現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ31 > 912.html ★阿修羅♪ |
|
欧米ポスト近代思潮の産物としての米国ネオコン派
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
更新 平成15年11月18日23時56分
平成十五年(二〇〇三年)十一月十八日(火)
(第七百六十六回)
○小泉政権は「ネオコン内閣」
(毎日新聞、平成十五年十一月十八日夕刊 二頁、帰ってきた田中真紀子)
と言った風な表現がひとり歩きして、「ネオコン」についての日本人の
常識に成ってしまって居る。
○こうした軽薄な水準は、幕末以来の日本人の西洋理解の通り相場である
とは言え、このまま、手をこまねいて見過してしまうことは出来ない。
○ブッシュ(息子)の大統領就任と共に、米国の国家中枢を掌握した、
いはゆる「ネオコン」派は、何よりもまず、
ポストモダン(ポスト近代)的現象であることを知らなければならない。
○ポスト近代、または脱近代、とは何か。
○それは、第二次世界大戦後の欧米に廣く行きわたった思想、又は
思潮を指して居る。
○それは「保守」とか、「革新」とか、「左翼」とか、「右翼」とか、
「資本主義」「共産主義」とか、そうした在来の西洋思想の枠組み
の中のものではない。
○ポスト近代哲学思想の本家は、
どうしたわけか、第二次世界大戦後のフランスである。
○英国でも、米国でも、ドイツでも、ソ連でも、イタリーでもない。
○ポスト近代思想家の殆んどすべてが、フランスの哲学者、作家である。
○やがて、その思潮は米国をも席巻し、米国でも
ポストモダンにあらずんば哲学とあらず。
といった具合に成ったと言う。
○サルトル、バタイユ、フーコー、デリタ、クノー、その他
十指にあまる、ポストモダンの哲学者が、第二次大戦後、
フランスから輩出した。
○しかしながら、そうしたフランスのポストモダン思想の源流は、
実は、アレクサンドル・コジェーブと言う、共産ロシアから
ドイツ経由でフランスに亡命移住した哲学者の、一九三〇年代に
パリで行はれた、ヘーゲル精神現象学についての講義であった。
と言う事実すら、日本では、ごく僅かの専門家以外、誰も知らず
無関心である。
○このアレクサンドル・コジェーブが、米国ネオコンの本家
レオ・シュトラウスの生涯の盟友であった、
と言う事実に至っては、今に至るまで
日本では殆んど誰も知らない。
○「ポスト近代」派とは、いかなる意味で、「ポスト(脱)」なのか。
○敗戦後の日本では、フランスに勃興したこの「ポスト近代」思潮は、
一部のフランス問題専門学者の私有物ないし、おもちゃの如きもの
であって、それ以外の日本人には何の関係もない。
○日本では敗戦後始めて、何はばかるものもなしに
西洋近代が満開した。
○西洋近代万才! 万万才!
と言うのが、敗戦後五十余年の日本の時代精神であって、
西洋近代を一言半句でも批判するものは、問答無用で抹殺される。
○米国ネオコン派は、第二次大戦後、欧米に於ける一大思想潮流としての
ポスト近代を前提とし、その上に形成されたのである。
○従って、二重三重の意味で、今の日本人は、
米国ネオコン派の正体が、分らなくさせられて居る。
○筆者は、米国ネオコンについての著作を書き終えたが、これは近い将来、
有志の学習資料用コピー本として、配布すべく準備中である。
(了)