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(回答先: 1430.ブッシュと小泉の宗教集票マシーン(2) 投稿者 名無しA 日時 2003 年 11 月 01 日 09:31:50)
http://www.issue.net/~sun/dh200310.html のサイトの10月24日分に以下
のような部分がありました。選挙があるからなのかも・・・
◆「今日のひとこと」 民主主義と宗教
J.ハーバマスは民主主義社会を支える倫理規範として‘理想的発話状況‘の確保を上げています。つまり誰もが、いかなる強制による妨げも受けず、自由に自身の主張を表明してよい、ということなのですが、これは前提としてあまりにもフラットに考えすぎているように私には思われます。
というのも私たちの住む世界はすべてが平等な条件で作られているわけではなく、官僚やマスコミによる情報操作や自ら試行錯誤することよりも既存の社会に適合することを第一義とする教育システムの採用など、社会構造が社会的強者に有利に働くようにすでにプログラムされているといえるからです。
こういった社会では個人の発言にどれほどの価値を見出せるでしょうか? 結局のところ国家権力に骨抜きにされ、知らず知らずのうちにコントロールされていることすら自覚できず、国家に与えられた権力に都合のよい‘幸福‘というものを甘受する以外選択肢は残されていないでしょう。
20世紀最大の歴史家と呼ばれるA..トインビーは、これを国家主義崇拝として20世紀の3大宗教の一つとしてあげています。
私たちは、ナチスのような分かりやすい好戦的な国家主義ではなく、こういったソフトで分かりづらい静かな国家主義(その分陰湿なように思いますが…)からの束縛をすくなからず受けているということを前提として状況認識をしなくてはならないでしょう。民主主義と国家主義は常に隣り合わせである。現代人はここから思考を出発させなくてはならないと思います。国家主義の打倒と民主主義の建設は軌を一にする、これを国民の共通意識にまで高める必要があるように思います。
実際のところ民主主義社会においては、どんどん個人が声を上げていくことがもちろん大切になりますが、その声を有効ならしめるためにも、外側の権威に対抗しうる権威を自己の内側に作っていくことが必須になるのではないでしょうか。この国家主義に対抗しうる自己内の権威を作りうるもの、それが真の宗教だと思います。
宗教的信念を持たない人には民主主義は担えないし、理想的な政治を行うことはできない。結局のところ国家主義に加担していくほかなくなってしまう。これは民主主義に関する研究を長い間行ってきた西洋社会では自明の理とされています。日本では民主主義と宗教の関係に対する考察があまりにも足りないように感じます。よく巷で言われる日本人の政治に対する民度の低さ、政治3流国などといったレッテルも、ここにその大きな原因があるように思います。
民主主義と宗教……このペアは切っても切り離せない関係にあります。日本の政治を変えていくポイント、それはこれをどのくらい自覚できているかどうかだと思います。
転載終わり
またトインビー氏が出てくるので以下を読みました・・・
ポーリー女史 A・トインビー博士の孫娘の手記
「私は見た! 池田創価学会の実態を」いまだに宣揚される“池田・トインビー対談”
醜悪な権力者・池田大作の名声のために利用
http://www.toride.org/porry/porry_rep_lead.html