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「産業再生機構」に見る構造改革の「ねじれ」
続・「竹中更迭」なくして「構造改革」なし。
2003/9/21
小泉再選が決まり、明日にも組閣が行われるという。
小泉がスローガンとしては「官から民へ」「市場重視」などを掲げながら、
実際やってきたのは「社会主義統制経済」路線であるという「ねじれ」の中で、
その矛盾を攻撃する候補者は出現せず、
あいかわらずアナクロな財政出動至上主義者達がピエロを演じるだけの、
盛り上がらない総裁選であった。
そして、小泉を本来あるべき真の「構造改革」路線に
引き戻すことができるか否かは、
「竹中更迭」が実現できるかどうかにかかっていると
いうことは先週取り上げた通りだ。
今週はこれまでの小泉・竹中「社会主義統制経済」路線の
「ニセ構造改革」の極致とでもいうべき
「産業再生機構」を取り上げてみたい。
この機構は今春、政府が「金融と産業の一体再生を図る」と
称して設立したものだ。
まず、そもそもおかしいのは、
なんのために政府が特定の企業の「再生」を手がけるのかということだ。
そんなことは本来「市場」が決定すべきものであり、
そこに政府が介入することは市場の効率的な資源配分を
損なうなどということは、経済学の基本中の基本だろう。
また、この機構を作った連中というのは、
一方で「日本は供給過剰だから不良債権処理を進め、
不振企業を淘汰し供給サイドを削減することが
デフレ克服と経済再生につながる」と息巻いていた連中だ。
私がかねてから主張してきた通り、
不良債権処理を進め、不振企業を淘汰すれば、
それに伴う資産の投売りや、国民の不安感からの倹約によって、
需給ギャップはさらに拡大し、
結局「デフレの無限ループ」に陥るだけである。
もし、彼らがそれを理解し
生かせる企業はなるべく生かした方がよいと
宗旨替えしたというのならば結構なことだ。
しかし、それは政府が民間銀行に不良債権を処理しろと圧力を掛けて
企業を潰させる事をやめることで、市場原理の中で達成できることである。
政府が個別案件に介入する必然性はなにもない。
また、同じ政府が一方で金融庁の不良債権処理の強制よる企業潰しを行い、
一方で産業再生機構を設立して企業救済をやるというなら、
それはまさに、自分で火を付けて、それを自分で消しにいくに等しい。
俗に言う「マッチポンプ」である。
そして、その中で金融庁の役人は増員され、
産業再生機構という訳の解らない「特殊法人」は新設され、
往復ビンタで政府機構は肥大化していく。
こんなことをやっていて、何が「構造改革」だ。何が「官から民へ」だ。
本来、資本主義の根底にある思想は、
個別の経済主体が自分の損得を考えて行動した結果の総和が
政府による判断による結果を上回るというものだ。
「構造改革」とは「官」が肥大化し効率の悪化した日本経済に、
もう一度、活力を取り戻すために
規制や既得権を取り除いていくことであると私は考える。
しかし、小泉がこの2年半やってきたことは
全く正反対のことばかりであった。
唯一の成果といえば、政府が民間経済におかしな介入をすると、
経済が悪化するということを身をもって示したことだけである。
それでも、総裁選ではこの小泉の言行の「ねじれ」が争点となることはなかった。
しかし、この「ねじれ」が解消されない限り
これからの3年も政府の肥大化と経済の悪化が続くことになるだろう。
そして、この「ねじれ」の解消のためにどうしても必要なのが、
先週も論じた通り「竹中更迭」である。
小泉には賢明な判断を望むと共に、
「竹中更迭」に向けた青木氏らの断固たる姿勢を期待したい。
「明日への道標」
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/page174.htm
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/index.htm