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「この1年は、(拉致され結婚してからの)23年間よりももっと長く感じました」。北朝鮮による拉致被害者5人が帰国してから1年たった15日、新潟県真野町(佐渡島)に住む曽我ひとみさん(44)が町役場で会見した。北朝鮮に残してきた家族への募る思いを重ねて述べる一方、政府の取り組みについては、「見捨てられた気持ちになった時もある」と不満を口にした。【磯野保、柴田真理子】
グレーのツーピース姿の曽我さんは、時折手元のメモに目を落としながら、落ち着いた表情で会見に臨んだ。
この1年を「うれしかったことは日本に帰れたこと。悲しかったことは日本で暮らしていると思っていた母(ミヨシさん)の姿が見えなかったこと」と振り返った。1人で暮らすことになり、夫ジェンキンスさん(63)や2人の娘への深い愛を感じるといい、「(日本に)帰国してから好きなものを買ってあげたいので、洋服などは買っていないが、日本語を覚えやすいように(アニメの)日本むかし話のビデオなどを買ってあります」と話した。
日本政府の取り組みについては、やや表情を硬くした。「何かあったときだけ電話がくるが、何もないからこそ毎日の生活に関心を持ってほしい」。そして、その不信感を「一番信頼しなければならないのに、だれを信じていいか分からず、見捨てられた気持ちになったこともある」と表現した。それでも、家族との再会に向け、「私はあきらめません」と力を込めた。
一方、拉致されている間の一時期、一緒に暮らしたという横田めぐみさん(行方不明時13歳)については「出会って2週間後、2人で買い物に行き、めぐみさんが好きだというチョコレートを買って、私はお菓子を買って食べた」と思い出を話した。そのころ、周囲から「(拉致された人の中に)他に日本人もいるんだよ」と聞いたという。
めぐみさんについて北朝鮮側が死亡したと発表したことに関しては「そのようなことは絶対にないと信じています」ときっぱりと語った。昨年10月15日に帰国する際、北朝鮮の空港で初めて横田さんの娘、キム・ヘギョンさんに会い「めぐみちゃんかな、と錯覚するくらいに似ていた」と話した。
◇曽我さん「町のために仕事をします」
曽我さんは、会見に先立ち、真野町嘱託の保健衛生指導員の辞令を高野宏一郎町長から受け、15日から働き始めた。
午前8時に初出勤した曽我さんは、高野町長から「しっかり頑張ってください」と職員証を首に掛けられると、「町の皆さんのために一生懸命、今日から仕事をしたいと思います。よろしくお願いします」と応えた。
拉致前に准看護師だった曽我さんは、経験を生かして、町の健康相談室などで予防接種の補助やカルテ整理などの仕事に取り組む。
◇曽我さんの会見の要旨
大変複雑な1年だった。日本に帰れたのはうれしかったが、母の姿が見えないのが悲しい。(離ればなれになり)北朝鮮に残してきた家族の愛をこれまで以上に感じた。日本の四季や日本むかし話のビデオを見てほしくて、買って待っている。
3、4カ月で一緒になれると思った家族と別れてもう1年。私は日本人。故郷でみんな一緒に自由に暮らしたい。(政府には)問題解決に全力で取り組んでほしい。(私も)問題が早く解決するまで自分なりに精いっぱいやりたい。
横田めぐみさんの娘のキム・ヘギョンさんは、私の北朝鮮名(ミン・ヘギョン)と(一部)同じ名前なので、めぐみさんが自分の娘にも同じ名前をつけたのではないかと思う。「(拉致被害者には)他に日本人もいる」と周囲に聞いたが、名前などはわからない。
拉致された日、母と、背後に男の気配を感じ「気持ち悪い」と話していたが、袋に入れられた後、母の行方はわからない。(今月)25日の(佐渡島での支援)集会でも、一番大切な母の思い出を語り、協力を呼びかけたい。
[毎日新聞10月15日] ( 2003-10-15-15:21 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20031015k0000e040027002c.html