国民補償が立法目的で国際社会の圧力で国籍条項が除かれた。ナチに抵抗したドイツ人には壮年者が多かった以上年齢と無関係に迫害され生き延びて補償を受けるユダヤ人の割り合いが高くなるのは当然である。
このような事実を思い出すほうが、漠然と「払い続けている」と思い込んで負担に感じたり誇りに思ったりするより、精神衛生上よいのではないのだろうか。人間はしょせん自分に都合のよい事実しか思い出さないのかもしれない、、、、、
やりきれない気持ちで歩いていると、ユダヤ人国家建設運動創始者テオドール・ヘルツルの肖像写真が私の眼にとまる。これは絶対妻のつくった額だ。ある晩帰宅した彼女から、私はそのことを聞き、家計の改善にはげむ彼女の肩を按摩しながらシオニズムについて話したからである。私は同行した女性に妻のつくった額を見せたくなる。元気で若い彼女はずっと先を歩いていたので、私は自分の下らない自慢をあきらめる、、、
今やイスラエル政府は、自国を批判する人を反ユダヤ主義者扱いして牽制する。その生涯パレスチナに48時間だけ滞在しただけのヘルツルが生き返って、現在の破局的中東情勢を見たらどのように思うだろうか。
http://www.asahi.com/column/aic/Tue/d_tan/20031125.html