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(回答先: 有事法制イラク派兵反対政党の暗闇覗かぬ愚行の百年河清を待つ反戦運動への最新警鐘 投稿者 木村愛二 日時 2003 年 9 月 25 日 11:21:02)
マルクス主義の中には真実をついた部分も少なくないと思いますが、なんと言っても19世紀の
哲学であって、今日のような科学技術・社会の進展を想定したものではないため、21世紀に対応できるものではなさそうです。私は人類が今後何世紀かは存続する(滅亡する可能性もかなり高いですが)としたら、やはり資本主義はどうにかしなければならないと考えています。というのも利潤追求の効率化から言えば、無限消費であって費用対効果の良い、「戦争によるマーケティング」に到達することは必定だからです。アメリカが今のような狂気の戦略に走るのも、巡航ミサイル一発で億単位に稼げる(稼げるインフラが社会的・技術的・歴史的に整備されている)のに、洗濯機やラジオなぞ作っていられるか、という資本の論理の要請だと考えています。
資本主義の代りに必要なのはやはり社会主義、それもマルクス的強制によるものではなく、人間の意識の変革、「10億ドル資産があってもまだ100億ドル増やしたい」というビル・ゲイツに見られるような動機で努力するのでなくて、「良い物を作って人に役に立ちたい」という意識に基づいて努力するというような社会は必ずしも夢ではないと考えています。実際資本家にも様々なキャラクターがあって、ゲイツなどの哲学では自社製品の品質、それが社会にどう役に立つか、どう評価されるかはもう関係ないのです。ライバルを政治的策謀でけ落として、Windowsの独占状態を作ってしまえば、後はどんなお粗末な商品でも(実際マイクロソフトの製品の質が低いことはおぞましい限りである)、大衆に押しつけて暴利をむさぼれればよし、というその企業哲学
はPCの消費者なら先刻ご存じのとおりです。一方、もう少し良心的な経営哲学を持った企業もあります。アップルなども比較すれば、後者の部類に入るかもしれません。この意識の変遷を突き詰めていけば金銭的な報酬より社会に貢献していることの精神的な満足・尊敬といった要因で事業を経営することは不可能ではないと思います。ただしそれにはコペルニクス的な意識転換が必須であることは言うまでもありません。現在のような戦闘的な資本主義はいやおうなくドラスチックな修正(最早資本主義とはいえなくなるかもしれない)を余儀なくされます。昔あったメンソレータムの近江兄弟社のイメージですね。実際ゲイツのような人間はもう一種の精神病なのです。5挑円の資産があっても彼を幸福にしているとは思えません。ゲイツだけでなく大企業の経営者・オーナーに頻繁に見られるのは、立ち止まったらそのまま倒れてしまう、といった強迫観念にかられて金儲けしているパラノイアの姿です。遺伝子組み換え食品も劣化ウラン弾もこの強迫観念の中では、何の疑問もなく正当化されているわけです。
資本主義が存続不可能であることは地球の資源が有限であることからも、すぐにわかることです。資本主義における拡大再生産の下では「対前年二桁成長」が最大の美徳で、その中で企業活動に従事する者はすべてこの目標・哲学を強いられるわけです。かつて資源は無限と思われた時代は資本主義は生産力の解放に一定の役割を果たしましたが、地球にもうフロンティアはないのです。いつまでもこのような理念でやっていけるわけはないという現実は、少しでも理性のある人間には自明のことです。もし恒星間飛行が可能になるような科学技術の飛躍的発展でもあれば、宇宙が再び無限のフロンティアとなって、資本主義のままでやっていけるかもしれませんが、これは当面は夢物語です。
問題は資本主義にかわるパラダイムの中で、資本主義における「金」のように暴力的に単純でわかりやすい動機に代えて 良心とか善意とか精神的満足とか抽象的な動機付けを、いかにわかりやすい形で具現できるか、です。向こう数十年の間にこの問題に解答ができないと人類の滅亡は避けられないような気がします。
インターネットの発達によって社会が多元化している現在、多数の人間が徒党を組んで、政治権力を奪取するというような社会転換の様式は急速に時代遅れとなっていくのではないでしょうか。
私の共産党に対する情緒的思い入れは、かつて70年代前半の美濃部・蜷川・飛鳥田など社共革新ブームに胸躍らせた記憶に基づいているのですが、残念ながら幻想だったのかもしれません。