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ラマダンの暗がりでは
酒井 啓子(アジア経済研究所員)
ラマダンといえば、イスラム教徒が年1回、1カ月間、日中断食する月である。富める者も貧しき者もおなかがすけば皆同じ、という共生感を呼び覚ますために、日のある間、人々は水も食べ物も口にしない。たいへんな苦行のように聞こえるが、イスラム教徒たちは案外断食のひと月を楽しみにしているのだ。
日中飲み食いできない分、日没後の食事は大盛会。数時間前から台所では所狭しと鍋釜がぐつぐつ煮え立ち、テーブルには皿とナイフ、フォークがずらりと並べられる。日没の祈りの時間を知らせる声がモスクから聞こえてくるのをいざ合図に、皆テーブルについてあふれんばかりの料理に一斉に手を伸ばす。
いつもは仕事で帰宅が遅くなる人も、この食事には遅れずに駆けつける。いきおい街中に家路を急ぐ人たちがあふれ、道路は大渋滞、バスには乗客が争って飛び乗り、空腹のイライラもあってか、けんかざたもよく起こる。家族だけでなく親類知人の訪問もひっきりなしで、日本で言えば盆と大みそかと正月がいっぺんに来たみたいなものだ。
ラマダン中のもう一つの楽しみはテレビドラマだ。一家そろってラマダン限定の連続大河ドラマをみる。それから街に繰り出して、お買い物し、帰ってきてまた食事。夜間しか食事ができないので、明け方、夜明けの祈りの合図まで、人々は食べ続ける。仮眠くらいは取るが、結局は、毎晩が宴会生活なのだ。
という具合なので、ラマダンには殺伐とした光景はそぐわない。そもそも「聖なる月」とされているラマダンでは、「ラマダン休戦」が呼びかけられることも多い。
それなのに、イラクでは流血が止まらない。ラマダンに入るなり赤十字国際委員会が爆破され、米軍ヘリが撃墜される。イラク統治の中心施設は次々にミサイル攻撃されるし、平和だった南部でもイタリア兵が爆殺されている。
今年のラマダンほどに血塗られたラマダンが、かつてあっただろうか。いや、振り返れば第4次中東戦争もラマダンの時に発生したのだった。この時も、ラマダン中はイスラム教徒は戦争を仕掛けてこないに違いない、と思われていたところに、当時のサダト・エジプト大統領はイスラエルに進軍した。
考えてみれば、イスラエルという異教徒のパレスチナ占領に対してラマダン中に戦争を仕掛けることがあるのだから、異教徒の米英占領軍に戦争を開始してもおかしくはない。なによりも戦闘終結はブッシュが一方的に宣言しただけで、あの時実はイラク軍は戦略的に撤退しただけだったんじゃないのか。今態勢を整えて反撃に出てるのであって、戦争は終わってないんじゃないか。
ラマダンといえば、昔見たエジプト映画を思い出す。革命家が官憲の目を盗んで家を出るのに、ラマダン中の日没の食事時を利用する。誰もが食べることに一生懸命になっているので、革命家が逃げ歩いているのに気づかない。
食事してる場合じゃない、「革命家」を捜せ、とアメリカは言う。
だが、その言葉に従ってはしを置くほど、イラク人はアメリカを信用していない。
http://www.be.asahi.com/20031122/W12/0022.html