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「9・11から2年 」立派な父親の記事です。
http://www.asyura.com/0310/war39/msg/136.html
投稿者 NOユージ 日時 2003 年 9 月 22 日 15:01:36:Yi9aAI/v.7r2c

9・11から2年
http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20030908.html

高成田 享
タカナリタ・トオル
経済部記者、ワシントン特派員、アメリカ総局長などを経て、論説委員。
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世界を震撼させた9・11の「同時多発テロ」から2年。米国の「テロとの戦い」によって、戦争はアフガニスタンからイラクへと広がり、世界は大きな変化をとげた。この2年は何だったのか、世界の人々は今さまざまな思いで、9・11とその後のことを考えているにちがいない。
ワールド・トレード・センターにある証券会社の役員として働いていた一人息子の敦さん(当時36歳)を亡くされた白鳥晴弘さん(62)=東京都品川区、写真=の人生も大きく変わった。遺族として、なぜ息子が殺されたのかを問いながら、アフガニスタンに行き、犠牲者がニューヨークだけではないのを知り、息子の補償金などで基金を作り、アフガニスタンの子どもを助ける活動をはじめたからだ。
その白鳥さんから話を伺うことができた。あらためて亡くなられた敦さんをはじめ3000人に及ぶ犠牲者を追悼するとともに、晴弘さんとの問答を再現することで、2年後の9・11を考えることにしたい。
──敦さんは、どんな人生でしたか。
「中学生のころは、バスケットボールに熱中する子でしたが、都立九段高校に入ってから、『つっぱる』ようになり、オートバイに乗り始めると、暴走族の後ろについて走るようになった。その後、退学になり、都立雪が谷高校に移った。卒業後、世界を広い目で見たいといって、アメリカに渡り、カリフォルニアの大学で学んだ後、ニューヨーク・ウォール街の証券会社に入り、債券のトレーダーとして腕をあげ、キャンター・フィッツジェラルドという会社のパートナーになっていました。敦はニューヨークの水があっていたのでしょう。米国人のガールフレンドの暮らし、よく通っていた日本レストランの人の話では、日本語はいっさいしゃべらなかったと言います」
──遺体は確認できたのですか。
「オフィスはノースタワーの102階から105階で、敦は105階にいたそうですが、会社は全滅で、700人くらいが亡くなりました。まだ骨も見つかっていないという人が多いのですが、敦の場合は、2001年の12月の初めに、DNA鑑定でほぼ間違いないという骨の一部が見つかったとの連絡を受けて渡米しました。02年の1月6日に最終的に確認をして、骨の一部を火葬して帰国しました」
──アフガニスタンに行こうという決意をされたのはなぜ。
「再びこういうテロを起こさないためにどうしたらいいのかを考えた結果、アフガニスタンの子どもたちを援助することが必要だという結論になりました」
──そのあたりのこと、白鳥さんが最近出された『9・11NY 息子からの伝言〜テロでわが子を亡くして』(新風舎)のなかでは、次のように書かれていますね。
「テロ後、日常に戻ってアフガン侵攻などの映像を見てから、自分の戦争体験なども踏まえて少しずつ『何かをしなければ』という思いが沸き上がってきた。敦のことを冷静に考えれば『何で死んじゃったんだろう』ということになる」
「では、『そのテロとは、いったいどういうものなんだろう』といろいろ考えていくうちに、アメリカに対して彼らが憎しみを持った原因を模索したのだ。それは宗教なのか、貧困なのか、思想の違いなのだろうかとあらゆることを想像した」
「その結果、やはり相手にも憎しみを持つ理由があったのではないかということに辿り着いたのだ」(上記『息子からの伝言』より)
──実際にアフガニスタンの行かれたのは今年の3月、米国のイラク攻撃が始まる直前という時期でしたね。
「パキスタン経由でアフガニスタンの首都カブールに入り、地方にも足を延ばしました。ニューヨークと同じように、アフガニスタンでも、米軍の誤爆などによって、一般の市民がたくさん犠牲になっていました。遺族の人たちは、そのおかげで、人生が180度も360度も変わってしまった。それもプラスではなくマイナスの方向にという人ばかりです」
──戦争の犠牲になった人たちと話をできましたか。
「米軍の誤爆で、夫と7人の子どもを亡くした女性に会いました。補償を求めて暫定政府のカルザイさんに実情を話したら、アメリカ大使館に行けと言われ、大使館に行ったら、追い返されたそうです。家の中で話を聞いたのですが、最後は家のそとまで出て送ってくれました。女性が家の外に出て送ることはめったにないそうです。そのとき、泣きながら『あなたなら私の気持ちがわかるだろう』と言ってくれました」
「また、クラスター爆弾の不発弾で足に大けがをした少年とも話しました。その子の言葉は忘れられません。『ぼくが大きくなったら、必ずアメリカに復讐する』と言ったのです。どうして、アメリカ政府はこうした子どもたちに援助の手を差し伸べないのでしょうか」
「こういう子供たちが20年後か30年後にアルカイダになるかもしれない。テロをなくす、ということは、こういう子どもたちを助けるところから始めないとだめだと確信しました」
──言葉の壁はありませんでしたか。
「現地の言葉がわかりませんから、出発前に先生について、手品を習ったのです。いろいろなところで役に立ちました。ある病院では、地雷で手足を失った少年がいました。無口であまり話さない子どもだというので、懸命に手品をして、『君たちのために勉強したマジックだ。がんばれば何でもできるようになる』と言ったら、笑ってくれました。授業料を払ったかいがありました」
──現地を見た結果、どんな支援をすることにしたのですか。
「最初、アフガニスタンに学校を建てようと思いました。しかし、実際に現地を見て、子どもたちがちゃんと生活をできないことが最大の問題とわかりました。いくら学校があっても、食べるあてがなければ、学校に行くことはできません。カブールでわかったことは、飲み水が不足しているということです。そこで、山岳地帯の川の水でミネラルウォーターを作り、それをカブールで子どもたちに売らせることを思い付いた。水が売れれば、それで子どもたちは生活費を稼げるでしょう」
──うまくいきそうですか。
「水を日本に持ち帰り、品質検査をしたところ、濾過すれば飲料になることがわかった。ミネラルウォーターを作る工場や浄化装置、容器のめどもついたので、いよいよ立ち上げることにしたいと思っています」
──資金はどうするのですか。
「敦がのこした遺産があります。それに、アメリカ政府が出してくれる補償金があります。それらをまとめた基金を作り、このプロジェクトを動かそうと思います。これが敦の気持ちに沿うものかどうかわかりませんが、彼のお金がアフガニスタンの子どもたちの役に立つなら、彼も喜ぶのではないかと思っています」
──一般からの募金は。
「プロジェクトがうまくいくかどうかわからないので、いまのところ募金は考えていません。本の印税も基金に入れるので、本を買っていただければ、と思います」
──米国に言いたいことはありますか。
「アメリカは敦を受け入れてくれたように、懐の深い国です。だから、アフガニスタンにも小さなグランドゼロがたくさんあるこをわかってほしいのです。ニューヨークの街角で、アフガニスタンの子どもたちに募金をしている女性に対して、通り過ぎる人たちが罵声を浴びせていました。悲しいですね。フセインに懸賞金をかけるぐらいなら、なぜ、誤爆の被害者や遺族に補償しないのかと思います」
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