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第二次世界大戦後に世界中で数多く起こった政府転覆・崩壊の背後にCIAが存在していたことは、疑いの無い事実です。
1954年グアテマラ、1970年チリ、1984年グレナダ他にイラン、ギリシャ、ドミニカ共和国、カンボジア、ニカラグアそして、ベトナムである。
以上の国々を挙げるだけでは、CIAによって政府が設置されたり、崩壊させられたり、転覆させられたりしたことのある国家リストとしては惨めなほど不完全である。
CIAのテロ支援を調べてみると、問題はさらに曖昧摸糊としてくる。テロリストは、極め付きの悪党としてアメリカ民間伝承の中に位置するようになった。
政府やメディアが決めている一般的な表現方法では「テロリスト」とはその定義上「アメリカを憎悪する者」ということになってしまっている。(そう思わされている)
従って、CIAほどのアメリカの国益を保護しアメリカの尊厳や意思を遂行することにかけて熱心な機関CIAがテロリズムに関わっていることなど論外だと「多くの人々が思い込んでいる」と思える。
捉え方に問題が生じるのは、一つには「テロリズム」に対するアメリカ式の定義に関係している。どういうわけか、テロリズムは左翼の不振な活動と協力に結び付けられており、あたかも右翼のテロリストなど存在しないかのようである。
だが、確かに公式筋によって左翼の現象としてテロリズムを捉える見方が定着したのではあるが、メディアや政府のプロパガンダ戦略がこの定義を発明し、固定化させたとするのはあまりにも表面的である。
テロリズムの意味を突き詰めていくと「我々」と「彼ら」の意味が必ず問題になる。
「彼ら」は貧困層であったり、黒人であったり、外国人であったり最近では、イスラム教徒だったりする。
「我々」とはアメリカ主流のことでポケットに少しでもお金を持っている白人のことを指す。「我々」が極左からの脅威だけがテロリズムだということを安易に受け入れているようなのも、極左が「我々」に脅威であるからである。
共産主義者が生み出されて以来、アメリカ人は左翼とは「我々」がこよなく大切にしているものを全部持っていきたがっているという考え方をメディアや政府によって植えつけられてしまっている。
右翼は逆に、安心な事にもっぱら「彼ら」−少数人種、貧困層、外国人、イスラム教徒ーを相手にしており「我々」から離れたところへ暴力の矢先を向けてくれる。右翼テロリズムがそれほど脅威ではないのも「我々」を脅かすものではないと信じきっているからである。
アメリカ人がテロリズムというものを「デパートを爆破したり観光客を射殺したりしながら人民闘争を称揚する過激派組織らによって実行される左翼的現象だと捉え違いした価値観を長年、植えつけられた結果が現在に至る」と考えられる。
しかし、CIAの援助がなければこれだけの連中が鳩首を寄せることはなかったと言ってもいいだろう。
CIAは、クラウス・バルビーを含めたナチス党員が戦争犯罪の罪を免れるように計らい、彼らを諜報用の「人材」として登用した。他のナチス党員には、生物・化学兵器の研究プログラムに就かせたり、中にはNSAやペンタゴンの高官になった人物まで存在している。戦後の右翼テロネットワークの背後には、ナチス党員の影が今日でもちらつくのが実情である。
パレスチナのテロリスト組織はその一部である。
その活動を点火したのは、CIAのバックアップを受けたスコルツェニーおよび彼のSS時代の仲間だった。今もなおCIAとのコネクションが表ざたになりつつある。
CIAは、「黒い九月」のリーダーで1972年のミュンヘン・オリンピックにおけるイスラエル人への虐殺事件の首謀者アリ・ハッサン・サラメーとスコルツェニーは親密な関係を築いていたのである
CIAはサラメーを「人材」にとっておこうと必死で、全額負担してハワイ・ホノルルでのバカンスへの旅費を負担したりしていた。
1979年、イスラエル諜報機関モサドがサラメーを射殺したのは、CIAからの許可がおりのを待ってから遂行したと元モサド工作員は暴露している。
さらにイランやリビアの支援を受けた突撃隊がアメリカ人を人質にとり、米軍に対して神風攻撃(自爆攻撃)を加えている最中に、ホワイトハウスを拠点とした武器商人のネットワークがCIAの筆頭(その上長年、諜報部員を務めた人物)ウイリアム・ケイシーの命令でイランに武器を密輸し続けたこの作戦がイラン・コントラ事件の核心であった。