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「世の中は迷惑のかけっこだから、御互い様」という言葉が聞かれなくなって久しい。今ではこの言葉は死語になっているのかもしれない。その代わりに凄まじい「被害者意識」を持った人達で溢れている。今の世の中を見ていると事ある毎に噴き出す、被害者意識の凄まじさには辟易する。
長崎で中一生に子供を殺された父親の手記なるものを読んでみた。予想はしていたがその被害者意識一色に染まったものからは、一片の理性も見出すことは出来なかった。自分の子供を殺害されたのだから被害者意識を吐露するのは当然だ。だが、子供を保護しているのは誰なのか。保護者としての責任は全うしていたのか。それを自問自答する文言がない。あの手記を批判する人が現れないところを見ると、同様の被害者意識を共有する人々しか今の社会にはいないと言うことなのだろう。
この凄まじい被害者意識に拠り掛って命脈を保っているのが小泉首相だ。「9.11」のテロといい、北朝鮮の核疑惑といい、イラクの大量破壊兵器といい、これらから導き出されるのは、自分達は恐怖感を与えられているという被害者意識だ。しかし、今の世界で日本人の持つ被害者意識を共有している国があるだろうか。多分これ程の被害者意識が氾濫している国はないだろう。お隣の韓国ですら、これほどの被害者意識は持っていないようだ。
なにも海外からばかりではない。国内でも小泉首相は被害者意識に浸っている。抵抗勢力などと言う言葉自体が、自分のやることが邪魔されているという、被害者の立場に立ったものだ。拉致問題も無条件に被害者意識に浸っているようだ。しかし、それは庶民感情としてならまだ許せる。だが、国家のリーダーが持つべき意識ではない。
物事の責任を持つべき人が被害者意識に浸っていては負けたも同然なのだが、この社会の風潮はそれを許してしまう。同情というより、この意識に浸っている自己の正当性を壊したくないので、被害者意識を持つ者に対して理由の如何を問う勇気はないらしい。その御蔭で2年半も次々と手を変え品を替え、被害者を装うことが出来る問題を殊更大層に振り回して政権を維持している。それが小泉首相だ。
きっと彼は政権から引きずり降ろされても、自分は犠牲者だと思うに違いない。責任を持つべき立場の人間がその責任を全う出来ないなら、加害者ともいえる。少なくとも被害者にはなり得ない。国家のリーダーがこのような被害者感情を利用し、自らも被害者になることが許される社会など、今まで在ったのだろうか。昭和天皇の戦争責任を問うか否かで、被害者論と加害者論が今でも鎬を削っているが、総理大臣で小泉氏ほど被害者意識を拠り所にした人物は見たことがない。
被害者意識から何が生まれるのだろうか。これから生まれるものは、報復感情か精神の畏縮か、小事を大事と勘違いして道を誤ることぐらいしかないだろう。そしてこの意識が過剰になればなるほど理性は排除される。そこで具現される社会は「おおらかさ」の失われた生き辛いものとなる。
それもこれも、被害者意識を当然の如く扱うマスコミによって生まれたものだろうが、この意識から脱皮しなければ日本再生などはあり得ない。そうは言うものの、この被害者意識の異常さにどれほどの人が気づいているだろうか。「世の中は迷惑のかけっこだから、御互い様」のこの言葉が生き返る時代が来た時、この社会は持ち直したと言えるだろう。だがそんな日がいつ来るのか皆目見当がつかない。
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