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小矢部市教育委員会は十五日までに、同市内の桜町遺跡から出土した縄文土器の底部に残った繊維の圧痕(あっこん)を基に、編布(あんぎん)をはじめとする当時の縫製技術を再現した。縄文人が高度な縫製技術を持っていたことや当時の生活様式が浮かび上がり、縄文人のおおらかさも垣間見える。同市教委は仕上げた布三十七点を特別展などで一般公開する。
同市教委によると、縄文土器の底部には一般的に繊維のような筋状の文様があり、これまでの縄文研究で植物繊維の糸を編んで作った編布などの跡とみられている。桜町遺跡でも繊維の圧痕のある土器が多数出土している。縄文人が土器を作る際に、使っていた布の上に土器を置くことで、その技法が圧痕として残ったとみられている。
当時の縫製に関しては、いくつかの技法が確認されている。しかし、縄文時代の繊維や衣服はほとんど発見されておらず、土偶に描かれた文様や土器底部の圧痕を手掛かりにしているのが現状だ。
小矢部市教委では圧痕の拓本を基に、既製の木綿や菅(すげ)などで形を忠実に再現した。この結果、桜町遺跡から出土した土器では▽植物繊維の糸を縦横にねじらせ、すだれ状にした編布▽縦糸と横糸を交互させる平織(ひらお)り▽かごなどに用いられる網代(あじろ)―の三種類に大別されることが分かった。
また、中には縫製の工程を一部省いたり、左右逆に編んだような跡も確認され、実用を重視したおおらかな縄文人の性格がしのばれる例もあった。
同市教委文化課では「高度な縫製技術が縄文時代から存在していたことが、あらためて浮き彫りになった」(久々忠義課長補佐)と注目している。
【桜町遺跡】約八千年前の縄文早期から約二千三百年前の晩期までの集落跡。ほぞ穴加工がされた木柱が出土したことで、高床式の建物が定説より二千年以上前に存在したことなどが証明された。