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(回答先: Re: 助かりました。 投稿者 ぷち熟女 日時 2003 年 9 月 27 日 20:45:45)
ぷち熟女さん、どーもです。
>年商10億円の事業って何だったのかしらと思っていたのですが、
過日おっしゃった裏ビデオの配送のお仕事だったのかしら。
やはり人間の抑えられない欲望というのは、すごいビジネスチャンスを生むものなんですね。
裏ビデオはですね、10代のころに私は大田区に住んでいまして、私自身がまともな仕事はしたことが無い時でして、当時は裏ビデオというモノは歌舞伎町当たりでも1本2〜3万円という時代でした。
携帯電話がショルダー式からコードレスタイプに変わった時代です。
金儲けの発想に長けていた(自惚れですが)私は、知り合いから裏ビデオを借りまくって、それを録画して宅配したら儲かると考えました。当時は私以外のは同業社を見かけませんでした。
新宿西口のヨドバシカメラでテープをまとめて買うと、確か1本当たり100円前後だったと思います。
レンタルの携帯電話を偽名で借り、派手なビラを刷り、知り合いを雇い入れて都内のあらゆるポストにビラを配らせました。
値段が3本で1万円、10本で3万円という具合です。
私がダビングと注文受けで、3人の配達兼ビラ配りです。3人にはそれぞれ1ヶ月当たり、100万円以上の給与を支払いました。
大当たりだったのです。続々と真似をする業者が出てきました。
常連の名簿を作り、3ヶ月ごとに携帯電話と名前を変え、捕まる前に止めました。この時の私が20代の前半です。ハタチそこそこです。
以上は若い頃の、まともではないビジネスでした。
数年後に社会的信用がほしくなりました。
ローンが何も組めなかったので、ベンツを買うのにも現金だったのです。ローンが組めませんから、家を持つことが出来ずに悔しい思いを何度もしました。
そこで、きちんとした株式会社を立ち上げました。
これが輸出90%の立派な会社に成長しました。私を入れて4人の会社です。扱うモノだって正当なモノです。アメリカからオーストラリア、東南アジア全土に販売網が出来ました。銀行もいつでも借りてくれという態度でしたから、あやしい商売ではありません。
そこで、給与を年間で数千万円取っていましたので、納税額も結構大きかったです。
そのおかげで、ローンが組めるようになりまして、高級マンションが買えるようになったわけです。
20代の後半で「ダイナースカード」を持っていましたので、想像はできるかと思います。
現在はその会社を一緒に立ち上げた人物に上げてしまいました。多少の収入は現在ももらっていますが(笑)。
これで、納得して下さいな。