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7・27グランワークショップ SUMMERでの発言から
イラク戦争は無辜の民衆に心の傷だけを残した【木村愛二さんの嫌いなBundサイトからの転載です(笑)】
http://www.bund.org/opinion/1120-4.htm
豊田直巳さん(写真提供・豊田直巳)
2003-9-5
実際の死者はもっと多い
アメリカによる情報操作
放射能汚染が広がっている
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昨年2月のグランワークショップ緊急集会で、非暴力における戦争反
対の直接行動がある、人間の盾という方法もあるのだと言いました。それ
がイラク戦争が起き現実の形となった。日本からもヨーロッパからも大勢
の人が人間の盾としてイラクに行きました。私が呼びかけたからではなく、
そういう流れが世界中にあったからです。私もバグダッドに行きましたが、
それにもかかわらずイラク戦争を止めることはできませんでした。
「人間の盾になれ」と言った手前もあるので、私も戦争中のバグダッド
に入りました。戦争中私はバグダッドにいましたが、衛星放送ははいらな
い、電気が切れる、あるいはイラク放送すらもとぎれたりして戦争全体の
動きについてはみなさんほど知っているわけではありません。
唯一言えるのは、イラク戦争はブッシュ大統領とサダム・フセイン大統
領の殺しあいではないということです。具体的に死んでいくのはアメリカ
の若い兵隊であり、名もないイラクの市民です。そのことを報告するのが
私の役割だと思って来ました。
日本ではイラク支援特措法が国会を通過しました。日本の軍隊が海外に
おいて人殺しを犯さないようにと願いをこめて、イラク戦争の現状を報道
してきたつもりだったのですが残念です。いよいよ日本が具体的に海外で
人殺しを始めていくことになると思うと背筋の寒いものを感じます。日本
の新聞では「イラクに行けば殺されるかもしれない」という自衛隊員の不
安が書かれています。しかし自衛隊員がイラクの人々を殺したらどうする
のかという議論はあまりされません。5月1日のブッシュ大統領の「戦争
終結宣言」以降、アメリカ兵が50人殺されたという報道がされています。
しかし何人のイラク市民が殺されているかは報道されない。
考えてもみて下さい。たとえばアメリカ軍一個中隊のところにロケット
砲が撃ち込まれる。撃たれた米軍はどこから撃たれたか分からない。だか
らヘリコプターでミサイルを住民の居住区に発射する。一瞬にしてイラク
の市民が何十人と大けがを負い、何人もの人間が殺されていく。ところが
アメリカ兵の犠牲だけが相変わらず報道されている。戦争が終わってない
だけでなく、戦争報道の仕方そのものが根本的に間違っていると感じる時
があります。
新聞に載る自衛隊員の不安も「自分たちが攻撃されたらどうするんだろ
う」といったことに限られています。何の思慮もない石破防衛庁長官はイ
ラクに戦車か装甲車を持っていけば良いと考えているのでしょう。しかし
問題はそんなことではありません。兵隊は怖いから撃つのです、殺すので
す。何故そういう現実が議論にならないのかと怒りを感じています。
■実際の死者はもっと多い
無差別爆撃で大けがを負った女性を手当てする医師 (写真)
私がイラクに入ったのは3月20日です。ちょうどブッシュ大統領が「48
時間以内にサダム・フセインはイラクを立ち去れ」と亡命を勧告した時で
す。亡命しなければ爆弾を落とすぞという話でした。一番心配したのは爆
弾が落とされると国境が閉じてしまう可能性があったことです。国境が閉
じてしまうと、イラクに入国できなくなってしまう。心配しながら国境を
ぎりぎりの時間に通過しました。しかしブッシュの言う48時間の期限は嘘
っぱちでした。私は入国待ち時間に、爆撃されたのを目撃したドイツのテ
レビクルーにもあいました。また最初の犠牲者も見ました。爆撃が48時間
の期限の3時間も4時間も前から行われていたのです。
イラク攻撃が開始されると、連日のように「誤爆」がありました。しか
し連日、至る所で誤爆があると、これは誤爆ではないだろうと思えてくる。
例えばこの会場のとなりの国立国会図書館を狙ったミサイルが70bぐらい
外れて、会場の中にドーンと落ちる。一瞬にしてここにいる私たちが焼け
死ぬ。それを誤爆というのか、それとも無差別爆撃というのか、あるいは
集団虐殺というのか。殺される側に身を置いてみると、誤爆という表現自
体があまりにも落とす側の言葉であると分かります。落とされる側は間違
ってなんか殺されたくないのです。
あるときサダム・フセイン大統領がレストランで食事か会議をしている
という情報をアメリカがつかんだらしく、真っ昼間、ドーンとそのレスト
ランに爆弾が落とされました。
私はすぐにそのレストランに駆けつけたのですが、窓ガラスが割れただ
けで建物はほとんど無傷で残っていました。何のことはない、その裏30b
のところに外れて爆弾が落ちたのです。20、30bの巨大なクレーターが出
来ていました。瓦礫で埋まった家の中から煙がくすぶり、大型重機を入れ
ることも出来ない状態でしたが、消防士たちは何とかその下に埋もれた人
を助けようとしてました。爆弾が落ち一瞬にして殺されたのは7名ですが、
翌日には10名、20名と重傷者が亡くなっています。死者は増えていきます。
だから死者が7名というのは本当はウソです。そういったことが毎日繰り
返されていたわけです。
爆撃が毎日続いても人々は生きていかなければなりません。イラク攻撃
が始まった最初の一週間はお店というお店、町の表通りは全部シャッター
を下ろしてゴーストタウンのようになってました。しかしその日の食い扶
持を得るためには仕事をしなければならない。市場が再開すれば、人々は
市場にやって来ます。狙ったかどうか分かりませんが、今度はその市場に
米軍が爆弾をドーンと落とす。一瞬にして50名が殺され、翌日には60名、
70名と死者が増えていく。重傷を負った人が助からないからです。そんな
ことが毎日続いていました。
独裁政権であろうとも、爆弾が落ちれば消防士のレスキュー隊は一生懸
命救出作業をします。病院のお医者さんは一生懸命患者さんを助けようと
します。市民は自分の血液を提供したり、ボランティアに集まってきます。
4月9日のバグダッド陥落以降、まるでイラクの人たちは民族的に劣って
いるかのごとく略奪のおぞましさだけが報道されました。しかしちゃんと
社会が成立していたのです。クラスター爆弾が学校に落とされれば消防士
の人たちが爆弾を除去していました。米軍が入ってきて、クラスター爆弾
を除去したのではないのです。
■アメリカによる情報操作
日本の記者が持ち帰ろうと思ってヨルダンで爆発させてしまったのはク
ラスター爆弾でした。もちろん私はクラスター爆弾については以前から知
っていました。アフガン戦争に使われただけでなく、20年前にレバノンで
イスラエル軍がばらまいています。当時も多くのけが人が出ました。クラ
スター爆弾は戦車ではなく、そこに住んでいる人間を対人地雷のように怪
我をさせていくものです。子供が拾って両手、両足を失う、あるいは大け
がをする。子供だけ助かって親が死んでしまう、親が助かって子供が死ん
でしまうこともいっぱいありました。
どこがサダム・フセインから人々を解放した戦争なのか。あるいは人々
を解放するという目的があれば爆弾を落としてもいいのか。まるで毎日新
聞の記者だけが悪いように言われましたが、これをばらまいた人の責任は
何故語られない。たとえサダム・フセイン政権が崩壊しても子供に刻まれ
た恐怖心なり、人間に対する不信は残ります。
米軍が入ってくる前、民兵やバース党支持者は「われわれは最後まで戦
うぞ」と言っていました。しかし米軍が来た4月9日の朝、彼らは一瞬に
して消えてしまいました。イラク軍は最初から市民を守るつもりなんかな
かったのではないでしょうか。それは私たちの国の自衛隊という軍隊につ
いても同じです。アメリカの軍隊は一度でもアメリカ国内のテロを防いだ
のか。私は軍隊は軍隊しか守らないと今でも思っています。
バグダッドが陥落するとアメリカ軍が入ってきました。ラムズフェルド
は未だにイラクの人たちがアメリカを歓迎していると言っています。イラ
クの人たちが喜んでアメリカの戦車を迎えたのですか。アメリカ軍はバグ
ダッド陥落から道路や橋を封鎖して、通過する市民の荷物検査を始めまし
た。それは橋や道路の向こう側にはアメリカの駐屯地があるからです。重
要なイラクの施設を守るのではなく、アメリカ兵はアメリカ兵しか守らな
いのです。
アメリカ兵が市内に入る前日、私たち外国人記者が泊まっていたパレス
チナホテルが戦車に砲撃されました。私は15階に泊まっていましたが、5
つ隣の部屋にいたロイターのカメラマンが殺されました。私の友人はビデ
オで下手人のアメリカの戦車が撃った瞬間を捉えていたので「すぐ報道し
よう」と世界中に流すことができた。その結果、イラク軍が砲撃したとい
う噂≠うち消してアメリカに謝罪させることができたのです。けれど
もその翌日も米兵は、パレスチナホテルには私たち外国人記者しか泊まっ
てないことを知りながら銃で狙っていました。兵隊自身が戦場を演出して
るのです。
アメリカの情報操作はそれだけではありません。みなさんおなじみのサ
ダム像の引き倒しなんて全部嘘じゃないですか。イラク人が喜んで引き倒
した? そんなイラク人がどこにいるのですか(極少数は確かにいた)。
サダム像を引き倒した装甲車の上にはプレス関係者が乗り、決まった角度
からだけ放送が繰り返しなされる。その角度からはアメリカ兵が写らない。
あたかもイラクの人たちが喜んで倒してるかのように写る。でも私たちプ
レスがいなかったらイラクの人たちが集まることすらなかった。実際イラ
クの人々はみんな、とまどいと不安の表情で見ていました。こういう彼ら
の表情がどうして報道されないのか。
■放射能汚染が広がっている
劣化ウラン弾の撮影が成功したのは、イラク政府が崩壊したすぐ後の一
週間後でした。私は戦争中、A10というアメリカの攻撃機が私の泊まって
いたホテルの真上からバリバリという大きな音で5回、6回旋回しては計
画省のビルを撃っているのを撮影しています。A10の先にはバルカン砲が
ついていて、それが発射する30ミリ弾の中には劣化ウラン弾が多用されて
います。それで、戦争の後に計画省に行くと、案の定ビルの中からは通常
の100倍くらいの放射線が検出されました。12年前の湾岸戦争で攻撃さ
れた戦車の墓場でも100倍、あるいは200倍の放射線が出ていました
が、今度は街のど真ん中です。
日本では川口外務大臣や福田官房長官が、劣化ウラン弾は使ったか使わ
ないか分からないなんてことをしゃあしゃあと言っている。戦争をやる人
たちはほとんど嘘つきです。そういう嘘つきによって今回の自衛隊のイラ
ク派兵も決められていったのは返す返すも悔しい。
マハムディーヤというバグダッドからちょっと離れた街にもイラク軍の
戦車が放置されていました。さきほど言いましたようにイラク兵は戦わな
いで逃げる。アメリカの戦車かヘリコプターがこの空になったイラクの戦
車を攻撃し、固い装甲板に穴があいてました。その穴にガイガーカウンタ
ーを近づけると30マイクロシーベルトから100マイクロシーベルトぐら
いの放射線が出ていました。
私が取材に行ったのはこの戦車が破壊されてから10日以上経っていた時
です。この戦車の砲塔の先にはパン屋さんがあり、奥にはガラビーヤを着
た爺さんたちが集まるお茶屋さんがある。子供たちがこの戦車の中で遊ん
だりもしてました。この戦車から強い放射線が出ているにも関わらずです。
私はガイガーカウンターをあてながら「放射能が非常に強い。危ないか
らとにかく近づかないように」と言って取材しました。その時初めて劣化
ウランの存在を知った住民たちから感謝されました。この時点まで誰もこ
の一帯が放射能に冒されてることを報告しなかったのです。6月に取材に
行った時点でも戦車はまだ放置されていました。唯一グリーンピースなど
のNGOが計ったところだけは「危険近寄るな」というものが掛けてあり
ました。
劣化ウラン弾が使われたのは一カ所だけではありません。イラクの南の
バスラは、ものすごい暑いので氷屋さんがいっぱいあります。その大きい
氷を作る製氷工場のタンクに劣化ウラン弾が撃ち込まれていました。穴の
あいたタンクを溶接で補修してあるのですが、その穴からは非常に強い放
射線が出ていました。その中に水をはって氷を作って売ってしまう。もち
ろん大気中に舞った劣化ウラン弾の微粒子もあります。劣化ウラン弾の被
害はこれから出てきます。
人道支援、復興援助というならば劣化ウラン弾汚染を除去すべきです。
イラクにも核や劣化ウラン弾について調査している組織が残っていました。
しかしアメリカの圧力によってそうした組織が口を閉じ始めています。日
本のNGOが自分たちが調査に使った後、ガイガーカウンターを置いてき
ましたがアメリカが怖くて一度も使えないようです。米軍によるそうした
占領政策が始まっているのです。
アメリカの占領に対して抵抗する人々はシーア派かサダム・フセイン派
かスンニ派か誰だか知りませんが、抵抗する人がどこから出てきてもおか
しくない状況です。イラクに日本の自衛隊がアメリカ軍の支援として行く。
そのことの意味を考えてください。イラクの人々に殺されるでしょうし、
同時に自衛隊もイラク市民を殺してしまうでしょう。そういうことがない
ようにみなさんと共にできることをやっていきたいと思います。
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とよだ・なおみ フォト・ジャーナリスト。イラクの劣化ウラン弾の被害
やパレスチナ、レバノン、旧ユーゴスラビア、インドネシアなど紛争地帯
をルポルタージュ。作品集に『難民の世紀〜漂流する民』『イラクの子供
たち』『パレスチナの子供たち』ほか。