現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ31 > 712.html ★阿修羅♪ |
|
石神遺跡から初出土したストーンサークル
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2003/1107/nto1107_10.html
森田村教育委員会が本年度発掘調査している同村床舞藤山地区にある石神遺跡から、縄文中期ごろのものとみられる直径約三メートルの円環状配石遺構(ストーンサークル)が初めて出土した。また半円状扁平打製石器の製作場とみられる、石が散乱した遺構も見つかり、遺跡の範囲は従来の調査で確認された約十ヘクタールから、南に拡大し約二十ヘクタールに及ぶことが明らかになった。村教委は二〇〇四年度も遺跡範囲を確定する発掘調査を継続し、国の史跡指定を目指す。
石神遺跡は約六千−四千年前の縄文時代前期から中期を中心に縄文後期、中世までの複合遺跡。縄文時代の装飾性豊かな円筒土器や土偶、石器が多数出土し、二百十九点が国重要文化財に指定されている。
本年度の発掘調査は、国の史跡指定に向けて遺跡の範囲を確定するために実施した。従来、狄ケ館ため池北東部の丘陵地で確認した遺跡から、さらに南に広げて十九カ所計三百平方メートルを発掘した。
村教委埋蔵文化財担当の佐野忠史学芸員(34)は「本格的なストーンサークルは縄文後期や晩期のものが多いが、今回出土した配石遺構は、円筒土器と同じ縄文中期ごろのものと思われる。周囲に墓壙(ぼこう)も確認されているので墓や祭祀(さいし)の場だったのではないか」と話す。
石器の製作・加工場らしい遺構からは十腰内系の安山岩が多数見つかり、厚さ約二十センチで一メートル四方の大きさの平らな石も数点出土。多くの石に火を当てた跡があり、大半は割られていることから、石を用途別にいろいろな形や大きさに加工したと推定される。上層から縄文晩期の土器が出土しているため、より古い年代のものとみられる。
村教委は国の史跡指定に向けて、〇四年度も発掘調査を継続し、史跡指定の要件となる遺跡範囲の確定を目指す。
一九六〇年代に三度、慶応大学と弘前大学が調査した時に発掘を担当した青森大学社会学部の村越潔教授(73)は「国の史跡になって当然の遺跡だし、なってほしい。打製石器の用途には諸説あるが、出土した石の性質や形を調べればさらに明らかになるだろう」と話している。