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20日の仏リベラシオン紙は、『バグダッドにおける希望と恐怖のうわさ』と題して、バグダッドに溢れる数々のうわさ話を集めている。その概略。
「ドアがノックされる。平服姿のサダム・フセインが二人の護衛を伴って現れ、45分間待ってくれと言う。その時間が過ぎると、一行は二台の覆面パトカーに乗って出発する」
この典型的な都会の伝説は、アメリカが追跡を強固にするほど騒がしくなる前大統領に関する多くのうわさの一つである。それは真実ではない。真実らしくもない。だがこのような話は、これを信ずる数多くの人によって流されている。ある人々は占領軍への挑戦を喜び、他の人々は過去に戻ることを恐れて。これらのうわさは「占領に対する抵抗」への支援が下地になって出来上がる。
「サダムは35年間にわたってこの国を鉄の手で抑えて来た。それを忘れ去ることは難しい」と政治科学の教授が言う。バグダッドの大多数の人は、こうして、サダムが権力を握った記念日の7月17日にある騒動が起こることを期待した。その日、うわさが奔流した。すべての街で、人は彼が逮捕されたと断言した。“ニュース”は家から家へ伝わった。それは喜びの火花だった。サダムは常に人々の頭にあるのだ。
すでに滅びた体制は、長年月にわたって、世論を動かすために次々にうわさ話を作り上げてきた。「シーア派の聖職者は宿敵イランから金をもらっている」隣国クエートに対しては「恩知らずで強欲」またシオニストと帝国主義者についてもうわさを流した。多くのバグダッドの人たちが、いまだに首都陥落後の略奪と火災はクエート人が金を出してやらせたと思い込んでいる。
アメリカの4カ月間の占領はうわさを増大させている。「信頼できる情報の欠乏がうわさを生んでいる。アメリカの新しい体制は旧体制と同じく不透明だからだ」と精神科医のラシド・サルサムは言う。記者会見で、あるイラク人の記者が、同盟軍司令官のリカルド・サンチェス将軍にこう質問した。「毎晩アメリカのヘリコプターが戦闘で死んだ数十の米兵の遺体をチグリス河に投げ込んでいるというのは本当か」と。当局の否認も効果なかった。うわさは流れ続けた。さらにこういう話もある。「米兵が何百ドルも出して民間人の衣服や出国への助力を求め、ヨルダンやトルコに脱走を図っている」
多くのフリーの、または戦闘的なジャーナリストはしばしば増幅器の役割を果たしている。7月初めごろ、すべてのバグダッドの人はユダヤ人の帰還を心配した。1948年から51年の間に20万人近くのユダヤ人が国を離れている。それが今、アメリカの幌付きトラックでイラクへ戻り、「土地を買ってイラクを新たなパレスチナにする」つもりでいるというのだ。うわさは最初、キリスト教徒が経営する『サマリタン病院』を標的にした。そのため病院側は「サマリタンとは新約聖書にあるよきサマリア人に基づく名である」という張り紙を掲示しなければならなかった。また、ユダヤ人の医師はいないと否定した。次に『イガル・ホテル』が狙われた。日刊紙アルダワ(シーア派)によれば、「シオニストのグループが家や旧体制の宮殿を買うために入り込んだ」という。建物の改修を専門とするグループ・アルカチンは、このホテルに多くのアメリカ企業の技術者を泊め、安全を確保していたが、たいへんな嵐に見舞われた。「戦後の混乱の中で、イラクの会社が仕事を始めることが出来たことに人々は驚いているのです。そこから、どうしてもCIA、でなければモサドの手先だと見てしまうのです」と、会社の社長は説明する。
しかしながら、『イガル・ホテル』はそれ以降閉館し、アルカチンは、ビジネスマンや臨時行政機関の職員がいて警備が厳重な『ホテル・バグダッド』へ移った。付近の行商人たちにとって、多くバグダッドの住民にとってもだが、あまりにも厳重に守られたこのホテルは、多分“イスラエル人地区”に過ぎない。
http://www.liberation.fr/page.php?Article=131526