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(回答先: では『非核』もおかしいのでしょうか 投稿者 ぷち熟女 日時 2003 年 9 月 27 日 01:24:06)
>では『非核』もおかしいのでしょうか
>http://www.asyura.com/0310/war39/msg/318.html
>WA39 318 2003/9/27 01:24:06
>投稿者: ぷち熟女
>
>『非戦=卑賤なる社会意識』さま、
>
>『非核三原則』などで『非核』という言葉を使いますが
>あれもおかしいのでしょうか。
>
>『非戦』もあの部類の造語だと見ることはできないのでしょうか。
>以上、質問でございます。
結論からいえば、「非核三原則」に「非核」という言葉を用いるのは、明快な原則の内実をことさらに曖昧化することになるので、適切なことばの使い方ではないと思います。
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則は、軍事政策の明快な原則として評価できます。(政治的な決意表明である以上、明快であることは重要です。) これは本来「核兵器拒否3原則」とでも名付ければよかったのです。
「非核」という言葉にはいくつかの問題があります。
1.まず、「持たず・作らず・持ち込まず」を敢えて漢語で表現するのなら「非」でなく「不」を用いるべきであった。中国語ならこれは「不有・不制造・不帯来」ということになるだろうが、日本流漢語だと「不所持・不製造・不搬入」ということになるだろうか。だが本来、日本語は中国語でないのだから「非」とか「不」をかぶせて強引に簡略化するのは無茶である。これは三原則の趣旨からいって「所有禁止・製造禁止・搬入禁止」とするのが、意味が明確に伝わるので適切であろう。(漢語使用における文法上の誤り)
2.核兵器の取り扱いを規定する方針なのだから「核」という一語にするのも不適切である。「非核」をいうのなら、核兵器や核技術全般を指すことになる。意味を明確に限定するためには「核兵器」と明言すべきだったのである。(語選択の誤りによる指示内容の曖昧化)
だれがどういう思惑で、この3原則を「非核〜」と名付けたのかは、調べていないのでわかりませんが、「非核」という言葉を用いているせいで、せっかくの明快な政策原則が、いくつもの解釈を許す脆弱性を抱え込んでしまっています。
ちなみに外務省のウェブサイトには日本語と英語の次のような説明があります。
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http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/gensoku/nnp.html
非核三原則について
日本が核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則を堅持することについては、これまで歴代の内閣により累次にわたり明確に表明されている。政府としては、今後ともこれを堅持していく立場に変わりはない。
(参考)
日本は、核兵器不拡散条約(NPT)上の非核兵器国として核兵器の製造や取得等を行わない義務を負っている。さらに、法律上も原子力基本法により、日本の原子力活動は平和目的に厳しく限定されている。このような点から見ても、日本が核兵器を保有することはない。
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[英文ページ]
On The Three Non-Nuclear Principles
The successive Cabinets of Japan have repeatedly articulated the "Three Non-Nuclear Principles," which is used to describe the policy of not possessing, not producing and not permitting the introduction of nuclear weapons into Japan. There is no change in the position of Government of Japan in that it continues to uphold these principles.
(Note)
Japan ratified the Nuclear Non-Proliferation Treaty in 1976, and placed itself under obligation, as a non-nuclear weapons state, not to produce or acquire nuclear weapons. Furthermore, Japan's domestic law called 'the Atomic Energy Basic Law' requires Japan's nuclear activities to be conducted only for peaceful purposes. These points also testifies that Japan has no intent to possess nuclear weapons.
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英語では「非核三原則」のことを「The Three Non-Nuclear Principles」と呼ばせているようですね。「三つの“核でない”原則」の直訳なのです。バカ丸出しです。「non-nuclear」だけでは意味を成しません。たとえば「国防の基本として化学兵器と生物兵器とカミカゼ攻撃の3つを柱に据える」という三原則があるとすれば、」それは「The Three Non-Nuclear Principles」と呼ぶにふさわしいものとなってしまうでしょう。
「non」を用いた軍縮条約の例としてNPT(核兵器不拡散条約)がありますが、これは正式名称を「Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons」といいます。ここでは「Non−Prolifiration」と正確に「non」の被修飾語が記されています。直訳すれば「拡散なし」です。(「日本語の呼称も「拡散に非ず」でなくちゃんと「不拡散(拡散せず)」になっています。) それに、この条約は正式名称でちゃんと「Nuclear Weapons」と明示しています。
「Three Non-Nuclear Principles」という無意味な命名を見て、思わず「three dog night」という言葉を連想してしまいました。70年代のはじめに、「An Old-Fashioned Love Song」という歌を大ヒットさせたアメリカのポップグループの名前です。しかしそもそも「three dog night」というのは「非常に寒い」状態を示すオーストラリアやアメリカの俗語で、「野営の旅行者などが, 凍てつく夜に暖をとるために同行の犬といっしょに寝る」ことに由来しているそうです。
日本は非核三原則を掲げながら、じつはアメリカの核兵器持ち込みを黙認してきたようです。「Three Non-Nuclear Principles」のというのは、「野蛮な風来坊(=アメリカ)が、凍てつく国際情勢のなかで同行のイヌ(=日本)といっしょに寝る」ために用意されたカムフラージュとして働いてきたのです。まさに「非常に寒い」三原則だったのでした。シャレにもなりません。
結論を繰り返せば、「非核三原則」は欺瞞的で、三原則の決意を掘り崩す脆弱性を抱えた命名です。これは「核兵器禁止三原則」と呼ぶか「核兵器“3不”主義」とでもするか「持たない・作らない・持ち込まないのナイナイ三原則」とでも呼ぶべきでしょう。飲酒運転追放のスローガンである「飲んだら乗らない 乗るなら飲まない 飲ませない」は「飲酒運転追放三ない運動」と言うそうですが、こちらのほうが国政レベルの三原則よりもよほど賢明なネーミングだといえるでしょう。これにならって「核兵器三ない政策」としたほうがよほど明快でしょう。
「非戦」や「非核」はどうして欺瞞的でバカな言い回しか。それは文法的に不適切で、この言葉を使いながら「戦争」や「核の乱用」を許してしまうような脆弱性を抱えているからです。これらの言葉は、オーウェルの「1984」に出てくるダブルスピークの一種です。たとえ今はそのような使われ方をしていなくても、文法的に適切でない語の使用や曖昧さを許す語の使用によって、わざわざダブルスピークを広めるような特性を帯びた言葉です。こういう言葉を好んで使う人々は、言葉の使用に対して不誠実であり、そこに偽善や自己欺瞞や詐欺が繁殖する余地が生まれます。
ことばは思考を規定します。オーウェルはその恐ろしさを描き出しました。彼がナチス第三帝国の言語政策からダブルスピークの問題を注目したかどうかはわかりませんが、少なくともスターリン体制下の言語政策や用語法が思考や行動に由々しき悪影響を及ぼすことは痛感していたようです。オーウェルの警告はSF小説のなかの虚構の慰みごとではありません。我々はブッシュ政権のプロパガンダをイヤと言うほど見せつけられましたが、それを批判する人々が同じ穴のムジナになってしまうのは悲しいことですし、許し難いことでもあります。