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(回答先: 宋美齢さんが死去 台湾の故蒋介石総統夫人 (共同通信) 投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 25 日 07:23:59)
<宋美齢さん死去>中国・台湾史を体現
【台北・飯田和郎】台湾の故蒋介石・元総統夫人、宋美齢さんが23日、104年の生涯を閉じた。米国での教育の影響を受け、奔放に生きた彼女は第二次大戦中、対米工作でも夫をしのぐ活躍を見せ、日本の敗戦に大きな影響を与えた。中国・台湾史をそのまま体現した生涯は、総統選を来春に控え、熱を帯びる台湾のアイデンティティー(地位)論争にも一石を投じるだろう。
「永遠のファーストレディ」と呼ばれた美齢さんの死を知った台北市民は24日、次々と蒋元総統を記念する中正紀念堂を訪れた。涙を落とす老婦人もいる。その多くは国民党とともに、中国大陸から渡ってきた外省人やその子弟だった。
一方、本省人(台湾出身者)は冷ややかに死を受け止めた。38年間という世界最長の戒厳令(1949〜87年)を敷き、独裁政権を維持した蒋介石氏と、それを支えた美齢さんへの複雑な感情は消えない。民主化されるまでの台湾近代史の中心に蒋夫妻がいたととらえる市民も少なくない。
この二つの異なる現象こそが、台湾の今の姿を映し出している。
再選を目指す民進党の陳水扁総統は、中国と台湾の関係を「1辺1国」(それぞれ別の国)と表現し、現行の中華民国憲法に代わる台湾新憲法制定の意向を示す。陳総統と連携する李登輝前総統も「中華民国」に代わる「国名を正す(正名)運動」を推進、台湾独立色を強める。
一方、野党陣営は「中華民国と台湾共和国との戦い」と位置づける。政権奪還を目指し総統選に出馬する連戦・国民党主席が主張する「一つの中国」とは中華民国であり、それは蒋夫妻が台湾にもたらした「国家」だ。
「外来政権」を象徴する美齢さんだけに、その死は与野党陣営に少なからぬ波紋を与えるかもしれない。
だが、政治の表舞台を離れて久しい美齢さんの死が台湾政界に直接的な影響を与えることはない。むしろ、台湾の若い世代は彼女の波乱に富んだ生涯を歴史上の出来事としてとらえる。
米国で受けた教育は、女性が男性に隷属した時代を打ち破った。生涯のクライマックスは43年2月、米議会での演説だろう。身振りを交えた英語の演説終了後、5分間も鳴りやまなかかった拍手は、米国の戦争への関与を深め、日本の敗戦を決定づけたともいえる。
「一人は金を愛し、一人は権力を愛し、一人は国を愛した」。「宋家の3姉妹」はこう評される。仲のよかった姉妹は、時代の流れとともに、歩む道が分かれていった。長姉靄(あい)齢さん(73年死去)は富豪と結婚。革命家・孫文の夫人として新中国という「国を愛した」二姉慶齢さん(81年死去)と、夫とともに「権力を愛した」美齢さんの生き方はあまりに対照的であった。
最後に残った美齢さんの死は、20世紀の中国・台湾史をにぎわした「宋・蒋王朝」の終えんを意味する。
■宋美齢さんの生涯■
1894年 日清戦争
99年 宋家の三女美齢さん誕生
1911年 辛亥革命
12年 清朝が滅亡し中華民国成立。孫文が臨時総統に就任
14年 第一次世界大戦開戦
19年 「五・四」運動。国民党結成
25年 孫文死去
27年 美齢さん(30歳)が蒋介石氏と結婚
31年 満州事変勃発
37年 日中戦争始まる
39年 第二次世界大戦開戦
42年 美齢さんが米議会で演説、「抗日」を訴える
45年 終戦
49年 中華人民共和国成立。内戦に敗れた国民党が台湾に渡る
50年 蒋介石氏が台湾の総統に
75年 蒋介石氏死去、87歳。美齢さんがニューヨークへ。
2003年 美齢さん死去、104歳。(毎日新聞)
[10月25日1時6分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031025-00000130-mai-int