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幕末地震の資料分析 加古川出身の学芸員
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2003/09/22
幕末、近畿に大きな被害をもたらした一八五四(嘉永七)年の東海、南海地震。加古川市出身の矢内一磨・堺市博物館学芸員(39)が当時の古文書や絵図の分析を進め、度重なる余震におびえる堺の町人の姿など、被災した都市の一端を明らかにした。今世紀前半にも東南海・南海地震の発生が懸念される中、教訓を今に伝える貴重な歴史資料といえそうだ。同館で地震関連資料の一部を二十八日まで展示している。(仲井雅史)
矢内学芸員は、堺・真宗寺の住職が幕末に残した「地震記」を解読。一八五四年七月八日の伊賀地震、一般に「安政の大地震」と呼ばれる同十二月二十三日の東海地震、翌日の南海地震の三地震で、商都・堺の被害状況を詳細に記録していることを突き止めた。
南海地震に遭った堺の様子を、「家屋倒壊を恐れて広場に避難して夜を明かした」「南西の海から大筒(大砲)のような音が五、六回聞こえ、驚き恐れて号泣する声が響いた」と書き残し、余震が続く中「広場に避難小屋を建てて過ごした」などとも記していた。
津波被害については、水路の船が上流に流されて橋を破壊したと記録。大坂(大阪)では船で水上に避難した町人が大津波にのみ込まれ、三千人もの死者を出した点に同情しながら、被害が軽かった堺と比較している。また、東海地震の前日夜には「星が常より大きく見えた」と、“予兆”ともみられる現象に触れている。
研究成果は論文として発表。同館で開催中の企画展「江戸時代後期の堺商人」に地震関連コーナーを設け、瓦版「大阪川口大つなみ混雑記」や絵図を展示している。
矢内学芸員は「逃げ惑いながらも客観的に災害を記録し、後世に残そうとした先人の努力を伝えることで、防災意識を高める機会にしたい」と話している。同館TEL072・245・6201
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/030922ke126030.html
最近よく大地震の話がテレビ等でありますので、私個人は逆に「大地震はまだ来ないな」と楽観していますが、本当に大地震は近い将来に必ず起こるのでしょうか?