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(回答先: 「イマジン」はジョンとヨーコの合作 英紙報道 投稿者 クエスチョン 日時 2003 年 8 月 31 日 22:28:30)
今日NHKラジオを聴いていたら、イムジン河をやっていました。
今日床屋で散髪してもらいながらラジオを聴いていたら、懐かしいザ・
フォーク・クルセダーズのイムジンガンをやっていました。例の、発売寸
前にレコード発売中止になった曲です。その後、マスメディアの放送で聴
かれることはなかった。最近、CDが復刻された。韓国の歌手キム・ヨン
ジャさんもNHKの衛星放送で歌ったらしい。この歌詞のように、鳥が自
由に飛び交うように、朝鮮の人々が行き交えるようになるのは何時のこと
なのだろうか。
フォークル版(松山猛・日本語詞)から
♪イムジン河水清く とうとうと流る
水鳥自由に むらがり飛びかうよ
我が祖国南の地 おもいははるか
イムジン河水清く とうとうと流る
♪北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を二つに わけてしまったの
だれが祖国を わけてしまったの
以下、参考資料。インターネットで見つけた、帰って来た「イムジン河」考
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http://www.dwell-info.com/nrs/rsnewa1.html
【時評】四月十八日(ページの先頭に戻る) 小林たかし
帰って来た「イムジン河」考
●三月十七日付『朝日新聞』の「六八年、発売中止のフォークル版『イム
ジン河』CDに」という記事を読んで、さっそく秋葉原へ行ってこのCD
(アゲント・コンシピオ社)を買ってきました。ついでに、この四月に、
朝鮮民主主義人民共和国を訪れて公演してきた韓国の歌手キム・ヨンジャ
の「リムジン江(ガン)」の入っているCD(日本クラウン『虹の架け橋』
二〇〇〇年十一月)も買いました。六八年の「イムジン河事件」について
知らない人のために少し記しておきます。「フォークル版『イムジン河』」
の「フォークル」とは、フォークソング・グループの「ザ・フォーク・ク
ルセダーズ」(加藤和彦・北山修・端田宣彦の三人)のことですが、彼ら
を知らなくとも、彼らの大ヒット曲「帰って来たヨッパライ」はご存知で
しょう。京都の学生バンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」が六七年に自
主制作した三〇〇枚のレコード「帰って来たヨッパライ」は、東芝レコー
ドから発売されて数ヶ月で二〇〇万枚の大ヒットとなったのです。「発売
中止のフォークル版『イムジン河』」の日本語の詞を書いた松山猛が、こ
の三月二十一日にリリースされたこのCD『イムジン河』のライナーノー
ツを書いていますが、以下は、その一節です。
●「僕が『イムジン河』という歌を初めて耳にしたのは、京都で育った中
学生の頃のことだ。その頃朝鮮系の生徒と日本の若者は、ことあるたびに
ケンカばかりしているという現実をなんとかしたいという、純情な動機を
胸に、サッカーの対抗試合を提案に出かけた時、当時銀閣寺近くにあった
朝鮮中高等学校の、どこからか聴こえてきたコーラスが『イムジン河』だ
ったのだ。それから数年、十代の終り頃にザ・フォーク・クルセダーズの
加藤和彦に、ステージで歌ってみたらとその歌をつたえた。あの頃京都は
アマチュアによるフォークソング・ブームの只中であり、そしてアジアの
一画ヴェトナムでは、終りのなさそうな戦争が続いていたのだ。戦争で傷
つく人や破壊される文化や暮し、そして政治的対立による国家の分断。そ
んなことはもうごめんだし、早く世界が希望にあふれた人間の棲家になれ
るようにとの、願いをこめて詞を書いたのだった。(……)『帰って来た
ヨッパライ』に次ぐ、シングル・カット第二弾として用意された『イムジ
ン河』は、あまりに政治的問題の種にされやすいと、発売を目前に、東芝
レコードが発売を中止するとの判断をしてしまった。」
●これだけでは「イムジン河」レコード発売中止事件の経過は、よく分か
らないと思います。そこで、「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバー
だった北山修が書いた『ビートルズ』(八七年講談社現代新書)のなかに、
二〇数行ほどこの事件についての記述があったので、その一部を引用しま
す。
●「三八度線によって分断された民族の悲劇を『イムジン河水清くとうと
うと流る』と歌ったこの唄は、すでに深夜放送を通じて大ヒットしていた。
友人からこれを教えられて『朝鮮民謡』と理解していた我々は、しかし原
作者が北朝鮮にいたことから、朝鮮総連の抗議を受けることになった。
『北』からの抗議理由の一つは、本来『北は南よりも住みよいところ』と
いう意味の歌詞を、『北の大地から南の空へ水鳥自由にむらがり飛びかう
よ』と歌って、より自由な意味に変えてしまったという点にあった。そし
て今度は『南』からも抗議を受け、さらに『盗作』呼ばわりもされて、レ
コードは二月二十一日の発売直前に回収されてしまった(注:朝鮮総連の
実際の要求は、朝鮮民主主義人民共和国の原作者名を明記すること、とい
うものであったらしく、我々のレコードの発売は決して不可能だったわけ
ではないと思う)。」
●これで少し事情が分かりかけてきたと思います。でも、北山修が「歌詞
を」「より自由な意味に変えてしまった」というところがよく分からない
と思います。というのも、彼が対比している「北は南よりも住みよいとこ
ろ」と、「北の大地から南の空へ水鳥自由にむらがり飛びかうよ」とは、
まるで違う歌詞だからです。彼は、なにか思い違いをしているのではない
でしょうか? よく分かりませんが。ということは、「イムジン河」の歌
詞(訳詞)そのものに問題があるのではないでしょうか。そこでつぎに、
この歌の訳詞(日本語詞)ふたつと、原曲の歌詞(ハングル)からの翻訳
詞を紹介しますので、比較してみてください。
●最初は、六八年フォークル版(松山猛・日本語詞)から。
♪イムジン河水清く とうとうと流る
水鳥自由に むらがり飛びかうよ
我が祖国南の地 おもいははるか
イムジン河水清く とうとうと流る
♪北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を二つに わけてしまったの
だれが祖国を わけてしまったの
●つぎは、李錦玉の訳詞で「リムジン江(臨津江)」。李錦玉という人が
どういう人か知りませんが、この訳詞は『日本流行歌史』(七〇年、社会
思想社)に載っていました。
♪リムジンガン水清く 静かに流れゆき
鳥は河を 自由に飛びかうよ
南のふるさとへ なぜに帰れぬ
リムジンの流れよ こたえておくれ
♪水鳥かなしく 南の岸でなき
荒れた畑に むなしく風たつ
幸せの花咲く 祖国の北のうた
リムジンの流れよ こたえておくれ
●最後は、ハングルからの翻訳です。翻訳は友人の世良砂湖さんにお願い
しました。
彼女はその際、「『歌を歌うための訳詞』はすでにありますから、わたし
はできるだけ直訳するようにしてみました。」とのコメントも寄せてくれ
ました。
♪イムジンガンの 澄んだ水は 流れ流れて 下り
水鳥たちは 自由に行き来して 飛んで行くにもかかわらず
わたしの故郷 南の地 行きたくても 行けないから
イムジンガンの 流れよ 恨みを載せて 流れるのか
♪河を越えた 葦原では 鳥だけが 悲しげに 鳴き
乾ききった野では 草の根を 掘っているにもかかわらず
協同農場の 稲穂の海は 波打つように踊っているから
イムジンガンの 流れを 引き裂こうとしても 引き裂けないだろう
●この原曲からの翻訳詞を読めば、この歌が朝鮮民主主義人民共和国の歌
であることは一目瞭然でしょう。キム・ヨンジャのCD『虹の架け橋』の
プロデューサー、リ・チョルウは曲目解説にこう書いています。「『リム
ジン江』は一九六三年に作曲されました。作曲は高宗漢さん。作詞の朴世
永さんは朝鮮民主主義人民共和国の国歌を作詞したほどの有名な詩人です。
歌の内容は、三八度線上を滔々と流れるリムジン江の流れに託して、南北
の離散家族の悲しみ、そしていつかきっと会えるという希望を歌った歌で
す。」歌詞の優劣・好悪はさておき、この歌が作られた六三年には、南の
韓国では六一年軍事クーデタの首謀者・朴正熙が大統領になり、キューバ
危機のあった前年の六二年には、北の共和国政府が全人民の武装化と全国
土の要塞化を決定するという、時代はまさに冷戦の只中だったのです。
●さて、この二番の歌詞、「乾ききった野」にたいして「協同農場の稲穂
の海」、つまり「貧しい南」と「豊かな北」というプロパガンダを直截に
反映させた歌詞の歌を、冷戦時代を終えたいま、人前で歌うのはちょっと
躊躇してしまうのは、小生だけではないでしょう。でも、キム・ヨンジャ
はこの歌詞を朝鮮語で歌っているのです。去年の春に(何月何日かは定か
ではないのですが)、NHK衛星第2放送の「BS日本の歌」に彼女は出
演して歌っていましたが、そのとき、日本語詞がテロップで流れたのです
が、前記した『日本流行歌史』の李錦玉の訳詞とそっくりだったのです。
ちなみに、作曲者と作詞者の名前とともに、「日本語詞・吉岡治」のテロ
ップも流れました。李錦玉と吉岡治の訳詞のちがいは、二番の、「荒れた
畑に」が「荒れた野原には」と、「祖国の北のうた」が「祖国の歌声」と
変わっているだけで、あとはほとんど同じでした。キム・ヨンジャも番組
プロデューサーも、「イムジン江」を過去の歌として、つまり懐メロとし
て取り上げていたのでしょうか?
●話を「イムジン河」レコード発売中止事件に戻しますが、東芝レコード
が「自主規制」したのは、レコード業界の「レコード制作基準」と、民間
放送連盟の「要注意歌謡曲取り扱い内規」に基づいてのことだったのです。
『日本流行歌史』によると、歌謡曲はこの二重のチェックをへて放送に乗
るのだそうです。「イムジン河」は、五九年に制定された「要注意歌謡曲
取り扱い内規」の一〇項に抵触したというのです。一〇項とは、「人類・
民族・国民・国家についてその尊厳を傷つけたり、国際親善関係に悪影響
を及ぼすおそれのあるもの」という、非常にあいまいで無限定な規定なの
です。この本の筆者は、前記「基準」や「内規」について以下のとおり憤
慨して記しています。「『国際親善』となると例の『リムジン江』の事件
がまだ記憶に新しい。これもついに放送にならなかった。古い例ではマラ
ヤ連邦に気がねして『トラン・ブーラン』が禁止になったことがある。そ
のくせ、日中戦争当時の大陸物や軍歌が大手をふってまかり通っているの
だ。まったくこの基準がいかにでたらめなものかをこの事実が証明してい
る。」
●【蛇足】「イムジン河」を発売中止にした東芝レコードは、何年だか忘
れたのですが、七〇年代には、忌野清志郎率いる「ザ・RC・サクセショ
ン」の反原発の歌「サマータイム・ブルース」も発売禁止にしました。東
芝は、「イムジン河」では韓国の朴正熙政権と佐藤内閣当時の外務省の横
槍に、そして「サマータイム・ブルース」では東京電力と通産省の圧力に
唯々諾々と従ったとしか考えられないのです。その一方で東芝は、ビート
ルズやジョン・レノンのレコードやCDを売りまくって大儲けをしている
のです。彼らの音楽を聴くたびに、東芝にまた儲けさせてしまった、と思
うのはなんとも悔しいのですが、資本主義の世の中なのですから仕方あり
ません。音楽は国境を越えることはあっても、体制や時代を超えることは
ないのでしょう。「歌は世につれ、世は歌につれない」なんちゃって。
●【付記】「臨津江」の発音と表記について……上記のなかに「イムジン」
と「リムジン」の二つの表記がありますが、これは以下のような理由です。
これも友人の世良砂湖さんから教えてもらいました(紙面を借りて「世良
さん、ありがとう」)。
●「イムジン」と「リムジン」のちがいは、韓国と共和国それぞれの発音、
表記のちがいからきているのです。韓国では、imjin-gang となり、共和
国では、rimjin-gang となります。「李」さんも、韓国では「イ」さんと
呼ばれますが、共和国では「リ」さんと呼ばれるのです。「発音」や「言
語」にも、南北分断があるのです。……ということです。とても勉強にな
りました。
●【勉強にならない付記】最近、労働組合の会議の後で、カラオケ・スナ
ックに行ったところ、「新曲」として『イムジン河』が追加されていまし
た。残念ながらキム・ヨンジャ版でなくフォークル版でしたが、さっそく
マイクを持って歌いました。嬉しいことに、厳しい練習の甲斐あってか、
九〇点がでました。これまでは『石狩挽歌』の八八点なので、自己最高を
記録しました。「酒は涙かカラオケか……」