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GLA・高橋佳子の『真創世記・地獄編』のウソと矛盾
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投稿者 罰天使 日時 2003 年 9 月 23 日 22:43:09:.cqmwk1ePLJyg

GLA・高橋佳子の『真創世記・地獄編』のウソと矛盾

もくじ
◆パクリと焼きなおしの著作
◆著者のウソ
◆死後、霊がこの世にとどまる期間のウソ
◆父の著作は読んだことがないというウソ
◆5歳の佳子に、連続二十数本の注射を打ったというウソ
◆佳子が小学校3年で霊視能力を開いたというウソ
◆小学校の3〜4年時、佳子に体罰6時間正座というウソ
◆内臓破裂の青年を、天上界の光で治した信次のウソ
◆父・信次は、聖書も仏典も開いたことがないという大ウソ二番煎じ
◆「幼い者が法を説く」のウソ
◆信次は戦地へ向かった軍人というウソ
◆「父が死んでも冷静で涙を流さなかった」という佳子のウソ
◆「サタンのIF」のウソ(1)(2)
◆信次と佳子の奇蹟的霊現象エピソードの類似点
◆「ミカエル佳子の神への誓い」の大ウソ(ほとんど神への冒涜)

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◆パクリと焼きなおしの著作

 信次の娘、高橋佳子のベストセラー本『真創世記』も、父親・信次の著作と同様に、
検証すると、いろいろとウソや矛盾が出てきます。『心の発見』と『真創世記』の
内容の問題点を並べて見ると、あの親子の「ウソのからくり」がわかって、実に興味
深いです。

 結論だけまずいうならば、『真創世記(地獄編&天上編)』の「天上界」「地獄界」
の「霊界体験記」は、父親の信次がその著作『悪霊』や『心の**』シリーズに書
いていたさまざまな「霊界の話」「霊現象の話」等の焼きなおしで新味がありません。
「真創世記」の「地獄編・天上編・黙示編」の3部構成も、信次の『心の発見』三部作
と、イタリアの大詩人ダンテの「神曲」にある「地獄編・浄罪編・天堂編」の3部構成
のまねです。

 信次・佳子の「霊界話・前世話」は、大霊能者で『天界と地獄』などの霊界探訪書
で有名な「スェーデンボルグ」、アメリカの眠れる霊能者「エドガー・ケイシー」ら
の著作の内容にヒントを得ている可能性大。
 もちろんダンテの『神曲』、英国の大詩人ミルトンの書いた『失楽園』なども読ん
で創作したのでしょう。日本のものからは、大正〜昭和初期の大本教の影響や、心霊
学の分野の霊界探訪や悪霊話のたぐいを、つまんでいる可能性が高いようです。

 それらをあたかも自分の体験談であるかのようにアレンジし、さまざまなパクリと
誇張を加えて再配分したようなのが、高橋信次・高橋佳子の著書の内容でしょう。
 具体的には、「私は幽体離脱して天上界・地獄界へいった」「死者の霊と会話した」
等の内容に、「事実としての体験談」つまり本当の意味での「オリジナリティ」はなく、
思いつきのウソと個人的な感想を、それらの「創作」に織り交ぜているに過ぎないよう
です。

 実は、この『真創世記』は、いきなりまるごと書籍出版されたのではありません。
1977年のGLA誌4月号をはじめ、GLAの機関誌に、すでに佳子名義で載せられた
記事に、少しの修正を加えて転載した部分があります。(つまり、GLA誌における
記事の作成にあたって、すでに平井さんが高橋佳子の替わりに文章を書き、機関誌
の編集作業にたずさわっていた事もあるのでしょう)

 たとえば、GLA誌1977年4月号のP19-39までの佳子名義の記事「法の継承者、
ミカエルわれ立てリ・GLA主宰高橋佳子〜主エル・ランティーの直系」の内容は、
『真創世記・地獄編』の第4章<回想の父「昭和五十一年二月『あっ、大天使ミカ
エル』>P98〜118」「あとがき」として、同一文章、もしくは同じ趣旨の文章
が掲載されています。
 また、同じようなことは同誌1977年6月号の「ミカエルの使命」「GLA八周年
記念大講演会・神と聖霊と子」「連載・ミカエルは語る」などの記事の内容が、
『真創世記・天上編』にまとめて引き写されています。

 いずれにせよ、どう考えても「ウソだろ、これは」と言わずにはいられない内容が、
『真創世記』にも、これからご紹介するような形でたくさんあります。本当の著者
たるSF作家・平井和正氏が、なぜ執筆時にそれらの佳子の口から出た虚偽を見破
れなかったのかと、ちょっと不思議に思ったのも事実です。


◆著者のウソ

 高橋佳子は、SF作家の平井和正氏に『真創世記』三部作を9ヶ月かけて書いて
もらった事実を隠し、「私が天上界からの指導で自動書記で10日間で書いた」と、
教団まるごと巻きこんだ虚偽を語っています。詳細は下記。

GLA教祖・高橋佳子の『真創世記』の真の作者はSF作家・平井和正氏
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/392.html
GLA高橋佳子の『真創世記』につき教団ぐるみの虚偽記載・1977年
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/464.html


◆「死後、霊がこの世にとどまる期間」のウソ

『真創世記・地獄編(以下、地獄編)』P48
「死後三日間、霊は地上界にとどまる。肉体を離れた霊は、だいたい2〜3日の
間、この地上界にとどまっています(中略)お葬式を後の日にする本当の意味は、
死後約三日間は、肉体を去った霊がとどまっているために、送別を行うという事
なのです」

『心の対話』(高橋信次著)P115-116
「二十一というのは、あの世の定めであって、死者の霊の場合も二十一日間は、
この地上にいて、自由行動ができる仕組みになっています。(中略)二十一日間
は家の棟にとどまることができるのです。(中略)二十一日という日数はあの世
の仕組みであって(中略)死後二十一日間は、そうした自由が許されているから
です」

 このように、死者の霊の地上残留期間が、なぜ佳子と信次の間で、こんなに
違うのでしょうか。佳子は「3日間」、信次は「21日間」。どうして七倍もの
違いがあるのか、両者とも胡散臭いこと限りがありません。信次が「21という
数字はあの世の定め」などという説も、信じるに値しません。これまた思いつき
でしょう。

 既存の仏教の葬式では、死後「49日間」、神道の神葬祭では「50日間」、
それぞれ死者の霊が、地上にとどまっている(もしくはこの世に未練を強く残す)
との想定で、葬式をしています。
 これまでに加えてこのように、信次・佳子の説は嘘や思いつきや食違いばかり。
とうてい、信じることなどできません。既存の「49〜50日間、死者の霊を
とむらう」とする伝統的な葬儀に従った方が賢明です。


◆父の著作は読んだことがないというウソ

 まず申し上げますと、高橋佳子は77年当時、「私は父の著作はまったく読んだ事
がない」とまわりの人にいっていたそうですが、そこからしてもうウソがばればれ
です。
 だいたい、どこの新宗教の「子供の2代目」というか「血縁後継者」も、みんな
そういう風に「私は先代の著作を読んだことはありません」といって「2代目の
オリジナリティ」を強調する傾向が強いそうです。

 佳子が「私は父の書いた本はまったく読んでいない」というのなら『地獄編』
P102の記述はどうなるのでしょうか。

「父が旅の僧に縁があったことは父の著書(『心の発見』)にも記されていますが、
川べりで遊んでいる父に話しかけ、算数を教えてくれたり、おいしいアメをくれた
りした僧は、イエス・キリストであり、人は心であって形ではないと優しく教えて
くれた人だったのです」『地獄編』P102-103
(同一文章がGLA誌1977年4月号のP24に既出)

 これは「心の発見・神理編」のP21-23にかけての記述についてですから、佳子は
たしかに、そのくだりを読んでいます。したがって、「父の著作は読んでいない」
は嘘です。

 さらに「あのときの旅の僧は、イエス・キリストだ」ということは、「心の発見」
自体にはぜんぜん書いてません。 「神理編」では「守護霊フワイ」が「イエスの分身」
ということがあかされています。しかし、「心の発見」三部作には、その「僧」が
「イエスだった」などとは、まったく書いてありません。

 もしかすると、信次が口頭でいったのかもしれませんが、少なくとも信次の著作
にはないのです。つまり、「僧=イエス」という佳子の文も、実は「信次のウソ話
のぬり替え」をやったのではないかと疑うのです。


◆「5歳の佳子に、連続二十数本の注射を打った」というウソ

 『地獄編』には佳子が幼稚園のとき(5歳位。1956年生まれだから昭和
36年当時) とつぜん「ひきつけ」を起こし、「幽体離脱」して、「魂の自分」
と「肉体の自分」に分裂する現象を経験した経緯が書いてあります。
 問題は、ひきつけて意識をなくし、病院に運ばれてからの処置です。

「医師のもとへ運ばれ、20本注射を受けても覚醒せず、さらに数本の注射で
やっと肉体に意識が戻り、泣き出したのでした」『地獄編』P79-80

 冷静に読んでいただきたいのです。何かおかしくはないですか? そうです。
注射の本数。いくら40年以上も前の話でも、5歳の女児に一時に「注射二十数本」
打てるものでしょうか? 医者も親も、そんなことを許すわけがありません。

 幼児はたった一本の注射を打つのだって大変なのです。それを、いくら意識が回
復しないからといって、二十数本も連続して注射する医者がどこにいるでしょうか。
 だいたい、ちいさな幼稚園児の体のどこに、二十数カ所も注射できる箇所がある
というのでしょう。おまけにアレルギーやショックを考えたら、注射以外の方法を
とろうとするのが、まともな医者のやることでしょう。

 娘の体に20本以上も注射するのを、信次や一栄が許したとは考えられません。
 ほんとに二十数本の注射を連続してうったら、手足に障害がのこるか、薬の副作
用で脳や内臓をやられ、ひどければ死ぬかもしれない。これが実話ならば、問題医
です。ぜひどこの医者か教えてほしいものです。

 これは、医学的な知識にとぼしい女子学生だった佳子にふさわしい「幼稚な
つくり話」と見た方が順当ではないでしょうか。父の信次が、10歳の時、心臓が
とまって幽体離脱した経験があったので、それと同じことを、その半分の年令で
「経験」したのだと、「箔をつける」ためにでっちあげた話としか思えません。

 すなわち、5歳のとき「ひきつけを起こして幽体離脱し、魂の自分という
もうひとりの自分がいることを実感した」という話も、佳子の創作だろうという
のが私の結論です。


◆「佳子が小学校3年で霊視能力を開いた」というウソ

 小学校3年のときに、佳子には「突如、霊視がきいて」、毎晩零時ごろから、
さまざまな「小人の行列」を見るようになったと書いてあります。

『地獄編』P78
「そうした傾向がはっきりしたのは、小学校三年生の時でした。ある晩、突如、
霊視がきいてしまったのです。たくさんの霊が見えるようになったのです。江戸
時代のマゲを結っている人、ギリシャ時代の寛衣を着ている人、さまざまな霊が
明確に見えます。ふつうの背丈ではなく、十センチほどの小さなサイズなのが
奇妙でした。それらが毎晩連続して見えるのです。」

「・・・法螺貝を吹き鳴らす音を合図に(中略)戦国時代の鎧武者や白装束の
人々が次々に押し入れから降りてきて、私の枕元を歩いてゆきます。ミシミシと
鳴る足音がはっきりきこえます。
 眠っている両親を起こして訴えましたが、とりあってもらえません・・・・
信用してもらえなくても、実際に見えるものはどうしようもありません。
 目を閉じていても布団の中にもぐっていても見えてしまいます」P78-79

 首をかしげてしまいます。「目を閉じていても布団の中でも見える」というのは
「霊視」ではなく「妄想」「脳内イメージ」のことでしょう。「霊視」というのは、
普通は「肉眼で見て二重映し」とか、肉眼で見ているが、実際はほかの人の肉眼で
は見えないものを発見する能力のことです。
 目を閉じていて見えるとか、布団の中からも見えるというのは「能動的に見たい
と思って精神集中するとき」以外はないのではないでしょうか。
 しかも「法螺貝の音」とか、小人の幽霊が歩く「ミシミシと鳴る足音」など、
「霊聴」まであるのですから念が入りすぎています。

 小学校3年で初めて霊視ができるようになったシチュエーションとしては、
不自然なものがあります。しかも、小人の行列を、それから2週間以上、毎晩見
ることになったのに、「毎日何時ごろまで」とか「一晩に×時間ぐらい」とかいう、
「小人の行列が見える時間の長さ」が書かれていません。
 それほど印象的な出来事が長く続いて、しかも両親をたたき起こすのですから、
「時間」というものは、おおよそ記憶に残っているはずで、それが書いてないと
いうのはおかしい。

 だいたい、佳子が小学校3年といえば9歳ぐらいのとき、すなわち1965年当時の
ことです。『心の発見』などによれば、当時の信次は「家族に神仏の事を語らない
日はなく、予言のできる霊能者あつかいされた日々」を送っていたとあります。
 このような家族の背景下にあって、娘の佳子が「おとうさん、毎晩不思議なもの
が見えるの。いろんなかっこうの小人がみえるの。起きてちょうだい」と毎日、
2週間も訴えたら、信次も「この子には霊視が発現したかも」とわかりそうなもの
です。
 ところが、佳子は『地獄編』P79で両親がとった最終措置をこう記しています。
「連夜のことでさすがに両親も音を上げ、終夜豆電球をともしておくことになり」
 それで、「小人の行列」は現れなくなったそうです。

 さまざまな霊能者の体験談や霊視現象をあつかった諸文献でも、「ふとんの中
に入っていても見える」「法螺貝の音や小人幽霊のミシミシ鳴る足音も聞えた」
などというケースを、私は読んだことがありませんし、そんな子供が「目を閉じて
いても見える」などというケースも知りません。

「小人の行列」を見る話自体も、「私は霊(幽霊)をみた」という体験談や不思議話
によく出てくるパターンです。もっとも「法螺貝」だの「足音」はなしですが。
 ちなみに、覚醒剤や麻薬、アルコール中毒など、薬物性の幻覚症状でも、「小人
の行列が見える」というのは、よく報告されるケースのようです。

 父親の信次の「現証」やまわりの人々の霊体験話、またさまざまな怪奇実話の本
などを読んで、「霊体験についての知識」をたくわえれば、学生でも佳子が思いつく
程度の「つくり話」はできるということです。

 もともとはたわいない女子大生の「つくり話」でも、平井和正さんというベスト
セラー作家の手にかかって表現されれば、「本当にあった話」という印象を強めて
しまう。そのような平井さんの文章力を、佳子は利用して、自分の表現力の欠如を
補完し、自らを嵩上げしたのかもしれません。


◆「小学校の3〜4年時、佳子に体罰6時間正座」というウソ

『地獄編』P80-81
「小学生(中学年)の頃・・・父と意見が対立し、猛烈に叱られたことがあります。
父は私に反省を促すべく正座させます・・・床に竹刀を一本しき、膝の裏側にもう
一本竹刀をはさみこませるのです・・・その痛さはなみ大抵のものではありません」

 それで、小学校3、4年の佳子は、そういう状態で、「自分の非は認められない」
と、父・信次に妥協できずにがんばり通したのだそうです。

「私はとうとう6時間、正座し通しました。父も・・・内心困りながら親子でがんば
り通しました」P81

 さて、冷静に常識に照らして考えましょう。ここに小学校4年生の女の子がいます。
この子が、父親に叱られたが、納得いかないと意地をはる。お父さんは、小さなわが
娘のむこうずねの下に竹刀を一本、膝の裏に一本、あわせて2本の竹刀をはさませ、
正座させる。

 10歳程度の女の子が、その状態で「六時間ぶっとおし」で座りつづけるなど、
できることでしょうか?「六時間」といったら、夕方6時にはじまっても、終わる
のは深夜零時。ただの「正座」でも、10歳の女の子にそんな長時間正座が可能で
しょうか。

 しかも、竹刀2本で足を挟まれ、六時間も堪えぬけるわけがない。これが本当なら
「児童虐待」です。佳子の足に障害が残ったはず。
 どうも先述の注射20数本の連続打ちやら、この「竹刀ばさみ6時間正座」など、
本当だとしたら信次も一栄も「児童虐待」親としかいいようがない。

 ですから、この話も「つくり話」だと私は信じます。なにしろ、父親信次は『心の
発見』で「4日間で8キロやせた」と平然とウソをつく人間です。娘がその性癖を受
け継いで「信者をつなぎとめるテクニック」「才能ある信者の利用法」を父親から
伝授され、「履修済み」なら、十分に「ウソのつき方の教育」はなされていたこと
になります。


◆「内臓破裂の青年を、天上界の光で治した信次」のウソ

『地獄編』P97では、死期をまぢかにひかえた信次が、「この病気は絶対に、お医者
さんでは治せないんだよ」と佳子に告白するくだりがあります。もちろん、具体的な
病名は何も書かれていません。世の中に「不治の病」はいろいろあるのに、なぜこん
なもったいぶった書き方をするのでしょう。

 それはともかく、病気で弱気になったかのような父の発言に対し、(これもどこま
で実話か、あやしいものですが)非常なショックを受ける。そして、そのショックの
原因を『地獄編』でこう述べます。

「父は昔から、二日と寝込むことのない頑健さの持ち主でした・・・その力は他人に
も及ぶのです。交通事故でほとんどの内臓が破裂し、医師に見放された若者を、天上
界からの光を注入して治してしまった偉大なパワーの持ち主なのです」
(『地獄編』 P97)

 私は、GLA在籍中もGLA機関誌や信者の間のうわさ話でも「信次や佳子が、どこそこ
支部や本部や各地のだれそれの重病や大ケガを、光を入れて治した」という話を、
一度も聞いたことがありません。
 ましてや、信次が「ほとんどの内臓が破裂した青年を、光を入れて治した」などと
いう「伝説」も一向に聞いた試しがありません。また信次の著作のどこにも、そんな
「逸話」は書いてありません。もちろん、私が聞いた信次の講演テープでも 聞いた
ことがないのです。
 これほどすごい「心霊治療」が「実話」だったら、もはやGLA内部にとどめておく
ことは不可能でしょう。マスコミが騒ぎ、新興宗教界がさわぎ、GLAの八起ビルには、
イエス・キリストの心霊治療を求めて群衆が押し寄せたように、病気の人々が怒涛と
なってやってきたはずです。
 しかし、そんな話もさっぱり聞いたおぼえがないのです。

 この「内臓破裂を光を入れて治した」という話で、思い出すのが、90年代はじめ
霊能者として、一時有名になった「高塚光」氏のことです。
 高塚氏は、その類まれな霊能力で、「母親が心臓破裂で救急の集中治療室に運び
こまれたとき、ハンドパワーでその心臓を治して回復させた」という話が、一時期、
まことしやかに宣伝されました。角川春樹氏(角川書店社長当時)も入れこんでいた
人物です。
 ところが、その「心臓破裂」したはずの母親に取材して確認したという話があり
ません。どこの病院の集中治療室に運ばれたのかもわからない。だいいち、いく
ら息子でも、集中治療室に素人がすんなり入れてもらえたとも思えません。
 などなど、不審な点が重なって、今ではそんな話は消えてしまいました。
 実話であれば、まことにすごい話ですが、その話を聞いて高塚氏に助けを求めた
人々も、たくさんいたはずです。それなのに、「高塚さんに命を救われた」「死ぬ
ところを助けられた」という話を、まったくきかないところをみると、やはり「母
の心臓破裂をハンドパワーで治した」というのも、疑わしいとあやしむのが「常識」
というものでしょう。

 だいいち、これほどの「奇跡談」なら教団にとってもいい宣伝で、勧誘の絶好の
チャンスのはず。伝道にこれほど強い味方もありません。ところが、そんな「奇跡談」
はGLAの中でさえまったく聞きません。
 つまり、信次の「ほとんどの内臓が破裂した青年を天上界からの光で治した」
という佳子の記述も、その青年や家族や診察した医者などの「証言」「実在の証拠」
がない限り、 根拠のない作り話とみなさざるをえません。
 こういうウソを平気で語り、人に書かせて、25年も堂々と本にして売り続ける所
が、高橋佳子のなみなみならぬ「二代目教祖」の神経といっては言いすぎでしょうか。


◆「父・信次は、聖書も仏典も開いたことがない」という大ウソ二番煎じ

『地獄編』P100
「父もまた、仏典と同じく、聖書を開いたこともない人です。その父が見かえりなさい
と聞いたとたん、『あっ、大天使ミカエルか』と悟ったのです。内在された偉大な90%
の知恵としか言いようがありません」
(同一文章がGLA誌1977年4月号のP22に既出)

 問題の「ミカエル登場」のシーンです。しかし、信次の10人兄弟のほとんどが創価
学会 員で、毎日「折伏に来る」という環境(「心の発見・神理編」)で、仏典開いた
ことないはないでしょう。すでにその矛盾は下記で指摘してあります。

「GLA高橋信次の著書(『心の発見』など)は虚偽とまちがいだらけ3
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/538.html
GLA・パクリ教義にも罪悪感なき恥ずべき父娘・高橋信次&高橋佳子
http://asyura.com/0310/bd29/msg/128.html

 信次は「神理編」編で、こう書いています。(P208)

「私は宗教書は、ほとんど読んだことがない。私の神理を聞いている多くの人の中にも
・・・学者や僧侶も多くいるので、文献や書籍の物的証拠を持参してくださる方もいる。
私は・・・なかなか読む時間もないが、そうした人々の教示は実に参考になるのである」

 そして、その続きで「経文の一節」を自分で5行ばかり「引用」しています。
 ほかにも「ホウレンゲンサンガンジュ」などの経文の一節を、同書P138に書いていたり
するのです。
 これらは「仏典」を開かずして「引用」できるわけがありません。信次のまわりに参考
文献を届ける人々がいて、多忙でも「文献や書籍の物的証拠」を受取り、「そうした人々
の教示は実に参考になる」と書いていますから、目を通していた事は明らかです。

さらに信次は「神理編」P204/11行目からP207/4行目まで「新約聖書」の「使徒行伝」
第2章1節〜28節を、そっくりそのまま引用しています。またモーセが奴隷の子だった事
を著書に書いたり、晩年の講演会「正法の流転」「新復活」「太陽系の天使たち」でも、
旧約聖書に出てくる預言者エリヤとアハブ王の対決など、旧約聖書にある通りの話を、
ミカエルにからめて脚色の上、くりかえし語っています。
 聖書を開くことなくして、このような「引用」はできません。

 ですから、佳子が「父もまた、仏典と同じく聖書を開いたこともない人」というのは、
信次自身の著述と矛盾するウソです。故に「ミカエルの名前をきいたことがなく、それ
を反射的にわかったのは、魂の叡智である」と断定することも不可能です。
 信次は宗教書の類を人から提供されて読んでいると、みずから述懐しています。
聖書・仏典からの引用があきらかな文章を著書に書き、講演会で繰り返しています。
 こうなると『真創世記・地獄編』P100の信次と佳子の「ミカエル発見」についての
くだりも、なにからなにまでウソだろうといわざるをえません。


◆「幼い者が法を説く」のウソ

『地獄編』P95にはこんなことが書かれています。

「一昨年(昭和五十年)の暮れ、父は年内に帰るかもしれないと言い出しました。
(中略)父は以前から、講演のたびごとに力をこめていう言葉がありました。
「必ず幼い者が、大人に法を説く日がくる」
 若者が『法』の後継者として立ち現れる。その若者が父を救う。そういう意味
なのです。
『それがだれであるかはわからない。これだけはだれにもわからないのだ』
 講演の都度、血を吐くような思いをこめて父は訴え続けました」

おかしなことに晩年近くの1975年(昭和五十年)、1976年のどの講演会の記録にも、
そんな言葉を見出せません。
「講演会のたびごとに」「講演の都度、血を吐くように」ということであれば、
記録に残っているはずですが、全く見当たりません。つまり、信次がそのような
言葉を語り、毎回力説していたという事実はないようです。
 この『地獄編』の記述も、佳子が父親から受け継いだ得意技の「詐話」でしょう。
なんたるウソつきでしょうか。


◆「父・信次は戦地へ向かった軍人」というウソ

『地獄編』P81
「昔の父は、陸軍幼年学校から戦地へ向かった典型的な軍人かたぎ」

とありますが、信次が戦場へいったことがなかったことは、下記で証明済みです。

GLA高橋佳子の父・高橋信次の「軍歴詐称」
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/356.html
GLA高橋信次(高橋佳子の父)と東大教授の対談記事(昭和46年)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/357.html

 したがって『地獄編』P103-104の記述もウソです。

「ミカエルは(信次の戦友の)友人の口を借りて語った言葉を父に思い出させました。
その友人が特攻に出撃する日に、父に告げた言葉です。『魂は永遠だよな、高橋』
『人間は肉体だけじゃない。いま日本は世界を相手に戦争してるが、こんなことは
ちっぽけなことだ。すべての人間は、本当はひとつのものなんだよな』父の記憶に
はっきりと刻み込まれていた友人の言葉が、ミカエルの通信だったのです」
(同一文章がGLA誌1977年4月号のP25に既出)

 なぜなら、信次は正規の兵士になったことはないので、具体的にはこの記述は、
次の4点において「真っ赤なウソ」をついていることが証明されています。

1. 信次に特攻行きを見送るような「友人」はいなかった。
2. 架空の友人の言葉も架空である。
3. 架空の友人の言葉を伝えたというミカエルも架空である。
4. 信次も佳子もウソつきである。

 すなわち、『心の発見』にあることも、『真創世記』にあることも「戦場に行った」
「命を何度か危険にさらされた」「友人の特攻出撃の場にいあわせてメッセージを
もらった」という各場面も、まったくの「ウソ」「つくり話」です。


◆「父が死んでも冷静で涙を流さなかった」という佳子のウソ

『地獄編』P116-117
「父の心臓は停止したのでした。おろおろしている人々の中で私だけがひどく冷静
でした。(中略)全員が泣き崩れている中で、私だけが泣きませんでした。ひどく
冷静で泣けないのです。泣くよりも、やらなくっちゃという決意だけがありました。
父に向かって私は語りかけていました。
『我らが父よ、私は必ず使命を果たして帰ります。私を信じてお帰りください』
 泣き虫の私が涙一粒こぼしませんでした」

 ところが、当時GLA会員だった方の目撃証言では、こういう事実が指摘されて
います。
「葬儀の場で、泣き過ぎて腫れた瞼で、高橋信次の遺影を持つ佳子の写真を見た」

 尊敬してやまない父親を亡くして目を泣き腫らした娘・佳子の方が、常識から
考えても実際の姿でしょう。「泣き虫のはずの自分だけが、ひどく冷静で泣けず、
決意だけがあった」などという「作り話」は、もうたくさんといったところです。


◆「サタンのIF」のウソ(1)

 佳子は『真創世記』の中で、まことしやかに悪霊やサタン等「天使に敵対する勢力」
のことを書いていますが、それも次のような記述から、いかに思いつきのでっちあげで
あるかが証明されます。

 まず、第一には、「『真創世記』は自動書記で10日間で書いた」とウソを『地獄編』
あとがきで述べていますが、念のいったことに、同じあとがきの続きにこう書いている
のです。

「私が、精神を集中して原稿を書き出すと、ポルターガイスト(騒霊)のように、物質が
空中に浮いたり、ものすごい勢いで強烈なエネルギーが私の周りに渦巻きはじめたり、
部屋中に、大きな奇怪な笑い声がこだまするのです。彼ら憎悪の念で満ちている地獄の霊
たちにとって、地獄界の真実をあからさまに記されてしまうことは、絶対に阻止しなけば
なりません。そのためにあらゆる手だてを使って、妨害を加えるのです。悪霊たちは、
そのあらん限りの力を振りしぼって、私に幾度となく挑んできました」
(『地獄編』P234-235)

 手に汗にぎるような描写ではありますが、自分が書いていないのに、こんな「悪霊の
妨害現象」など起こるはずがありません。

 また、このあとがきの元になった「GLA誌1977年4月号・法の継承者、ミカエル
われ立てリ・GLA主宰高橋佳子〜主エル・ランティーの直系」記事では、こう書かれて
います。

「十月が来て、私はホテルに入りました。机に向かってペンを動かすと、何も書いた経験
のない私なのに、どんどん筆が進んでいきます。ペンが踊るように、原稿用紙の上を走って
ゆきます。このとき、1日、70枚(1枚の原稿用紙は400字)のスピードで文字を書き
ました。まさに奇跡としかいいようがありません。(中略)また、ホテルのなかで、さま
ざまな霊現象がおきました。つまり、私の部屋は、あらゆるものの想念の磁場となっていま
した。すなわち、真なる世界、地獄の世界、悪霊の世界が、部屋全体に集約され、さまざま
まエネルギーが交叉するという状態でありました。(中略)私の周りのオーラーは、まるで
バリアーのように、多くのものが飛んできても、私を守ることができました。夜中に大きな
声で笑う声が聞えてきたり、色々な邪魔が入りました」(P35-36)

 繰り返しますが、「1日70枚」もウソなら「ホテルの私の部屋は、あらゆるものの想念
の磁場となっていた」ことも、ぜんぶウソででたらめです。文章は、平井和正さんに書かせ
ていたのですから、佳子本人に「原稿執筆を邪魔するサタン」の霊現象が起こるわけがない
のです。ポルターガイストまがいから、奇怪な笑い声、部屋じゅうを物がとんでくるなど、
ぜんぶ「作り話」です。


◆「サタンのIF」のウソ(2)

 さて、佳子は「旧約聖書」の預言書のひとつ、「イザヤ書」についても『地獄編』に、
でたらめを書いています。「サタンのIF」などウソっぱちです。

「5.サタンのIF(イフ)

 サタンは常に「IF」「もし〜ならば」という仮定法を使用して話を始める性癖を持ち
ます。イザヤ書14章にある言葉が、その典型です。

(もし)私は(が)天に登り(ならば)
私の玉座を高く神の星の上におき、
私は北の果てなる集会の山に座し、
私は雲の頂に登り、
私はいと高き者のようになろう

 このようにすべて「仮定」であり、文頭には「私」という言葉が出てきます」(P228)

 これは正確には「14章13〜14節」です。
 12節から、日本語訳聖書ではこうあります。

「ああ、おまえは天から落ちた
 明けの明星、曙の子よ。
 おまえは地に投げ落とされた
 もろもろの国を倒した者よ
 かつておまえは心に思った
『私は天に登り
 王座を神の星よりも高く据え
 神々の集う北の果ての山に座し
 雲の頂に登って
 いと高き者のようになろう』」

 訳によって微細な違いはありますが、日本語訳の場合は、上記のと似たりよったりで、
佳子が提示したような「私は」を連続して訳出はしていません。また佳子が書いたよう
に(もし)(ならば)などという意味を補っている聖書もありません。「私は」が連続
しているのは、おそらく英訳聖書の同文を直訳したからでしょう。こんな風にあります。

[I will ascend to heaven;
I will raise my throne above the stars of God;
I will sit enthroned on the mount of assembly,
 on the utmost heights of the sacred mountain.
I will ascend above the tops the clouds;
I will make myself like the Most High.]
(ISAIAH 13:13-14)

 英文のくだりにも「IF」なんてどこにもありません。
 I will ascend to heaven;には「私は登ろう」という「意志」の意味はあっても、
「もし〜ならば」という仮定法を見出すことはできません。
「I=私は」というのも、詩の韻を踏んでいるだけで、別に「悪魔の自己顕示欲」を
表現するものではありません。

 おそらく、この12節で「ああ、おまえは天から落ちた明けの明星、曙の子よ」など
と書かれてあるので「きっとこれは、暁の子ルシフェル、すなわちサタンの言葉にちが
いない」と信じこんで、むりやり(もし〜ならば)という意味を捏造したのでしょう。
 ですが、それはまったく無駄なでっちあげです。

 この章句で指摘されている「天から落ちた明けの明星、曙の子」とは「ルシフェル」
ではありません。14章の冒頭で、「主=ヤハウェ」の言葉としてこう書かれてある
からです。

「そのとき、あなた(イザヤ)はバビロンの王に対して、この嘲りの歌を歌う」

 佳子がひっぱってきたイザヤ書14節13〜14章は、その「嘲りの歌」の一節で
あり、「天から落ちた明けの明星、曙の子よ」は「バビロン王」に対する嘲りの呼び
かけであって「ルシフェル・サタン」への言葉ではありません。

 ですから、イザヤ書の該当部分が「すべて仮定」であるというのも「サタンは常に
『IF』『もし〜ならば』という仮定法を使用して話を始める性癖を持ちます」という
のも、「すべて虚偽」。そして、「佳子は常に『ウソ』『ウソでも本当』という詐術を
使用して話をする性癖を持ちます」。


◆信次と佳子の奇蹟的霊現象エピソードの類似点

 先に指摘した「幼稚園時に幽体離脱、注射20数本でやっと肉体にもどった」と
いう話と、信次が「10歳くらいのとき、心臓がとまって幽体離脱し、心配した
親が頭にお灸をいっぱいすえたので、今でも頭のあちこちがでこぼこしている」
という話と、ちがうところは「年令のちがい」「お灸と注射のちがい」くらいな
ものです。

 したがって、これまでの検証の結果、考えられるのは、次のような3通り。

1信次も佳子も「幽体離脱」の経験などしていない。
2信次の経験は本当だが、佳子の話はつくり話である。
3信次も佳子も本当のことを言っている。

3は「注射20数本」があきらかに虚偽なのでありえません。
2も、信次は「現証編」では「アメをくれた僧」の話にまったく触れておらず、
「神理編」にはなかった記述が挿入されていて疑わしいです。つまり、「幽体離脱
している間、天上界の世界にいって、すでに死んだ人たちと会話し、親切な老人
につれられ、世界じゅうの人たちが集まっている大きな建物にいったりした」
(現証編P12)と、「神理編」にはなかった「霊界探訪」じみた話に変えられて、
「創作」臭がきついのです。

 父娘の著作の内容を「対照」することで「相乗効果」が生まれたせいか、結論
はどうやら「1」のようです。仮に、この親子に「幽体離脱」めいた体験があった
としても、著書に書いたことは針小棒大もいいところの「あきれるような誇張」が
なされているのでしょう。「まったくのウソ」か「ウソにちかい常識を超える誇張」
か二つにひとつで、いずれにせよ「実話」というには程遠い「作り話」としか思え
ません。


◆「ミカエル佳子の神への誓い」の大ウソ(というか、ほとんど神への冒涜)

 父の死のすぐ後、佳子は父親の跡を継ぐ決意を固め、こんな神への誓いをした
と書いています。

『地獄編』(P118)
「・・・私は大宇宙なる神にお願いしたのです。
『もし、私が人々にまちがったことを教えていくようなことがあれば、私をすぐ、
あなたの御許におかえしください。なぜならば、私は虚偽、虚説を教えること
などできません。私の言葉により、多くの人々が迷い、苦しむことがあれば、
それは大罪であり、私のもっとも恐れることです』」

『GLA誌1977年4月号・法の継承者、ミカエルわれ立てり』(P34-35)
「ミカエルを信じて下さい。(中略)もし私がニセ預言者ならば、私は帰るべきで
しょう。人々をまどわし、混乱におとし入れるならば、それは天使でもなんでも
ありません。もし私、使命がないものならば、私はこの地上にいる必要がありません。
間違ったことを人に教えることは大変な罪になります。人の人生や魂を狂わせてしま
うことになります」

『GLA誌1977年6月号・GLA八周年記念大講演会・神と聖霊と子』(P42)
「ですから、神の命で出ている私がまちがったことを人びとに伝えるならば、私は
肉を去らねばならぬでしょう。生きている資格などありません。まちがったことを
人びとに教えるくらいなら、私はいつでも命を断った方がいいと思っています。その
決心は変わりません」

 この著書でも講演会でも大言壮語された誓いが真実なら、佳子は生きている資格が
ないわけです。
『真創世記』を出そうと思った1977年から、すでにこの世の人ではなかったはずです。
 佳子や信次の虚偽本が出版され続け、まだ生きていること自体、上の「誓い」も
また「虚偽・作り話」である確かな「証拠」です。
 人にも神にもウソをつかないと生きてゆけない、哀れな父娘・・・それが高橋信次
と高橋佳子の本当の姿でしょう。


<関係資料群>

宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧1(15年6/13版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/358.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧2(15年7/1版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/530.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧3(15年8/24版)
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/542.html
GLA・高橋信次(高橋佳子)の虚言癖・詐話癖を告発する
http://www.asyura.com/0310/bd29/msg/129.html
GLA・パクリ教義にも罪悪感なき恥ずべき父娘・高橋信次&高橋佳子
http://asyura.com/0310/bd29/msg/128.html
GLA高橋親子関係・阿修羅内/総合検索結果一覧(1度に見たい方はこちらが便利かも)
http://www.google.com/search?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=site%3Aasyura.com+GLA+%8D%82%8B%B4&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=lang_ja

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