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From : ビル・トッテン
Subject : ノーム・チョムスキーの孤独
Number : OW594
Date : 2003年9月25日
イラクで大量破壊兵器の捜索をしている米CIAのデビッド・ケイ特別顧問が「大量破壊兵器の具体的な証拠は見つかっていない」という内容の報告書をCIA長官に近く提出することが分かったという。しかしアメリカはイラクを侵略したことを決して謝ることはないだろう。父ブッシュも謝らなかった。事実など、どうでもいいのだ、とさえ言ったのだから。 アメリカがなぜ今日のアメリカであるかを簡潔に記したエッセイがZNetに掲載された。ここでも過去に紹介したことのあるインド人の女性作家、アルンダティ・ロイのエッセイである。ぜひお読みいただきたい。
(ビル・トッテン)
ノーム・チョムスキーの孤独
アルンダティ・ロイ
(Znet 2003年9月1日)
“私は決してアメリカのために謝らないだろう − 事実などどうでもいいのだから”
ブッシュ父大統領
ニューデリーの自宅で、自分たちの正当性を巧みに宣伝するアメリカのTVニュース番組をみながら、私はそれを面白がっているノーム・チョムスキーの笑顔を想像する。
どんなイデオロギーであれ、独裁政権がそのプロパガンダのためにマスメディアを使うことは誰もが知っている。しかしこの自由な世界で、民主的に選ばれた政権はどうだろうか。
今日、ノーム・チョムスキーと彼の仲間のメディア・アナリストたちのおかげで、自由市場の民主主義において、世論が石鹸やパンといった大量販売される商品のように作られているということを、何千、おそらくは何百万人もの人々が知ることとなった。法律上と憲法上、言論は自由でも、私たちが自由を行使する余地は奪われ、もっとも高値の入札者の手に渡ったことを知っている。
ネオリベラル資本主義とは、(一部の人に)資本が集中することだけではない。彼らの権力、および自由が増えることでもあるのだ。逆に、ネオリベラリズムの統治組織から除外された残りの人々にとっては資本の減少であり、力と自由の減少なのである。この「自由な」市場において、正義や人権、水道水、きれいな空気が商品となったように、言論の自由も商品となった。それを手にできるのは経済力のある者たちだけだ。そして当然ながら、それを手にできる人は言論の自由を行使して、自分たちの目的にもっとも適した「世論」という商品を作り上げる。(それがニュースだ。)どうやってそれが作られるのか、それがノーム・チョムスキーが書く政治批判の大部分のテーマである。
例えばイタリアの首相、シルヴィオ・ベルルスコーニは、イタリアの大新聞、雑誌、テレビ、出版社などの支配的利権を持つ。「事実上、首相はイタリアテレビ視聴者の90%を支配している」とファィナンシャル・タイムズは伝える。言論の自由の値段はいくらなのか。誰のための言論の自由か。ベルルスコーニは文句なしにその極端な例だ。その他の民主主義国、特にアメリカでは、メディアの帝王と力のある企業ロビースト、そして政府高官たちは、より目立たない形態で、しかしきわめて巧妙に通じ合っている。(ジョージ・ブッシュ・ジュニアの石油ロビー、軍需産業、エンロンとの関係、エンロンがアメリカ政府機関やマスメディアに浸透していたこと等々、今では誰もが知るところだ。)
2001年9月11日にニューヨークやワシントンにテロ攻撃が行われた後、主流メディアがアメリカ政府の代弁者となり、復讐という形で愛国心を示し、ペンタゴンのプレス用資料を喜んでニュースとして流し、さらには反対派の意見を掲載しないなど、数々の露骨なパフォーマンスをとったことは、世界の人々にとってかなりきついブラックユーモアとして映った。
それからニューヨーク証券取引所で株が暴落し、破綻した航空会社が政府に財政的援助を懇請し、また炭疽菌の脅威を避ける治療薬を製造するために特許法をいかに回避するかという話し合いがなされた。(アメリカにとっては、それがアフリカでエイズと戦うための治療薬を作るよりも重要で急を要することなのだ。)それはあたかも世界貿易センターのツインタワーとともに、言論の自由と自由市場という双子の神話が崩壊し始めたかのように見えたのだった。
しかしもちろん神話は崩壊しなかった。神話は今でも生き続けている。
既成の権力組織が世論を「管理」するビジネスに注ぐエネルギーとお金については、明るい側面もある。それをみると、世論を心から恐れていることがわかる。もし人々が、世論という名のもとにおいて行われている物事の本当の姿を知れば、人々はそれに対して行動をおこすかもしれないと、いつもたえず心配しているのだ。権力者は、普通の人々が必ずしも反射的に冷酷で利己主義ではないということを知っている。(普通の人々が損得を計算すると、何か落ち着かない良心のようなものが秤を傾けるのだ。)だからこそ、普通の人々を現実から遮断しなければならない、つまり囲いの中のブロイラー鶏や豚のように部分的に変えられた現実の中で、コントロールされた環境の中で飼養しなければいけない、と彼らは思っている。
この運命から逃げ出し、裏庭で餌を探している私たちは、もはや新聞やテレビが流すすべてを信じていない。地に耳をあて、世界を理解するための他の方法を探している。報道されない話、小さく報道された軍事クーデター、報道されない大量虐殺、レースの下着の全面広告の隣に数行で書かれたアフリカでの内戦について、調べるのだ。
この思考方法、この簡単な鋭さ、本能的にマスメディアを疑うことは、良くて政治的直感、悪くても漠然とした非難にしかならないことを、私たちはいつも覚えているとは限らないし、多くの人はそれを知ることもない。世界でもっとも卓越した人が行う、容赦ない確固たるメディア分析でないのだから。そしてこれが、私たちが住むこの社会に対する、私たちの理解力を劇的に変える唯一の方法なのだ。または、私たちが自発的に入っている精神病院の細かい規則に対する理解力、とでも言うべきだろうか。
9月11日のテロ攻撃で、ブッシュ大統領はアメリカの敵は自由の敵であると言った。「アメリカ人は、なぜ彼らは私たちを憎むのだろうと問うている」とブッシュは言った。「彼らはわれわれの自由を憎む。われわれの宗教の自由、われわれの言論の自由、われわれが投票し、集会し、相互に異議を唱える自由を憎むのだ」
もしアメリカの人々が憎まれる本当の答えを知りたければ(反米主義へのまぬけのためのガイドにあるような、“うらやましいから”“自由が憎いから”“負け犬だから”“アメリカが善で、彼らが悪だから”といったものではなく)、私はチョムスキーを読みなさいと言う。チョムスキーが書いた、インドシナ、南米、イラク、ボスニア、旧ユーゴスラビア、アフガニスタン、中東へのアメリカの軍事介入についての本を読みなさい、と。もし普通のアメリカ人がチョムスキーを読めば、おそらく質問は少し違った形になるだろう。それは「なぜ彼らはもっと私たちを憎まないのだろう」または「9月11日がなぜもっとはやく起きなかったのだろう」となるだろう。
残念ながら、この国粋主義的な時代においては「私たち」や「彼ら」といった言葉が曖昧に使われている。国民と国家の境界線が、政府だけでなくテロリストによっても意図的にうまくぼやかされているのだ。テロ攻撃と、テロを支援する政府に対して報復戦争をすることは基本的に同じである。どちらもその政府のとった行動のために両方の国民がひどい目にあう。
(余談:アメリカ人のチョムスキーが彼の政府を批判するのは、私のようなインド人がアメリカ政府を批判するよりはマナーが良い。私は愛国者ではないし、どの国でも歴史は無節操、残酷、偽善だらけであることをよく理解している。しかしただの国であることをやめて帝国になれば、その作戦の規模は大きく変わる。だから私はこれをアメリカ帝国について語っているということを明らかにしておこう。私は大胆にもその帝国の王様を批判する奴隷なのだ。)
世界に対してチョムスキーが貢献したことを1つを選べと言われたら、それは彼が「自由」という美しく明るい言葉の影にある、醜い、ごまかしの、情け容赦ない宇宙を暴露したという事実だろう。彼はこれを、合理的に、観察によって立証した。主張を立証するためにチョムスキーが並べた数多の証拠は膨大な量である。それは実際恐ろしいほどだ。チョムスキーの最初の前提はイデオロジー的ではなく、あくまでも政治的であるが、その後は無政府主義の直感で権力を信用せずに調査を行っていく。アメリカの既成権力の泥沼を通るツアーに私たちを連れ出し、政府と大企業と、そして世論操作のビジネスを結ぶ、目もくらむような迷宮へ導いてくれる。
チョムスキーは「言論の自由」「自由市場」「自由世界」といったフレーズが、自由とはほとんど関係がないことを示している。アメリカ政府が主張する無数の自由の中には、他人を殺したり、無力にしたり、支配する自由もあるということを彼は私たちに示している。世界中の暴君や独裁者を支援する自由。テロリストを訓練し、武器を与え、保護する自由。民主的に選出された政府を転覆する自由。化学、生物、核といった大量破壊兵器を集め、使用する自由。アメリカと意見が異なる政府を持つ国と戦争をする自由。そして中でももっともひどいのは「正義」の名、「公正」の名、「自由」の名において、人類社会に対して犯罪行為を行う自由である。
ジョン・アシュクロフト司法長官は、アメリカの自由は「いかなる政府や文書が許可したのではなく、神からの授かりものである」と明言した。つまり基本的に、私たちは天命を武器にした国に立ち向かっているのだ。おそらくこれが、アメリカ政府が、他の国に対して行うのと同じ道徳基準で判断されることを拒む理由なのであろう。(これをやろうとすれば「相当道徳」だと一喝される。)これは、善意の巨人が行おうとしている善行 ― 市場を開放し、社会を近代化し、女性を解放し、魂を救ってあげようとしていることを − 異国のずるい原住民は理解していない、という立場に自分たちを置くというテクニックである。
自分の神性を確信しているために、おそらくアメリカ政府は「自分の都合で」人々を殺したり、絶滅させる権利と自由を贈られたと思っているのだろう。
アメリカがアフガニスタンへの空爆を発表したとき、ブッシュ・ジュニア大統領は「われわれは平和的な国だ」といった。そしてこうも言った。「これがアメリカ合衆国の任務である。世界でもっとも自由な国。憎しみを拒絶し、暴力を拒絶し、殺人者と邪悪を拒絶するという基本的な価値観のもとに作られた国家である。我々はあきらめることはない」
アメリカ帝国は恐ろしい基盤の上に作られている。何百万人もの原住民を虐殺し、彼らの土地を盗み、その後アフリカから何百万人もの黒人を拉致し、奴隷として連れてきて働かせた。アフリカ大陸から家畜のように船に積み込まれ送られる途中で、何千人もが海上で死んだ。「アフリカから盗まれ、アメリカに連れてこられた」ボブ・マーリーの歌う「バッファロー・ソルジャー」には、言葉にならない悲哀がこめられている。尊厳の損失、自然環境の損失、自由の損失、砕かれた自尊心。憎しみ、殺人者、悪を拒絶することが基本的価値観である国の、社会的および経済的支えを提供したのが、大量虐殺と奴隷制度なのである。
チョムスキーは“同意の捏造”というエッセイでアメリカの創始についてこう書いている。
『数週間前の感謝祭の祝日、私は友人や家族と国立公園を散歩していた。ふとある墓石をみると、そこには次のような碑が刻まれていた。“インディアン女性 Wampanoagここに眠る。その家族と種族はこの偉大な国が生まれ、成長するために自分たちとその土地を捧げた”
原住民が自分たちとその土地を、その崇高な目的のために捧げたというのはもちろん正確ではない。むしろ原住民たちは人類史上もっともひどい大量虐殺の一つの過程において、壊滅され、破壊され、追い散らされた。そしてわれわれはコロンブスを誇って毎年10月にお祝いをする。コロンブスデーとして、傑出した大量殺人者である彼を祝うのだ。
何百人もの善意ある礼儀正しいアメリカ人が散策し、この墓石を読むが、この墓石をみても何も思わない。思うとすれば、この原住民の犠牲は当然認識しているという満足感を感じるくらいかもしれない。しかしもし彼らがアウシュビッツやダッハウの強制収容所を訪れ、墓石に“ここにユダヤ人女性が眠る。その家族と民族は自分たちとその持ち物をこの偉大な国家が生まれ、成長するために捧げた”と書いてあれば、おそらく違った反応をするかもしれない。』
アメリカはその恐ろしい過去をどのように耐え、こんなにも甘い国の香りをさせて現れたのだろうか。潔く告白することも、償うこともなく、アフリカ系アメリカ人にもアメリカ原住民に謝罪することもなく、そしてもちろんそのやり方を変えることもなく(今ではその残虐さを輸出さえしている)。他のほとんどの国のように、アメリカはその歴史を書き換えた。しかしアメリカと他の国の違いは、そしてアメリカがどの国よりも先をいくのは、世界で最も強力でもっとも成功した広告会社を雇ったことだ。ハリウッドだ。
歴史的に最も人気のある神話では、「良き」アメリカがピークに達したのは第二次大戦(別名:ファシズムとアメリカの戦い)の時である。ヨーロッパでファシズムが全盛だったときに、アメリカ政府はファシズムから目をそらしていたという事実は、トランペットの音と天使の歌声にかき消された。ヒトラーがユダヤ人を虐殺しているとき、アメリカ政府高官はドイツから逃げ出してきたユダヤ人難民の入国を拒否した。アメリカが参戦したのは、日本が真珠湾を攻撃した後だった。
騒がしい熱狂的賛美の中にかき消されたのは、世界がこれまでに目撃した中でももっとも野蛮で残虐な行為である。広島と長崎の民間人に向けて原爆が投下されたのである。戦争はほぼ終わりかけていた。数十万人の日本人が殺され、その後何世代にもわたり多くの人がガンに冒された。彼らは世界平和に何の脅威ももたらしていなかった。彼らは民間人だった。世界貿易センターやペンタゴンの爆撃の被害者が民間人だったように。アメリカが主導した経済制裁によってイラクで亡くなった何十万人もの人々が民間人だったように。広島、長崎への原爆投下は、アメリカの力を誇示するために遂行された冷酷で計算された実験だった。当時トルーマン大統領はそれを「歴史上もっとも偉大なこと」と言った。
第二次大戦は「平和のための戦争」だと私たちは教えられた。原爆は「平和の武器」だったと。核の抑止力が第三次大戦を防いでいるとわれわれは信じさせられている。(これはジョージブッシュ・ジュニア大統領が先制攻撃ドクトリンを思いつく前のことだ。)第二次大戦後、平和が大発生しただろうか? もちろんヨーロッパとアメリカは(比較的)平和だった。しかしそれを世界平和といえるのだろうか。(チンク、ニガー、ディンク、ウォグ、グークといった蔑視語で呼ばれる)有色人種の住む土地で戦われる、野蛮な代理戦争を戦争に数えなければ、そうかもしれない。
第二次大戦以降、アメリカはずっと戦争をしてきたか、または他の国を攻撃してきた。韓国、グアテマラ、キューバ、ラオス、ベトナム、カンボジア、グレナダ、リビア、エルサルバドル、ニカラグア、パナマ、イラク、ソマリア、スーダン、ユーゴスラビア、アフガニスタン。このリストには、アフリカ、アジア、南米でのアメリカ政府の秘密工作、画策したクーデター、独裁者に武器を与え、支援してきたことも加えるべきだ。アメリカが支援してイスラエルはレバノンを攻撃し、数千人が殺されたことも、中東紛争ではアメリカが主要な役割をはたし、パレスチナ自治区ではイスラエルが違法占拠し何千人も死んだことも、100万人以上が殺された1980年代のアフガニスタンの内戦でのアメリカの役割も含むべきだ。そして、アメリカの経済封鎖や制裁によって、直接、間接的に数十万人の人々が、特にイラクで死んだことも。
これらをすべてあわせると、あたかも第三次世界大戦があったようであり、その主役の一人はアメリカ政府だった(または、アメリカ政府なのである)。
「For Reasons of State」に書かれたチョムスキーのエッセイの大部分は、南ベトナム、北ベトナム、ラオス、カンボジアにおけるアメリカの侵略について書かれている。それは12年以上にわたる戦いだった。5万8千人のアメリカ人と約200万人のベトナム人、カンボジア人、ラオス人が命を失った。アメリカは50万人の地上兵を配備し600万トン以上の爆弾を投下した。それでも、もしあなたがハリウッド映画をたくさん観ていたら信じられないかもしれないが、アメリカはこの戦争に負けたのだ。
この戦争は南ベトナムではじまり、北ベトナムとラオス、カンボジアへ広がった。サイゴンに従属政権を立てた後、アメリカ政府は共産主義者である南ベトナムの田舎に侵入したべトコンゲリラとの戦いを始めた。ゲリラをかくまったのは村人たちだった。これをモデルにして、ロシアは1979年にアフガニスタンに侵攻した。自由世界に住む人なら、ロシアがアフガニスタンを侵略した事実を疑わない。グラスノスチ(情報公開政策)のあと、ソ連の外務大臣もソ連のアフガン侵攻を「不法で不道徳」だと言った。しかしアメリカにはそのような反省はまったくない。1984年、チョムスキーは驚くべきことを明らかにした。
『過去22年間、私は主流ジャーナリズムや学問分野おいて、1962年またはそれ以降のアメリカの南ベトナム侵略、またはアメリカの南ベトナム攻撃、またはアメリカのインドシナでの侵略について言及しているものを探してきたが、見つけることができない。歴史にそのような出来事はないのだ。そこにあるのは、部外者から(すなわちベトナムから)から支援されたテロリストたちから南ベトナムを守るためにアメリカは戦った、というのである。
しかしそのような出来事は歴史にない!
1962年、アメリカ空軍は南ベトナムの田舎へ爆撃を開始した。そこには人口の8割が住んでいた。攻撃は10年以上も続いた。何千人もの人が殺された。これは、途方もない規模の爆撃を行うことで人々をパニックに陥れ、村から町へ移動させるためだった。町で人々は難民キャンプに収容された。
サミュエル・ハンチントンはこれをアーバニゼーション(都市への移動を促す)プロセスと呼んだ。(私はインドで建築を勉強しているときにアーバニゼーションについて習ったが、空爆がこの言葉に当てはまっていたことは記憶にない。)「文明の衝突」で有名になったハンチントンは、当時、東南アジア開発諮問グループのベトナム研究委員会の委員長だった。チョムスキーは、ハンチントンがベトコンを“支持者が存在する限り、その支持者から無理においはらうことができない強力な力”と記述していると書いている。続けてハンチントンは、“機械的かつ従来的な力を直接適用した”と記した。言い換えるとそれは、人間の戦争を鎮圧するには、人間を排除する、ということだ。(おそらく、彼の主張を当てはめれば、“文明の衝突を防ぐためには、文明を制圧することだ”ということになるだろう。)
ここには当時からアメリカの機械的な力の限界を知る観測者がいる。「問題はアメリカのマシンは、共産主義者の兵士を殺すという作業にふさわしくないということだ。焦土戦術の一部なら別だが、これではほかのものもすべて破壊してしまう」。その問題は今は解決されている。破壊力の少ない兵器によってではなく、より想像的な言語によって。「ほかのものすべて破壊する」という言い方をやめ、より優雅な言い方をするようになった。それは「付帯的損害」である。
そしてここに、アメリカの「マシン」(ハンチントンはそれらを近代化された道具と呼んだ。そしてペンタゴンの参謀将校たちはそれらを"bomb-o-grams"と呼んだ)が何ができるかを直接体験した人がいる。ラオスで「ジャール平原」の上を飛んだ、T.D. Allmanだ。
「たとえラオスの戦争が明日終わっても、その生態系のバランスが回復するのに数年はかかるだろう。完全に破壊された平原の町や村の復興も同じくらいかかるかもしれない。もし復興したとしても、平原は人間が住むには長い間危険な場所となるだろう。なぜならそこには何十万もの不発弾や地雷、仕掛け爆弾があるからだ。
ジャール平原の辺りを飛行して、3年にも満たないアメリカ軍の執拗な爆撃がその田舎の地域に何をしたかということがわかった。たとえ民間人が避難したあとでも。広い範囲にわたり、鮮やかな熱帯特有の明るい緑は黒と明るい金属色との抽象模様に変わっている。残った葉のほとんどは枯葉剤によって発育が阻害され、しおれている。
今日、平原の北と東で一番多くみられる色は黒だ。平原の草を燃やすためにナパーム弾が定期的に投下され、平原をおおうそれは発育不全で、いくつもの狭い峡谷をふさいでいる。炎は常時燃えているようで、黒の長方形になっている。飛行の間、爆弾を新たにおとした辺りから暗紫色の煙が立ち上るのがみえる。
共産主義者が所有するテリトリーから平原にくるメインルートはあきらかにノンストップで特にひどく爆撃された。そこと平原の端はほとんど黄色くなっている。すべての植物は焼失された。そのあたりはあまりに繰り返し爆撃されたために、北アフリカ砂漠で嵐にあった砂漠のように、土地にはぽつぽつと穴があいている。
もっと南西にいくと、Xieng Khouangvilleという、かつて、共産ラオスでもっとも人口の多い町だったところが破壊され、空虚によこたわっている。平原の北、Khang Khayという小さなリゾートも、やはり破壊された。
King Kong基地の離着陸場のあたりの主な色は黄色(掘り返された土)と、黒(ナパーム弾)で、ところどころに明るい赤と青が見える。供給物資を落とすために使ったパラシュートだ。
最後の地元の居住者は航空機で輸送された。決して収穫されないであろう見捨てられた菜園のそばに見捨てられた家があり、テーブルの上にはまだ皿がおいてあり、壁にはカレンダーがかかっている。』
(死んだ鳥も、黒焦げになった動物も、殺された魚も、焼かれた昆虫も、毒を入れられた水源も、焼失された植物も、戦争の「犠牲」に数えられることは決してない。人類がこの地球を共有している他の生き物たちに対して行う傲慢さにはほとんど触れられない。こそれらはすべて、市場とイデオロギーの戦いの中で忘れられる。この傲慢さがおそらく、人類の究極の破滅をもたらすであろう。)
「For Reasons of State」で最も重要な作品は“The Mentality of the Backroom Boys"というエッセイだ。そこでチョムスキーはペンタゴン文書について、並外れて柔軟で、徹底的な分析をしている。彼はこの文書は「法を犯して国際政治において武力を使うための陰謀の証拠の文書を提供している」という。ここでもチョムスキーは北ベトナムの空爆がペンタゴン文章で長々と説明されているのに対して南ベトナムへの侵略がほとんど触れられていない事実を指摘している。
『ペンタゴン文書のすばらしいところは、インドシナにおけるアメリカの戦争の歴史文書ではなく、それを計画し、実行した男たちの心の中を洞察するものとしてである。議論されたアイデア、なされた提案、推薦された提案などを覗き見ることは楽しい。』
"The Asian Mind - the American Mind"というセクションで、富を破壊され、命を失うことをストイックに受け入れる敵の精神構造についてなされている議論についてチョムスキーは考察する。そこでは、「われわれは命、幸福、富、力がほしい」。われわれにとっては「死と苦しみはほかの道が存在するのであれば非合理な選択だ」。だからアジアの貧乏人はおそらく、幸福、富、そして力の意味を理解することができないのだろう。だからアメリカは「その結論として、戦略的なロジックとなる大量虐殺」を決行することになった。しかし「われわれ」はそこでしり込みをする。なぜなら、「大量虐殺は、耐えるにしのびがたい難渋だからだ」。(もちろん、いずれにしても「われわれ」は大量虐殺を遂行した。それからそれが本当には決してなかったことのように振舞った。)
もちろん、ペンタゴン文書には中道的な提案も含まれている。
『人々を攻撃対象とすると外国や国内から逆効果である反対の動きをもたらすばかりか、中国やソ連との戦争に広がるリスクも大きく増える。しかし水門やダムの破壊はうまく行えば有望かもしれない。調査をするべきだ。そのような破壊なら、人々を殺したり溺れさせることはない。稲を少し洪水させれば、食料が供給されなければ、その後広域にわたり飢餓がもたらされる(100万人以上?)。そして、会議の席上でわれわれは食料の供給を提案できるだろう。』
一層ずつ、チョムスキーはアメリカ政府高官の意思決定プロセスを剥ぎ取り、アメリカの戦争マシンの冷酷な心の真髄をあばいている。彼らは戦争の現実から完全に遮断され、イデオロギーに目隠しされ、そして何百万人もの人間を、民間人、兵士、女、子供、村、町全体、すべての生態系の絶滅をすすんで行ったのだ。科学的に研ぎ澄まされた残虐な方法で。
『アメリカ人パイロットはナパーム弾の楽しさについて語っている。
「(ナパームを製造した)ダウ・ケミカルの男たちには満足している。最初の製品はそれほどよくなかった。ベトナム人がすばやかったら、落とすことができたからだ。そこでダウの男たちは、ポリスチレンをいれたから、すごくよくくっつくようになった。でもベトナム人が水中に飛び込んだら火は消えた。だから彼らは白燐を入れたから、もっとよく燃えるようになった。いまでは水中でも燃える。一撃でいい。それで骨まで焼けるから、やつらは白燐の毒でいずれにしても死ぬんだ」』
つまり幸運なベトナム人は、自分たちのために壊滅された。赤(共産主義)よりは死んだほうがましなのだ。
ハリウッドの魅力と無責任なアメリカのマスメディアのおかげで、こんなに長い年月がたったいまでも、世界はその戦争をアメリカの歴史と同じようにみている。インドシナの豊富な熱帯を背景に、アメリカが暴力の幻想を繰り広げ、最新技術を試し、そのイデオロギーを広め、その良心を調べ、モラルジレンマに苦しみ、罪の意識に取り組んだ(またはそのふりをした)。ベトナム人、カンボジア人、ラオス人は、端役にすぎない。名のない、顔のない、細長い目の人間もどきだ。彼らはただ死んだ人びとにすぎない。黄色い東洋人(グーク)なのだ。
アメリカ政府がインドシナの侵略で学んだ1つの現実的な教訓は、いかにアメリカ兵をのめりこませず、アメリカ人の命を危険にさらすことなく戦争をするかであった。したがって今では、長距離クルーズミサイル、ブラックホーク、バンカー・バスターズを使って戦争をする。今戦争で失う「味方」は、兵士よりもジャーナリストの方が多い。
私は子供の頃、南インドのケララ州で育った。そこでは世界で最初に民主的に選ばれた共産政府が1959年に政権を握った。私が生まれた年だった。私は東洋人(グーク)であることを心配した。カララはベトナムの西からわずか数千マイルしか離れていない。ジャングルも川も水田も、共産主義者もいた。母や兄、自分自身が手榴弾でしげみから吹き飛ばされるのを想像した。または映画の中のグークのように、筋肉隆々の腕をしたガムをかんでいるアメリカ海兵隊員に、うるさい爆撃の中なぎ倒されるのを想像した。夢のなかで私はTrang Bankからの道で写真をとられた有名なあのやけどを負った少女だった。
アメリカとソ連の両方のプロパガンダをみて育った人間(それは互いを中和した)として初めてチョムスキーを読んだとき私が感じたことは、そのうまくまとめられた証拠の数々、その量と執拗さに圧倒され、正気の沙汰ではないとすら思った。彼がまとめた証拠の4分の1でも、私は十分納得しただろう。なぜここまでやる必要があるのだろうと私は思ったものだ。しかし今になって私はわかった。チョムスキーの作品のその膨大な量と熱心さは、彼が対抗しているプロパガンダマシンの規模の大きさと執拗さにあわせたものだということを。チョムスキーは私の本棚の3番目の棚に住みついている木に穴をあける昆虫の幼虫のようだ。日夜、その虫が木を噛み砕いて細かい木屑を出す音が聞こえる。それはあたかも虫が、気に入らない文学を支える構造そのものを壊したいかのように。私はその虫をChompskyと呼ぶ。
アメリカで仕事をするアメリカ人として、アメリカ人を説得するために書く彼の視点は、固い木にトンネルを空けるようなものにちがいない。チョムスキーは産業界全体と戦う小さな集団の中の一人だ。そしてそれが彼を際立たせるだけでなく、勇ましくする。
数年前、ジェームス・ペックとのインタビューでチョムスキーは、広島に原爆が投下された日の記憶について語った。彼は16歳だった。
『私は、文字通り誰にも話しかけられなかったのを覚えている。誰もいなかった。一人でその場を立ち去った。その時私はサマーキャンプにいて、原爆のことを聞いたとき、森へ歩いていき、2時間くらいそこにいた。それについて誰と話すこともできなかったし、誰の反応も理解できなかった。私は完全に孤立していると感じた。』
その孤立が、われわれの時代のもっとも優れた、最も急進派の有名な思想家の一人を作り出した。いつか来る、来なければならないアメリカ帝国の終わりの時でも、チョムスキーの作品は生き残るだろう。
チョムスキーの作品は、アメリカが置き換えたものと同様に残酷で、独善的で、偽善的なマキヤベリ流の帝国をクールに告発するであろう。(前の帝国とアメリカ帝国の唯一の違いは、アメリカがこれまで歴史が体験しなかった、人類が想像できないほど世界に破壊をもたらす技術で武装されているということだ。)
殺された黄色い奴(グーク)になっていたかもしれなかったし、もしかしたらこれからそうなるかも知れない私(グーク)は、どんな理由にせよ、「チョムスキー万歳!」と思わない日はない。
アルンダティ・ロイ:インドの女性作家。1997年に優れた文学に贈られる英ブッカー賞を受賞している。米国の核政策や中東政策、経済グローバル化に伴う貧富格差、環境問題などで厳しい権力批判を続けている。
(ZNetの許可を得て翻訳:転載)
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