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GLA高橋信次・高橋佳子(TL人間学)は虚偽の会員数をマスコミに発表(1976-1977年)
GLAといえば、開祖・高橋信次存命1975-76年のころは、信者数の急成長が著し
かったという内容とともに、マスコミ雑誌には下記のように書かれています。
1.『週間大衆』(1975年2月27日号)
<「シリーズ・新宗教の"生神さま"は語る」(11)
GLA(神理の会)=宗教ではないという驚異の教団>の記事
>会員数(信者)は、公称10万人(霊友会系の瑞法会信者3万6千人ふくむ)
宗教法人になった1973年から2〜3年の間に「10万人」となったわけです。
これは本当だろうと、これまで思ってきました。
したがって、信次の死後2年あまり経った下記の佳子の発言も事実だろうと
疑わないできたのです。
2.『週刊文春』(1978年4月20日号)
<ミカエル様って何?>
〜ベストセラー「真創世記」の美人教祖は、日大哲学科の女子大生・高橋佳子〜
※イーデス・ハンソン対談220※の記事
>ハンソン「会員はいま何人ぐらい?」
>高橋佳子「大体、六万人前後ですね」
それが、さらに13年後には、次のように1万3千人あまりとなって「ずいぶん
と減ったものだ、佳子の指導力はよっぽど落ちたのだなあ」と感じていました。
3.『アサヒ芸能』(1991.10.10号)
「教祖サマにすがるこの有名人たち」
<GLA・大川隆法も傾倒した話題の教団に関口宏夫妻が番組スタッフをつぎつぎ勧誘>
>公称信者数1万3100人の教団
少なくとも、上記三つのマスコミ雑誌の記事では、これ以上のことはわかりません。
ところがです。ここに「縮刷版『新宗教事典』(弘文堂)」という本があります。
ここには、宗教法人の認可をする文化庁の編纂になる『宗教年鑑』のデータが引用
してあります。各種新宗教法人の数、プロフィール、教会所在地、信仰形態や入信方法、
信者数の推移などのこまかいデータを年ごとにまとめたものです。
そこには、他の教団の信者の増減グラフとともに、GLAが法人認可を受けた1973年
から1988年までの信者数の推移のグラフがあります(こまかい目盛りがふられていない
ので、以下の数字はおおよその読み取り値)。
それを見ると、信次から佳子がGLA主宰の地位を継承したころの信者数は、およそ
9千人〜1万人未満です。そこから、少しずつ増えていって、1981年から83年に
かけて1万4千人から1万5千人未満というピーク(高原状)を迎えます。
しかし、その直後から下降しだし、88年には、ほぼ1万3千人にまで減っています。
『宗教年鑑』というのは、各宗教法人が、文化庁に対し「協力」という形で自己申告
した教団データをまとめたものです。(つまり、申告は義務や強制ではないということ
のようです。現に、平成14年度の『宗教年鑑』には、名称と本部の所在地と代表者
の名前以外、GLAの具体的な信者数などの内実は記載されていません)
宗教法人を監督する文化庁の宗教年鑑に書かれたデータが、誇大なものであったり、
過少に申告されるというようなことは、あまり考えられません。実数にほぼ忠実な数字
であろうと思いますし、信者数やその増減も正しく反映しているグラフと見てもよい
でしょう。
すると、ここにふたつの「信者数の推移の流れ」ができます。
1975年--1978---1988----1991----2001
「週刊誌」系 10万 6万 1.31万 ※約2万(※日本宗教総覧2001年より)
「宗教年鑑」系 9千 1.3万 ●1.31万
(●日本宗教総覧1991年より『アサヒ芸能』も)
こうなると、どちらかが「ウソ」ということになります。ことに1978年佳子発言の「6万
人前後」と文化庁統計「9千人」の5万人以上の「差」はなんでしょうか。
たしかに、佳子が継承したとき「瑞法会信者3万6千人(のちのGLA関西本部)」が
まとめて脱会していますから、「10万人」から残った会員数は「6万人前後」となります。
しかし、文化庁への申告では「9千人」しかいません。ということは「6万人」はウソ。
しからば「10万人」「3万6千人」というのもウソでしょう。
文化庁統計のグラフを見るでは、GLAの会員実数は1万からせいぜいが1.5万程度と
見るぼが妥当です。それを、なぜ信次・佳子は「10万人・6万人」などと週刊誌に載せ
たのか。
おそらくは、信次の著書の販売部数や講演会の動員数、佳子の『真創世記』の販売部数
と講演会の動員部数をも「信者」とみなして語ったのではないかと推測できます。そうい
うやり方は、「幸福の科学」大川隆法も「信者数100万人」などと、一時期さかんに
やっていたようですから。
実数としては、1988以降、各資料が一致する1.3万人程度が本当のところでしょう。
「日本宗教総覧2001年版/新人物往来社」は「教勢約2万人」とGLA側から提供された
資料の数字を書いていますが、同総覧1991年版は『アサヒ芸能』も参照したと思われ、
「教勢1万3千100人」と端数までGLAは提示しています。100人単位まで
書いていた教団が10年後には「約2万人」と大変にぼかした書き方をせざるをえない
背景には、たぶん「1万3千人」をもはるかに割り込む「会員数減」の苦しさが、ほの
見えるような気がします。
上記の推論を裏付ける詳しい資料を記しますのでご覧下さい。
『宗教と科学のパラダイム』(沼田健哉著/1995年刊・創元社)より
「信次が死去した昭和51年末のGLA会員数は、8761名(文化庁届出数)で
あった。しかし、当時の会員の内容は、誌友会員(現在は廃止)という機関誌購読
だけの会員もいたり、単に信次の行う霊現象への興味本位の会員もおり、現在のG
LAの構成会員の内容とは違っていた。GLAの会員数は、平成6年3月末現在で
1万6639名である。
その構成は、青年層(30歳未満の男女)約10%、壮年層67%、豊心層(60
歳以上の男女)約23%である。このように、代表者が若いわりには青年層の占める
比率が低いのが一つの特色であり、今後の課題であろう。その要因の一つとしては、
GLAの教義や学びの内容が民衆宗教としては高度すぎるため、人生体験の浅いもの
には、本質的な部分に至るまでの理解が困難であることもあげられると思われる。
なお、GLAに入ってくる人々の入会の動機は、信次や佳子の著作を読んだことを
契機とする入会者と、家族や友人知人からの紹介などを縁とする入会者がほぼ折衷
している」
※平成6年の会員数は文化庁届出数との記述はありませんから、資料は直接「GLA」
から、で1990年当時、長くGLA参与観察をしているとされる著者(宗教社会学者)
に提供されている可能性もあります。
*「沼田健哉」氏とそのGLA研究については下記の「GLA系教団」の項を参照のこと
http://www.bunkei.net/iij4u/rlec2000/rlec200006.html
この沼田という方は宗教社会学者のようですが、学者ではないわれわれ元信者でも
容易に指摘できるGLAの虚偽や矛盾や問題点を、他の著書でもほとんど指摘して
いないような印象を受けます。その著書の中には、佳子の瞳を「深い湖のようだ」と
表現してみたり「風の谷のナウシカのようだという風評がある」と賛辞を書いたり
しています。
こういう方を「GLAの御用学者」と評する向きもあるようです。
>昭和51年末のGLA会員数は、8761名(文化庁届出数)であった。
先にあげた佳子の昭和53年のハンソンさんとの対談での発言を確認しましょう。
>ハンソン「会員はいま何人ぐらい?」
>高橋佳子「大体、六万人前後ですね」
『週刊文春』(1978年4月20日号)
8761人が、わずか1年ちょっとで60000人になるとは考えにくい。しかも、
信次が亡くなって瑞法会は抜け、幹部講師連とそのとりまきも脱会し、どう考えても
無理があります。繰り返しますが、この8761人のデータを裏付ける文化庁データ
によるグラフでは、昭和53年度も9000人くらいだったのですから、佳子が明白
な「ウソ」をついていることは確定です。
ということは下記の信次晩年のデータも事実にもとづかないものでしょう。
>会員数(信者)は、公称10万人(霊友会系の瑞法会信者3万6千人ふくむ)
『週間大衆』(1975年2月27日号)
実際のところ、瑞法会信者も3千6百人位、信次存命時でも、GLAは1万3千人
程度しかいなかったと見るのが正しいのではないでしょうか。