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「愛国」と「好国」のはざま - 砂山 清 (asahi.com)
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投稿者 ロエンヒ 日時 2003 年 11 月 12 日 23:19:48:oeA7laveFLvrs

僕は、自分が、たまたま生まれ育ってしまった、日本という国がきらいではない。好きだといってもいい。それは、外国を旅していて、ふと感じる感情でもある。だが、日本というものに抱くイメージ、言い換えれば、日本のどこが好きかは、人それぞれだろう。僕は、例えば、「日の丸」や「君が代」または戦前の「教育勅語」に象徴されるような日本、あるいは、一部の人々が、声高に唱える“駆り立てられるような愛国心”は、むしろきらいである。

合気道の稽古をしたり、NHKの番組「人間講座」でやっている甲野善紀氏の「古の武術に学ぶ」などを見たりすると、日本の文化って素晴らしいと、思ってしまう。

一部の人々が唱える“駆り立てられるような愛国心”が、何故きらいかというと、それが明治以来の外国コンプレックスの裏返しから、幕府に対抗して天皇を担ぎ上げた薩長土肥などの下級武士らによる明治維新の官尊民卑〜戦前の内務省による自由主義の弾圧〜国家発展のために個人の自由を犠牲に成り立ってきた戦後の経済優先・政官財癒着の組織文化〜を通じて変わらず流れてきたこの100年余りの「日本国家の精神」を、「日本古来の伝統」としてこじつけているように見えるからである。それに男尊女卑の偏った儒教の解釈が加わる。

でも、日本文化は、それだけではない。例えば、南太平洋の島々を旅すると、よく日本の原風景のような懐かしさを感じる。ここには官僚主義の頑固な発想はなく、男女は皆おおらかで、のんびりと体を緩めて、暮らしている。神話や伝説のロマンが儀式などに生きている。もちろん、異質な侵入者に対しては、高度な武術も発達している。

日本も、そうだったのではないかと、つい思いたくなってしまう。

僕は、日本の伝統武術では、忍者道に興味がある。忍者の思想の背景には、古代中国の「孫子の兵法」が、あると言われている。これは、「戦わずして勝つ」を理想にしているという。戦わずして勝つのは簡単で、「負けると思った戦はしないことだ」。そのためには、戦う前に、徹底したシュミレーションを行い、戦況のアセスメントを得る。そして、勝つと分った戦だけをする。それ以外の戦争は、避ける最大限の努力をする。それに必要なのは、正確な情報だ。その情報を集めるのが忍者の役目だというのである。だから、忍者は、自分を守る以外、敵を殺めない。手裏剣をはじめ様々な術は、皆、忍者が逃げる時に使う術である。忍者は、決して攻撃しない。

気がつかれと思うが、これは日本国憲法の平和主義の発想と、とても似ている。“駆り立てるような愛国心”を唱える一部の改憲論者は、「平和憲法は、押し付けられたもので、日本人の発想でない」などと主張するが、僕は、戦後日本人が、この憲法を守ってきた気持ちの中に、日本人の持つ、伝統的な忍者の思想があったのではないかと、密かに思っている。決して、平和憲法は、日本の伝統思想にはずれた訳ではないのである。

忍者の、もう一つ役割は、暗殺であった。これは、正統的なサムライの思想からすると、卑怯で許されぬ行為だったろう。しかし、考えてみると、暗殺は、無辜の民の流血を最小限にとどめて戦に勝つ効果的な方法だったといえる。現代社会でも、暗殺は許されることではないが、戦争をぎりぎり避けたい、という気持ちが、前近代のサムライ達に、忍者による暗殺という手法を取らせたとすれば、これも、平和主義の1変種と捉えられるかもしれない。

もともと発祥的には、忍者は、中世の社会で裏情報を採りやすい立場にいた、全国を渡り歩く身分の卑しい人々だったといわれ、それが、武士により組織化されたものだったため、その後も「草」とか「忍び」とかいわれ、正統武士からは、軽蔑される存在であったようだ。しかし、現代の我々が、当時の武士が「正統」とした価値観を、現代人の「正統」として共有する必要はないと思うのである。

さて、少し脱線しながら、一部の人々の唱える“駆り立てられるような”「愛国心」と、おおらかな平和主義の日本が「好き」――これを仮に「好国心」と呼ぶとする――な、僕のような人間の違いを、長々と述べてきたのは、J・デイヴィッド・ライヴァ監督の英仏独合作映画「真実のマレーネ・ディートリッヒ」を見て、時の政権の価値観と、本来その国が「好きだ」という気持ちが、大きくずれてしまった時の、1人の人間の悲劇について、考えさせられたからだ。

戦前の名画「嘆きの天使」「モロッコ」で、世界のスターにのし上がり、大戦中歌った「リリー・マルレーン」や戦後の「花はどこへいった」などの反戦歌で歌手としても知られる、マレーネ・デートリッヒの半生を、孫娘のライヴァ監督が、新事実や未発表フィルムを織りまぜて撮った作品である。

マレーネは、1901年、ドイツの貴族の娘として生まれ、第1次大戦後の爛熟したベルリンの空気の中で、青春をすごした。「嘆きの天使」のオーディションに合格、国民的スターになった後、ナチスの宣伝映画に出る事を拒み、ハリウッドに渡った。そして第2次大戦中は、「リリー・マルレーン」を歌いながら、身の危険も顧みず、連合軍の慰問のため、世界中の戦地を回った。やがて、その歌は、戦線を越えドイツ軍の兵営でも歌われるようになる。

マレーネは、戦後、コンサートでドイツに戻った時も、「非国民」として、若い娘に唾をかけられるなど、一部の人々からは冷遇される。ドイツ国民は、複雑な感情を抱き続けた。

だが、彼女の方は、ナチスは大きらいだったが、ドイツのことは、終生大好きであった。連合軍を慰問するのも、大好きなドイツを、一日も早く、ナチスから解放したいためだった。彼女が、「連合軍によって最初に解放されるドイツの町に行きたい」と、強く願って、それが実現するのも、彼女のドイツへの熱い思いからだった。

今度の映画は、そうしたマレーネの内心の葛藤とアイデンティティの悲劇を、痛々しいほど描き出して見せてくれる。

自分の母国への愛と、現政権の価値観のずれによる悲劇は、マレーネの時代の後も、世界各地で続いている。それが、この日本でも、未来に起きない事を願うばかりである。


http://www.asahi.com/column/aic/Wed/d_sunayama/20031112.html

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