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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031115-00000001-mai-l39
香北町太郎丸、「刈谷我野遺跡」を発掘調査中の同町教委は14日、縄文時代早期(約8000年前)の定住的な生活跡が確認されたと発表した。縄文土器約6000点が出土しており、同時期の遺跡としては中四国地方で最大規模。
同町教委によると、同時代草創期(約1万2000年前)、人々は狩猟をしながら次々に移動する遊動生活をしていたと考えられているが、当時の生活の様子はよく分かっていなかった。同町教委では「今回見つかった多数の遺構や遺物により、8000年前の人々の暮らしが定住的な形に変化したことを鮮やかに物語る貴重な歴史資料となった」と話している。
同遺跡は88年に発見され、今回の調査は水田区画整理などに伴い、約1200平方メートルを対象に10月6日から今月7日まで調査を実施された。全域から縄文時代の土杭や集石などの遺構が見つかり、集石内では、台石や石皿など大きな石の周囲に土器などが集中していた。地面が赤く変色し、炭化物などがあったことから、煮炊きなどの調理を行う施設だったと考えられる。遺構周辺からは、食糧の調理や保存などに使われたと見られる縄文土器約6000点が出土。中には土器全体の形がわかる破片も2個分発見されている。うち1個分は、縦約20センチ、横約10センチの破片二つで構成されており、元々は口径約40〜50センチ、高さ約50〜60センチの無文土器(文様のない土器)だったと推定される。また、石鏃(せきぞく)の多くは、素材に香川県産のサヌカイトを使っており、当時から高知と瀬戸内海沿岸地域との経済的交流があったことがうかがえる。
同町教委では、16日午後1時半から現地説明会を行う。現地に駐車場はないが、正午以降に高知工科大(土佐山田町)からシャトルバスが数回出る。問い合わせは同町教委(0887・59・2311)。 【柴崎達矢】(毎日新聞)
[11月15日20時50分更新]