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“最高の犯罪”としての予防戦争:ノーム・チョムスキー
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投稿者 NOユージ 日時 2003 年 8 月 27 日 00:17:01:Yi9aAI/v.7r2c

“最高の犯罪”としての予防戦争
イラク侵略は不名誉なものとして[永遠に]残るだろう:ノーム・チョムスキー、
2003年8月11日

http://terasima.gooside.com/essay03081supremecrime.htm

 2002年9月は、密接に関連した三つのきわめて重要な事件で注目された。史上最強の国家である米国は、新しい国家安全保障戦略を発表した。その戦略は世界の覇権を永久に維持し続けると主張している。いかなる[米国への]挑戦も力ずくで阻止されるだろう。これは米国が最高権威として君臨する世界である。

新しい国家安全保障戦略の発表と同時に戦争のドラムが打ち鳴らされ始め、人々はイラク侵略へと動員されることとなった。そしてこのキャンペーンは中間議会選挙に合わせて行なわれ、この選挙は政権がその過激な国際的国内的な予定の政策を押し進めることができるのかどうかを決めるものであった。

 その新しいは、体制派の主要な新聞記事でジョン・イケンベリによって「帝国の壮大な戦略」と名付けられたその新しい戦略は、「[9.11によって作り出された]一時的な有利な点を、米国一極支配の世界に変えるために利用しようとする復古的な国家」として自らを提示している。すなわち、いかなる国家や連合も世界の指導者、保護者、用心棒としての米国に決して挑戦できない世界秩序」である(1)。これらの政策は米国自身にさえ危険を伴うものだと、イケンベリは警告している。外交政策の他の多くのエリートたちも同じ意見である。

 守られなければならないのは、米国の権力と利益であり世界ではない。というのは、世界はその米国の考え方に反対しているからだ。数ヶ月以内の調査によれば、米国に対する恐怖心とその政治的な指導部への不信感は著しく高くなった。12月の国際ギャロップ調査は米国では殆ど報道されなかったが、この調査によればワシントンが発表したイラク戦争の計画に対する支持はほとんどなかった。この戦争は米国とその同盟国、実質的には米国と英国の連合によって一方的に行われたものであった。

 米国の計画を支持するなら国連は関係があるが、そうでないならば国連は単なる討論クラブだとワシントンは国連に告げた。米国は「軍事行動を取る国の権利」を持ち「何かをしなければと強く感じるなら、たとえ誰もついて来なくても、我々は先導する」(2) と、戦争計画に強い反対の声があがっていた世界経済フォーラムで、政権の穏健派コリン・パウエルは述べた。

 ブッシュ大統領とトニー・ブレア英国首相は、イラク侵略前夜のアゾレス諸島の首脳会談で、国際的な法や制度に対する軽蔑を強調した。彼らはイラクに対してではなく安保理に対して最後通告を行った。つまり、降伏しろ、さもなければお前たちの無意味な承認証なしでイラクを侵略するぞ。そしてサダム・フセインとその家族が亡命しようがしまいが、我々は侵略を行うぞ(3)というものだった。大切な原則は米国が効果的にイラクを支配しなければならないことである。

 ブッシュ大統領は「自国の安全を保障するために、軍事力を使う最高の権限を持っている」と宣言した。すなわちブッシュ・ドクトリンによれば、サダムがいようがいまいが、米国はイラクによって脅威にさらされている、というのである。米国は「アラブの前衛」(英国が日の目を見ていた時代に彼らが使っていた用語)を喜んで確立し、米国の権力を世界の主要なエネルギー生産地域の中心部に確実に根付かせるだろう。形式的な民主主義は許されるだろう。ただし、それは米国に受け入れられる従順な種類のものでなければならない。それが少なくとも、歴史的かつ現在までの[米国の]実践が教えるところである。

 その壮大な戦略は米国に先制攻撃による戦争ではなく防止戦争を実行する権限を与える。先制攻撃が正当化される理由が何であれ、その正当化は予防戦争には有効ではない。特にその概念が現在の[戦争の]熱狂者によって解釈される時には。つまり[その予防戦争は]でっち上げられた想像上の脅威を消すために軍隊を使うから、「予防」という用語でさえ寛大すぎるのである。予防戦争は、実に単純にニュルンベルグ裁判で非難された最高の犯罪なのである。

 このことは自国について懸念を持った人々によって理解されている。米国がイラクを侵略した時、歴史家のアーサー・シュレジンジャーは次のように書いている。すなわちブッシュの壮大な戦略は「驚くほど、真珠湾攻撃の時に大日本帝国によって採用された政策に似ている。この攻撃の日に米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトは、真珠湾攻撃は日本にとって不名誉なものとして残るだろうと述べた。」さらにシュレジンジャーは次のようなことは当然のことだったと付け加えている。すなわち「9.11以後の米国への世界的な共感の波は、米国の傲慢さと軍国主義に対する世界的な憎悪の波に変わり」、ブッシュのほうが「サダム・フセインより平和にとってより大きな脅威だという」(4)考えに変わった。

 [現在の]政治的な指導部はそのほとんどがレーガン、ブッシュ1世の政権のより反動的な人々によって占められている。彼らにとっては、世界的な憎悪の波は特別な問題ではない。彼らは愛されることより恐れられることを望んでいる。国防長官のドナルド・ラムズフェルドがシカゴのギャングであるアル・カポネの次のような言葉を引用するのは当然のことだ。「親切な言葉だけよりも、親切な言葉と銃の両方に頼ったほうが、得るものが多い。」彼らは体制派の評論家と同様に、自分たちの行動が大量破壊兵器(WMD)を拡散させる危険性があることを理解している。しかしそのことも大きな問題ではない。彼らの優先順位のはるかにより高い位置にあるものは、世界の覇権を確立し国内での予定の政策を実行することである。それは、ここ1世紀にわたる大衆運動で勝ち取られた進歩的な成果を解体することになり、根本的な変更を制度化し、その進歩的な成果を取り戻すことが容易ならざる仕事となるだろう。

 覇権主義的な権力はその公の政策を宣言するだけでは十分ではない。見せしめの行動によって国際法の新しい基準として、それを確立しなければならない。そして著名な時事解説者は、法律は柔軟な生きた手段であり、新しい基準が行動の手引きとして今は活用できると、言うかもしれない。銃を持った者だけが基準を確立し国際法を修正できることが分かる。

 選ばれた[攻撃の]標的はいくつかの条件を満たさなければならない。その標的は無防備で、戦争をする価値のある重要性を持ち、我々の生存の差し迫った脅威であり決定的に悪者でなければならない。イラクはこのすべての条件を満たしている。最初の二つの条件は明白である。三つ目の条件については、ブッシュやブレアそしてその仲間たちの演説を繰り返せば十分である。すなわち独裁者が「世界を支配し脅迫し攻撃するために、世界のほとんどの危険な兵器を集めており」、その独裁者は「すでにその兵器を村々で使用し、何千もの国民を殺害し、盲目にし、不具にした。もしこれが悪でないならば、悪の意味がなくなってしまう。」ブッシュの雄弁な告発は確かに本当のように聞こえる。そしてその悪を拡大することに貢献した人々は、確かに罰を受けることを免れてはならない。しかしこの中には、これらの崇高な言葉を話した人々、彼の仲間、最高の悪者であるサダム・フセインを彼らが支持していた時彼らに加わった人々も含まれる。サダムがひどい犯罪を犯した後の長い間、さらにはイラクとの最初の戦争[湾岸戦争]の後にも、サダムへの支持が[米国などによって]続けられた。米国の輸出業者を助けるためにサダムは支持をされたと、ブッシュ1世の政権は説明をした。

 政治指導者が怪物サダムの最悪の犯罪を詳しく述べる一方で、「我々はそのようなことは気にしないから、我々の援助で」という決定的な言葉を隠すことがいかに容易かを見ることは印象的なことだ。彼らの友人サダムが最初の本当の犯罪を犯すとすぐに、サダムへの支持は告発へと変わった。その犯罪はクウェートへの侵略によって[米国の]命令にそむくものであった(あるいはこれはおそらくサダムの誤解であった)。その罰はイラク国民にとっては厳しいものであった。独裁者サダムは無傷で逃れられ、以前の同盟国によって課せられた経済制裁によってサダムの体制はより一層強化された。

 湾岸戦争直後にサダムの政権を倒したかもしれない反乱をサダムが鎮圧した時、何故米国はサダムを支援することに転じたのかという理由も隠すことは容易である。『ニューヨークタイムズ』の外交特派員のチーフであるトーマス・フリードマンは次のように説明した。米国にとって世界で最善のものは「サダム・フセインなしの冷酷なイラク軍事政権」だろう。しかしその目標は達成できそうになかったので、我々は次善の策[サダムの政権]に満足しなければならないだろう。(5)サダムに対する反乱は失敗した。なぜなら、米国とその同盟国は「著しく一致した見解」を持ったからだ。その見解というのは、イラクの指導者[サダム]の罪がどのようなものであれ、サダムはイラクの安定のよりましな希望を、その抑圧に苦しんだ人々よりも、西側やその地域にもたらしたというものだった。(6)

 これらすべてのことは、米国によって認められたサダム・フセインのテロの発作による犠牲者の共同墓地についての論評解説の中では、抹殺された。その論評解説は「道徳的な根拠」についての戦争の正当化として使われただけだった。このことは1991年にすべて知れ渡っていたことだが、国家の理由のために無視された。

 乗り気でない米国国民は戦争熱の特有の雰囲気に駆り立てられねばならなかった。9月になってから、サダムの米国に対する恐ろしい脅威や、9.11攻撃と彼は関係していたとする露骨なあてこすりをしながら、彼がアル・カイダとのつながっているとする、ぞっとする警告が発せられた。「メディアの前でちらつかされた」嫌疑の多くは「お笑いテストを落第した。しかしそれらが馬鹿げたものであればあるほど、メディアは愛国心を試されているテストととらえて、ますますそれらを誠心誠意鵜呑みにしようと努力をした。」(7)と原子力科学者の会報の編集者は論評した。その宣伝(プロパガンダ)の攻撃は[人々に]影響を与えた。数週間以内に、大多数の米国人はサダム・フセインを米国にとっての差し迫った脅威と見なすようになった。すぐにほとんど半数の人々はイラクが9.11の背後にいたと考えた。戦争への支持はこれらの考えと関連があった。その宣伝キャンペーンは中間選挙において政権[共和党]にかろうじて多数を与えることとなった。なぜなら、有権者は彼らの直接の関心を脇に置き、悪魔の敵に対する恐怖心を持ち権力の傘の下に群がったからである。

 公の外交の輝かしい成功が明らかになった。時事解説者の言葉を借りれば、ブッシュは「5月1日に航空母艦アブラハムリンカーンの甲板で6週間にわたる戦争への力強いレーガンばりのフィナーレを飾った」のである。この出典はおそらくロナルド・レーガンの誇らしげな以下の宣言である。すなわち、米国は1983年に世界のナツメグ[ニクズクの種子を粉末にした香辛料]の[生産]中心地であるグレナダを征服し、断固たる態度を取って、ロシアが米国を爆撃するためにグレナダを使うことを阻止したという宣言である。レーガンのものまねをして、ブッシュは国内の懐疑的な論評への懸念なしに、アル・カイダの同盟国を取り除くことによって、対テロ戦争に勝利したと自由に宣言ができた。(8)サダム・フセインと彼の憎き敵オサマ・ビン・ラディンの間の申し立てられたつながりについては信用できる証拠は何もなく、その嫌疑は有能なオブザーバーによって却下されたことは、重要なことではなかった。また[イラク戦争]勝利とテロの唯一のよく知られている関係も重要ではなかった。その関係というのは、米国当局者も認めているように、アル・カイダの新しい人員補充が急速に増加したことによって、イラク侵略は「対テロ戦争の巨大な妨げ」となってしまったのである。(9)

 『ウォール・ストリート・ジャーナル』は次のように認識していた。ブッシュの注意深く行われた航空母艦での豪華なショーは「2004年の大統領選の再選キャンペーンの始まりを示している。」そしてホワイトハウスはこれが[選挙の争点として]「出来るだけ国家安全保障のテーマに焦点が当たるようになるようにしたい」と望んでいる。共和党の主要な政治的戦略家カール・ロウブは次のように説明した。その選挙のキャンペーンは「戦争ではなくイラクでの戦い」に焦点を合わせられるだろう。もし国内の人々を支配したいなら、戦争は続けなければならない。(10)

 2002年の[中間]選挙の前に、ロウブは党の活動家に、不人気の共和党の国内政策から注意をそらすために、安全保障問題を強調するように、指示をした。こういったすべてのことは、現在政権を担当しているレーガン時代から返り咲いている政治的指導者の第二の気質である。このようにして彼らは最初に政権を担っていた時も、政権を保持していたのである。彼らは国の政策に対する国民の反対を避けるために、いつもパニックを引き起こすボタンを押してきた。その政策によって、レーガンは1992年までに存命の大統領の中で最も嫌われた大統領になっていた。1992年まででレーガンはリチャード・ニクソンよりも低い支持率だったかもしれない。

 その限られた成功にもかかわらず、その集中的な宣伝をもってしても、基本的な点で国民は影響を受けていない。国際的な危機においてほとんどの人々は米国の指導力よりも国連を好み続けた。二人のうち一人が米国より国連がイラクの再建を指導することを好んだ。[11]

 占領の連合軍が大量破壊兵器を発見できなかった時、米国政府の立場は、イラクが大量破壊兵器を所有しているという確信から、「武器を生産するために潜在的に使うことができる設備を発見したことで」その告発は「正当化された」という立場に変わった。そして政府高官は予防戦争の概念の改善を提案した。その予防戦争は米国に「大量の凶器」を持っている国を攻撃する資格を与えるものだった。その路線転換は、「[米国]政府は大量破壊兵器を開発する意図と能力を持つにすぎない敵の政権に対して行動が取れると提案している。」[13]武力に訴える基準を引き下げることは、最も重大な結果であり、イラク侵略の宣言された論拠の崩壊である。

 おそらく最も華々しい宣伝の成果は、民主主義を憎み軽蔑する並外れた状況にある中東に民主主義をもたらすブッシュの見通しへの賞賛であった。これはワシントンによって作られた古いヨーロッパと新しいヨーロッパの区別によって例証された。古いヨーロッパはののしられ、新しいヨーロッパはその勇気を歓迎された。その基準は鮮明なものだった。古いヨーロッパはイラク戦争に対してその国民の大多数と同じ立場を取った。一方、新しいヨーロッパの英雄はテキサスのクロフォードからの命令に従った。彼らはたいていの場合、戦争に反対する大部分の国民を無視した。政治の時事解説者は服従しない古いヨーロッパとその精神的病弊についておおげさにわめき散らした。その一方で米国議会は低俗な喜劇の舞台と化した。

 最もリベラルな国連の前米国大使リチャード・ホルブルックは、「非常に重要な点」を強調した。それは新しいヨーロッパのもともとの8カ国の人口は、古いヨーロッパの人口より多く、そのことがフランスとドイツが「孤立している」ことを証明しているというものだった。それはその通りであるが、民主主義において大衆が何らかの役割を持っているという新左翼の反論を認めない限りにおいてはということだ。そして、トーマス・フリードマンは、フランスは安保理の常任理事国から取り除かれるべきだと力説した。なぜならフランスは「幼稚園にいて他の者たちと、うまく遊べない」からだ。とすれば、少なくとも世論調査から判断して新しいヨーロッパはいまだに保育園にいるに違いないということになる。(14)[自国の世論を全く無視して米国に協力したので]

 トルコは特に教訓的な事例である。「米国の命令に従い国民の95%の意見を却下して[米国流]民主主義の立派な実績を証明せよ」という米国の圧力に抵抗して、トルコ政府は米国に協力をしなかった。米国の時事解説者はこの民主主義の教訓的実践に激怒した。その激怒があまりにも大きかったので、1990年代のクルド人に対するトルコの犯罪を報道するメディアすらあった。これは米国がこの犯罪に決定的な役割を果たしていたために、これまでは話題とすることがタブーとされていたし、悲嘆の言葉で注意深く隠されてきたことであった。

 重要な点が国防副長官ポール・ウォルフォイツによって表明された。彼はトルコ軍を非難した。なぜなら、トルコ軍が「我々が期待した強い指導力を発揮せず」、軍がトルコ政府の行動に介入しなかったからだ。ほとんど満場一致の国民世論を尊重しないように政府に圧力をかけるべきだったというのである。従ってトルコはさらに進んで次のように言わねばならなかった。「我々は過ちを犯した。できるだけ米国に役に立つにはどうしたらよいのか考えよう。(15)」このようなウォルフォイツの姿勢は[色々な意味で]特に教訓的だった。なぜなら彼は中東を民主化する政権内十字軍の主要人物として描かれていたからだ。

古いヨーロッパに対する怒りは民主主義への蔑視以上に深い根を持っている。米国は常にヨーロッパの統一を両刃の刃として見てきた。「ヨーロッパの時代」という30年前の演説の中で、ヘンリー・キッシンジャーは「米国によって管理されている全体的な秩序の枠組み」の中で、ヨーロッパ人は自分の地域的責任から離れてはならないと忠告した。ヨーロッパは、フランス=ドイツという産業上財政上の中核地を基盤として、独立した進路を歩んではならないのである。

 米国政府の関心は現在、北東アジアにまで及んでいる。ここは世界で最もダイナミックな経済領域であり、十分な資源と進んだ産業経済を有しており、潜在的に統合された領域であり、世界秩序の全体的な枠組みに[面白半分に]挑戦してくるかもしれない。しかしその世界秩序は、もし必要なら力ずくでも、永久に維持されるべきだと、ワシントンは宣言をしているのだ。

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