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■ヒロシマ、まず行動を
チェルノブイリ原発事故の被害者を追い続ける、ベラルーシ出身のジャーナリスト、スベトラーナ・アレクシエービッチさん(55)=フランス・パリ在住=が十二日、講演で広島市を訪れた。事故から十七年。現地の今、ヒロシマの役割などについて聞いた。(森田裕美)
―チェルノブイリ事故では、ベラルーシの被害が最も深刻でしたね。
風下のベラルーシは、事故で発生した放射線の七割を浴び、二百万人が汚染地域にいたといわれている。被害が目に見えない、未経験の恐怖をチェルノブイリの人々はどう受け止めればいいか、分からなかった。取材した知識人の一人が「燃える原発をベランダから眺めていた」と証言したように、みんな、自分を包む死の危険にしばらく気づいていなかった。
―被曝(ばく)者や家族の心情に迫った著書「チェルノブイリの祈り」は日本語など十七カ国語に翻訳されました。
事故直後から取材を始め、十年以上かけた。ごく普通に暮らしていた市民たちが、自分の意思に関係なく、いかに危険な事態に巻き込まれていったのか。「過去」として書き留めるだけではなく、未来のためにこそ、全く新しい教訓として残しておかねば、と思って書いた。
―体験は、歳月とともに風化しませんか。
忘れられつつある、というのは大きな間違い。風化を気遣う前に、チェルノブイリやヒロシマ・ナガサキが発する「人類の未来のためのサイン」は、まだ十分に人々の目にとどめられていない。ベラルーシでも核兵器や原発に反対する集会が開かれるが、参加者は少ない。情報化社会で、人々は傍観者となり、人類の未来を知ろうとする姿勢ができていない。私たちは今何が起きているのかを知り、行動する勇気を持たなくてはならない。
―行動、ですか。
ヒロシマもチェルノブイリも、たぐいまれな経験をした当事者として、多くを語っていかねばならない。学者や政治家の使う陳腐な言葉をいくら用いたところで、無関心層には届かない。民衆の心の底ではぐくまれた、透き通った言葉こそ、伝える力を持つのではないか。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn03101303.html