現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ31 > 905.html ★阿修羅♪ |
|
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031118-00001074-mai-soci
フィリピンで暮らしていた男性が7年前、「日本の兵隊だった」と打ち明けて死亡していたことが厚生労働省社会・援護局に入った情報で分かった。男性は生前「日本人に会う」と言って、たびたび山中に出掛けていたという。同局は別の元日本兵が生存している可能性があるとみて、20日から開始する遺骨調査に合わせて職員を派遣し、現地調査を実施する。
同局の協力団体・慰霊事業協力団連合会、寺嶋芳彦会長(82)=埼玉県川口市=によると、旧日本兵とみられる男性は、マニラ市から車で約3時間半の山中のボソボソ村に住み、ペドロ・ブアドと名乗っていた。ペドロさんは82年、ルシアさん(67)と結婚。96年に死亡し、近くの墓地に埋葬された。
生前、山を指さして「ヤマカラ サン」と話し、「ニシカワ」や「タナカ」と名乗る人が訪ねて来たり、「日本人に会う」と言って山中のアラバン村に出掛けて行くこともあったという。死を前にしてルシアさんに、旧日本兵だったことを話したが、正確な年齢は不明で、日本の出身地や両親、兄弟の話はしなかったという。
寺嶋さんは、元海軍軍人で米軍の攻撃から逃れ、フィリピン山中で終戦を迎えた。今年9月「元日本兵5、6人がマニラ東方の山岳地帯にいる」という情報を頼りに、愛知県内の戦友2人と現地に赴いた。だが、見つからず、現地の人に「情報があったら伝えてほしい」と依頼して引き揚げた。
その後、9月下旬と10月中旬に日本の旅行会社のマニラ支店に勤務する会社員がペドロさんのことを調査し、ルシアさんが保管していたペドロさんの写真3枚を寺嶋さんに郵送し、情報を伝えてきた。
寺嶋さんは「ペドロさんの日本名は『山川』かもしれない。『西川』『田中』は元日本兵の可能性が高い。元日本兵が生存している可能性は大きい」と語る。当時の米軍事新聞によると、終戦直後、フィリピンの山中には約4000人の将兵が米軍への投降を拒否して残ったとされている。【森国郎】(毎日新聞)
[11月18日15時5分更新]