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(回答先: Re: 新自由主義の行き着く果ての社会=姿形を代えた、擬似的闇金会社が跳梁跋扈する社会(この記事関連は中々面白い、いや失礼辛辣に読ませて頂きました。) 投稿者 今日は青い目@M 日時 2003 年 9 月 28 日 11:15:41)
参照:古い記事だがこんなのもあった
これが明日の日本。調子くれたタコが落ちる。うれしいね〜。
韓国は、いま かけはし99.12.6号より
貧困人口1千万人―「景気回復」のかげで垂れ込める暗雲
保障のない「絶望の貧困」が広がっている
「新貧困」状況に直面して
1997年11月。その年、韓国の話題の中心は通貨危機による経済危機だった。応急処方がなされたものの、韓国はIMFというトンネルに深く閉じ込められた。その後、韓国人たちは、だれかれの別なく、このトンネルから抜け出るために身もだえた。わずかに光が見えたかのようだった。
それから2年、1999年11月。今日、韓国の話題の中心は、意外にも「貧困」だ。韓国はもはや「高度成長の神話」、「アジアの奇蹟」の開発途上国ではない。持てる者と持たざる者の所得格差が時の経過とともに大きくなっている。しかも貧困率は18%台に駆け上がり、一人当たりの最低生計費(23万ウォン=約2万1千円)以下の貧困人口数が1000万人のラインを上下しているという学界の報告書さえ出てきている。「希望の貧困」から「出口のない絶望の貧困」へ。韓国は、いわゆる「新貧困」状況に直面しているのだ。
関心も持たれない貧民街の人々
ソウル鍾路区敦義洞、ソウル中区南大門五街の陽洞、永登浦区永登浦一洞、鍾路区昌信洞。いずれも「都心の中の島、チョクパン(ずらりと並んだ、あばら家)」が密集した地域のある町だ。普通、半坪ほどの小さな空間に暮らしの場を置いているここの人々は、いわゆるわが社会の「下層民」。建設関連の日雇いから空きビン拾いまで職種はさまざだが、貧しい人々だ。
IMFの事態以降、野宿者たちに対しては政府や宗教団体、市民団体などが競うように関心を示したが、ここの人々は、いかなる関心さえも受けられなかった。住民登録証さえない人々であるがゆえに区庁も把握できていない人々がチョクパン・サラム(人)なのだ。それで、これ以上はないというほどに貧しいけれども、いざとなると生活保護対象者としての恵沢も受けられないまま放置されている。
韓国都市研究所ソ・ジョンギュン研究員の今年四月の調査の結果、チョクパンは敦義洞1000戸、永登浦800戸、昌信洞300戸、南大門五街の陽洞1600戸など、ソウル地域だけで5千〜6千戸ほどに達していることが判明した。
チョクパンの人々は今なおトイレがなく、バケツやプラスチックのおけを小便用容器として使用している。洗面や洗濯のできる空間がない所もザラだ。
大邱で靴屋をしていたキム某氏(48)はIMF以後、事業の失敗や失職生活の苦痛から、ある日、突然家庭を捨ててここに入ってきたというケースだ。彼はIMF以後、商売がうまくいかず、店をたたまなければならなかった。数カ月間、働き口を探したが技術がなくて仕事を見つけられなかった。就業訓練もあたってはみたものの彼にとって並大抵でないものばかりだった。ソ研究員はチョクパン調査報告書で「調査結果、家族と全く連絡をとっていない人は72・9%」と記録している。
トイレより劣る住環境と福祉の死角
ソウル冠岳区奉天九洞サン百二番地、4―2再開発地域一帯は、まるで戦争直後の廃虚のようだ。町の入り口に立つとムッとする臭いが鼻を刺す。坂道の両側に砲撃を受けたかのように半分壊れた家々が乱雑に広がっている。だが、このような廃虚でも離れがたい家としている人々がいる。撤去が始まるにつれ、みんな去っていったが、行くあてのない40世帯が暮らしている。
住民らと一緒に乾燥野菜の仕分け作業をしているイ・スンジョム・ハルモニ(72)。ハルモニは障害をもつ二男と知的障害者の娘、その娘の子どもと一緒に大変な暮らしを続けている。ハルモニは長男が別の所で暮らしているという理由で生計保護対象者になれず、このように公共勤労事業を通じて家族のめんどうを見ている。キム・ボンヨル・ハルモニ(62)も視覚障害者の二男とともに暮らしているが、やはり長男が別に生活しているとの理由で生計保護対象者になれない境遇だという点では一緒だ。
韓国保健社会研究院パク・チャニョン博士は「生活保護対象者の選定も重要だが、今は貧困の問題を住居問題の解決からアプローチすべき時」だと語った。この人々のこのような住環境を改善することなしにはビタ銭の施恵がこの人々の暮らしを質的に改善することはできない、との指摘だ。
ソウル冠岳区新林七洞は、まるで時間が止まってしまったかのようだ。俗に蘭谷と呼ばれるここは依然として80年初めの風景のように巨大な貧民村を形成している。
あちらこちらから追われるようにしてここに集まってきた人々、彼らは今も昔も相変わらぬ様相で暮らしている。ときたま、ここから脱け出す人がいる。けれども、また別の人々が素早くやってきて囲いをめぐらす。ギッシリ入ったマッチ箱のようにくっついている数知れぬ家々。この地域でもっともきれいな所は公衆トイレだ。公衆トイレは暖房が入っており、もっとも暖かな所でもある。寒い人々は、このトイレで夜を明かしたりもする。
10月30日に起きた仁川ホープ・チプ(希望の家)惨死事件。この事件も注意深く見てみると福祉の死角地帯に放置されてきた家出少年の姿を見ることができる。
火遊びをしていて囚人の身となったイム某君(14)。学校に通う盛りの年齢の彼は、なぜか、当時ここにいた。イム君は火の出たホープ・チプの実所有者であるチョン・ソンガプ氏が経営していた近くのコーラテクの従業員だった。一日十時間の労働で日当一千ウォン(約90円)という奴隷と変わらない生き方が彼の生活だった。このような生活には母子家庭という暗いしがらみがイム君をがんじがらめにしていた。
2年前、古物収集で生計を立てていたアボジが倒れた後、オモニが一男二女の生計を一人で背負うことになった。夜の11時まで食堂の仕事をしているオモニ、イム君と2人の妹は一日中、家の中でゴロゴロし、ときには三度の食事も欠いたまま眠りもした。現行の母子福祉法では4人家族基準で財産4500ウォン、月所得100万ウォン(約9万円)以下の母子家庭の場合、中高生の子どもの学費の全額と六歳未満の子どもの養育費(月1万5千ウォン)が支援される。イム君の家族にはこのような恵沢が与えられなかった。
このように仁川ホープ・チプ事件の裏面にもわが社会の貧困層の実態と韓国の福祉の暗い現状がそっくり隠されていたのだ。
経済危機脱出過程で深まる貧困の溝
貧困のワナにはまった貧しい人々。この人々に出口ははたしてないのか。あるとすれば、それは何か。
社会福祉学界は今、新たな千年を目前にした今日、韓国の貧困状況が、IMF以前とは異なる様相だという点に注目している。
1950年代など、かつてはだれもが貧しかった普遍的時代だった。それ以後、産業化が推進されるとともに、絶対貧困は徐々に緩和されてきた。統計庁の資料によれば絶対的貧困率は67年に83%。10人に8人は貧しかった。
だが1980年59・8%、90年には5・2%に減少した。だが通貨危機が状況を完全に変えた。通貨危機以後、甚だしい経済の停滞によって働き口を失った失業者が続出した。不完全就業者も増加した。中産層であっても失業者になれば一瞬にして貧困層に転落したりもした。98年の貧困率は再び7・9%へと増加の傾向に変わった。経済危機が貧困問題を一層深刻化させ広がっているのだ。
通貨危機は特に脆弱階層にはるかに大変な打撃を与えた。以前には千人にもならなかった野宿者が通貨危機後は5000〜6000人と一挙に増えた事実が、これをよく示している。保健福祉部(省)は11月13日現在、野宿者は5400人に上ると発表した。
今年に入って景気は速いテンポで回復のきざしを見せている。第1四半期の国内総生産の成長率は4・6%、民間消費増加率6・3%、収入増加率27・5%など経済指標は韓国経済が回復の流れにあることを示している。けれども実質所得や実質消費など家計の生活状態を表す指標は依然として通貨危機以前の水準に及ばない。
問題の深刻性は、このような経済危機の脱出過程が相対的貧困の溝を一層、深めているという点だ。
韓神大チョン・コノワ教授(経済学)が統計庁の都市家計調査資料を用いて分析した結果によれば、上位20%の人々は通貨危機以後、所得の減少がほとんど表れなかった。下位層に行けば行くほど所得減少幅が大きいことがハッキリした。階層間の所得格差が拡大するとともに所得分配の両極化が表れていることを示している。いわゆる20・80社会の暗雲が垂れこめるきざしだ。
無職世帯の比率も上位20%では、むしろ減少したのに対し、下位20%層では大きく増え、3分の1に達する。このような所得格差は50代以上の老年世帯でいっそう明白だ。
消費が多少、増えているのは純粋に上位階層のせいだ。上位20%の99年家計支出と消費増加率はそれぞれ9・4%、8・4%で、97年の増加率4・4%、0・6%に比べ、比較にならないほど増加している。
リュ・ジョンスン博士(サンミョン大講師)は「事態がこうであるにもかかわらず、わが社会は今なお、だれがどれほど貧困で、その人々の救済のために予算がどれぐらい必要なのかについて合意点を見つけられずにいる」と指摘する。
リュ博士は最近、支出と消費を貧困率の指標とし、わが社会の貧困率を現在18・8%だと算出した。この数値を適用して一人当たり最低生計費以下の貧民の数を推定すると、実に1029万人に達する。これは96年の762万人に比べ著しく増加した数値だ。このうち政府から授恵を受けている層は99年には一時的生活保護対象者を合わせても193万人。生活保護の授恵を全く得られない貧民はその数を測り知れないほど、ということだ。
リュ博士のこのような研究報告については方法論上の論争がないわけではないが、わが社会の貧困問題の深刻性を示す克明な数値であることには間違いがないというのが社会福祉学界の大方の味方だ。
ソン・ピョンドン平沢大教授(社会福祉学)は、わが社会の貧民問題が深刻であるのに社会的葛藤の様相が少ないのは非公式の福祉が緩衡の役割を果たしているためだと分析する。いわゆる相扶相助の伝統に基づいた家族、親戚、隣人などによる私的所得移転が通貨危機以後、生計の困難な各世帯の生計維持に一定程度・寄与しているというのだ。
であるなら、これらの貧困層に対する政府の対策はどうか。政府は現在の主要推進課題として@働き口の創出と維持A就業能力の向上B社会安全網の拡充C失業対策伝達体系の確立などとし、予算を執行している。通貨危機以後、生活保護対象者数も大きく増やした。失職者の受恵対象者も98年の9万5千人から99年には12万人へと増やし、失職者の子どもへの学費支援対象世帯も98年1学期25万世帯へと増やした。政府は特に「生産的福祉」を社会政策の理念として掲げるとともに景気活性化を通じた雇用の創出に力点を置いている。
ホ・ソン順天郷大教授(社会福祉学)は「政府が失業問題および失職家庭の生計困難な問題を緩和しようとして予算を大幅増加させてきたのは事実だが、貧困階層の基礎生活を保障するにはその方法や保障のレベルが余りにも中途半端だ」と指摘した。特に勤労能力のある自活保護対象世帯に生計費を支援するとしたが、事実上、全部の自活保護対象世帯の30%だけが冬季の6カ月間、支援を受けるにすぎない、とホ教授は付け加えた。つまり生活が困難なのに助けを得られない世帯が依然として多いということだ。
労働研究院によれば、政府の失業対策のプログラムである失業給与、職業訓練などを受けている失職者は15・5%にすぎない。失業対策の死角地帯にいる失職者が80%を超えているという意味だ。低所得貧困家庭の場合、おおむね低学歴、低技術、高年齢の悪条件を持っている。したがって、これらの人々には長期的に働ける自活プログラムが必要だ。
5人以下の事業場に適用されている雇用保険と労災保険は就労事業および公共勤労事業の従業員には適用されていない。これらの従業者らは、その相当数が女性、老弱者が多く、事故が多いが、ただ手をこまねくだけの無策だ。生活保護対象者と策定されない、そのすぐ上の低所得層には特別の支援はない。生活保護対象事業も対象者の選定が合理的でなく、生活が困難な人々が恵沢を受けられないというケースもまれではない。
来年度予算で生活保護対象者減らし
政府は8月に制定した国民基礎生活保障法が来年10月から施行されれば、このようなさまざまな問題が相当部分、解決されるだろう、と説明する。同法はだれであれ今後、韓国人は最低生計費に値する生活をすることのできる権利を保障している。
けれども2000年予算の策定で、政府は生計費支援対象である生活保護対象者数を、むしろ今年よりも少ない153万9千人と決定した。政府は失業者数が減少するからだと説明した。
だがホ・ソン教授は「失業者の規模の減少が貧困率の減少へと結びつくとの保障がない状況にあって生活保護対象者数の縮小を前提とした削減は妥当性を持てない」と指摘した。ホ教授は@失業対策よりは失職者の家庭の生計困難への対策に予算をまず投入A保護の死角地帯の除去B保護対象グループ間の平衡性の確保などを対案として提示した。(「ハンギョレ21」第284号、99年11月25日付、イ・チャンゴ記者)