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『亜空間通信』645号(2003/08/05)
【似非紳士朝日バグダッド発フセイン像倒壊現地取材?恐米萎縮症特集の韜晦奇怪痴呆】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
友人が朝日新聞(2003.07.29)記事の切り抜きを届けてくれた。1面から2面に掛けての超大特集、「帝国/大統領の戦争1.フセイン像/倒したのは?」である。
概略だけを先に要約すると、フセイン像を倒したのは、地元の反フセインのイラク人であって、「米軍/最後に手を貸しただけ」(左脇の小見出し」だと「いう主旨である。
この記事の「フセイン像」関係の全文は、電網公開されてもいるので、最後に示す。
私は、当初から、アメリカの「やらせ」説を取っているから、早速、読んだ。そして、唖然、呆然、愕然、寒心の至り、驚き、桃の木、山椒の木、となってしまった。
理由は、逐条的に説明すれば、実に簡単である。まずは、それらのイラク人の話を、尾鰭付きの「自慢話」と考え、彼らを、よくある「犯人自首」趣味の連中と想定して、その「自白」の内容を吟味する。
以下、おかしい部分だけを、抜き出し、その部分への疑問を、「デカ長部屋」の「へええ、それで」式の尋問として、()内に入れ、これらを列挙する。
「米軍が来た」という叫び声に家を飛び出した。
(へええ、誰が、そう叫んだのかね)
通りに米軍の装甲車が見える。親友を呼んだ。「約束を実行する時だ」
(へええ、つまり、もう、米軍の装甲車が、あそこへ来てたんだね)
フセイン像は、彼らの家から歩いて約5分のフィルドウス広場に立っていた。
(へええ、すぐそば、だったんだね)
周辺の道路は米軍の戦車と装甲車などで埋められていた。
(へええ、何で、そんなに沢山いたのかね)
「倒せ、倒せ、サダム」と沸き上がる大合唱。
(へええ、わしも見てたよ。録画もしたけど、そんなに人数はいなかったし、そんな「沸き上がる大合唱」って場面は見なかったがね)
筋肉隆々の男が一心不乱に、フセイン像の立つ台座に、ハンマーを打ち下ろしていた。
(へええ、当日、CNNでも見たし、今、朝日新聞の紙印刷の紙面の写真で見ても、ハンマーを打ち下ろしていたのは、銅像に縄が掛けられてからのようだがね。どちらが先だったんかね)
彼らは駐車場に電話工事用のアルミ製のはしごが置かれていたのを知っていたのだ。
(へええ、まだ戦闘中の場所だろううがね。電話工事どころじゃなかったろうに、そんな貴重品を、誰が、置きっぱなしにしてたんかね)
米軍の装甲車の側面に巻かれていたロープを借りようとした。
(へええ、装甲車ってのは、ロープを巻いているもんなのかね。戦争に必要なものなんかね)
米海兵隊員が特殊車両に乗り、首にチェーンをかけた。
(へええ、特殊車両ね。しかも、あの長い丈夫なチェーンを積んでたんだね。それも、戦争に必要なものなんかね)
首にかけたチェーンを米軍のクレーン車が引っ張り、フセイン像は音をたてて傾き倒れた。
(へええ、クレーン車まで来てたんかね。それも、戦争に必要なものなんかね。それでね、あんたの話の中には出て来んのだがね、クレーン車につなぐ前に、高い木の上に滑車がつるされて、それに綱を通してから、クレーン車につないだがね。あれは、重い物を引っ張る時の力の大きさを変える滑車だと思うがね。わしゃ、随分と準備の良い仕事だと思ったがね。銅像を倒すのに、どれぐらいの力が必要か、分かっとったんかね。わしらが捕まえた経験のある相当の悪党でも、あれほど手回しは良くないんだがね)
以下が、電網公開の記事で、紙印刷の」記事の本文と同じである。
---------- 引用ここから ----------
http://www2.asahi.com/special/iraqattack/empire/030729.html
帝国
大統領の戦争
1.フセイン像 倒したのは?
一つの映像が「帝国の勝利」のシンボルとして世界を駆けめぐった。バグダッドに侵攻した米海兵隊に引き倒されるフセイン像。ブッシュ米大統領は「倒したぞ」と叫んだ。一方、中東では「侵略の象徴」と受けとめた人が多かった。だが、繰り返し流された映像から、抜け落ちている事実がある。最初に像を倒そうとしたのは、近くに住むイラク人たちだった。朝日新聞は現地取材で、中心的な役割を果たしたイラク人らの証言を得た。
開戦21日目の4月9日午後4時ごろ、バグダッド中心部。
電気工のハイダル・アブドルザハラ(27)は「米軍が来た」という叫び声に家を飛び出した。
通りに米軍の装甲車が見える。親友を呼んだ。「約束を実行する時だ」
彼は戦争前から近くに住む親友たちと「戦争で体制が倒れたら、おれたちはあのフセイン像を倒そう」と話し合っていたのだ。
ハイダルはイスラム教シーア派だった。シーア派はイラク人口の65%を占めるが、フセイン体制下で抑圧されてきた。
南部バスラ出身で高卒のハイダルは、兵役を終えた2年前にバグダッドに移り住んだが、技能にふさわしい職は得られず、アパートの守衛で生活費をかせいでいた。「フセイン体制では何も希望がなかった」のだ。
フセイン像は、彼らの家から歩いて約5分のフィルドウス広場に立っていた。その真ん前に外国メディアの宿泊所であるパレスチナ・ホテルがあり、屋上などにTVカメラが並んでいた。
ハイダルは友人とともに8人で広場に向かった。周辺の道路は米軍の戦車と装甲車などで埋められていた。
彼らが広場に着いた最初のイラク人だったが、その後も続々と集まり、30人以上になった。
「倒せ、倒せ、サダム」と沸き上がる大合唱。
そのなかでハイダルらの知らない筋肉隆々の男が一心不乱に、フセイン像の立つ台座に、ハンマーを打ち下ろしていた。=敬称略
□ □
●チャンピオン
フセイン像の台座部分にハンマーを打ちつけていたのは、イラクの元重量挙げチャンピオン、カジム・シャリフ(46)だった。
彼は広場から1キロほど北で自動車販売・修理業を営んでいた。
「米軍がバグダッド北部のサダムシティーに入った」というニュースを衛星テレビで見た。突然、「フセイン像を自分の手で壊そうという思いがこみ上げてきた」という。
70年代から90年代にかけて、重量挙げのイラク代表として、アジア大会や世界マスターズ選手権に出場した。
が、「売買した車の中に治安警察所有のものがあった」という心当たりのない容疑をかけられ、9年の実刑に。恩赦を得られたものの、結局1年半服役した。
選手時代も、オリンピック委員会会長を務めるフセイン元大統領の長男ウダイが、国際大会で良い成績を出せなかった監督や選手を辞めさせるなど、好き放題するのを見てきた。
この日朝から、イラク兵やバース党民兵の姿は通りから消えていた。市中心部の政府施設では略奪が始まっていた。旧秩序は崩壊したのだ。
カジムは言った。
「ある者は銀行のドアを壊しに行った。私はフセイン像を壊しに出た。それが私の最も望んだことだからだ」
●はしごとロープ
ハイダルの仲間のなかで最年少のハサン・アブドルバーリ(17)は、広場に入って、フセイン像を見上げた。
身長約10メートルの像が高さ約5メートルの台座の上に立っている。ハサンははいていたサンダルの片方を、像に投げた。1回目は外れた。また投げた。像の背中に当たった。
引き倒すには、はしごが必要だった。ハリド・サルマン(30)が、アリ・アニース(20)に「はしごを持って来てくれ」と声をかけた。
ハリドは大学卒だが、望んだ職が得られず、近くの駐車場で守衛をしていた。アリもこの駐車場で紅茶を作って売っていた。彼らは駐車場に電話工事用のアルミ製のはしごが置かれていたのを知っていたのだ。
アリは02年秋に北部モスルを拠点とする共和国防衛隊の新兵になったが、イラク戦争開戦10日前に部隊を離脱した。戦争中は警察に見つからないように必死だった。米軍の姿を見て「もう隠れなくていい」と思った。
アリがはしごを持ってくる間に、ハイダルは米軍の装甲車の側面に巻かれていたロープを借りようとした。米兵に向かってアラビア語で叫んだ。
「ハベル(ロープ)をくれ」。フセイン像を指し、両手でロープを引っ張るしぐさを繰り返した。米兵は「ノー、ノー」と手を横に振った。
だが、ハサンがなおも続けると、米兵は意味を理解したのか、ロープを外して下に投げた。
ハリドが最初にはしごを昇り、台座に乗ってアリを引き上げた。
続いて、ハンマーを持ったカジムが台に上った。カジムは台の上でも像の足をたたき続けた。
見知らぬ若者がロープを像の首にかけた。アリが片方の端を受け取って降ろした。何人かがロープを引っ張った。びくともしなかった。
●星条旗
今度は米海兵隊員が特殊車両に乗り、首にチェーンをかけた。拍手がわいた。だが、海兵隊員がフセインの顔に星条旗をかぶせようとすると、拍手がやむ。「ノー、ノー」。イラク人たちは、一斉に叫んだ。米兵は星条旗を外した。
エジプトの衛星テレビのイラク人女性リポーター、メイスーン・ムサウィ(35)が「イラクの旗を掛けよう」と叫んだ。
若者たちが近くのホテルの壁に掛かっていたイラクの旗を取ってきて海兵隊員に手渡した。ところが「フセインと一緒にイラクが倒れるのはだめだ」と声が上がった。イラク旗も外された。
首にかけたチェーンを米軍のクレーン車が引っ張り、フセイン像は音をたてて傾き倒れた。拍手が上がった。
●広場の夢
倒れた像に人々が群がった。ハサンもサンダルで頭をたたいた。「サダムは終わりだ。独裁は終わりだ」と叫び続けた。
イラク人は自力で倒すことができず、最後は米軍が倒した。しかし、ハイダルはこう思う。「米軍はイラク軍の抵抗も民衆の抵抗も受けずにバグダッドに入った。イラク人がフセイン政権を見放していたからだ。私たちがフセイン像を倒そうと考えた。米国は最後に手を貸しただけだ」
戦後、ハリドのところに外国人ジャーナリストが来て、「像を倒したのは米軍から金をもらったからだろう」としつこく質問した。ハリドが否定してもまた同じ問いを繰り返した。
彼らにとって像が立つ広場は、涼しい夜に仲間たちと集う場だった。
「息苦しい体制のもとで、この像が倒れる日を私たちはひそかに語り合い、夢見てきた。なぜ、私たちが夢を実現させるために自ら動いたことを信じないのか」(敬称略)
(バグダッド=川上泰徳)
(朝日新聞2003年7月29日朝刊紙面)
---------- 引用ここまで ----------
私はすでに、この朝日新聞の記事について、朝日新聞社の広報に電話して、いささかの矛盾点を指摘した。おそらく、アメリカの」広告会社が介在しているであろう。(バグダッド=川上泰徳)とあるのは、確かに「現地」に行った記者なのだろうが、こういう場合、記事の大半は、本社(新聞記者はすぐ「本社」「本社」という)のデスクで、アメリカの記事などから、すでに作られていて、写真などの現地情報を味付けに追加する仕組みになっているのである。
以下のわが通信の中に出てくる『現代新聞批判』の「編集発行人・太田梶太」は、復刻版の編集者の「解説」によると、1933年当時、『大阪朝日』を諭旨戒告処分に等しく、「依願退職させられた」のである。
---------- 引用ここから ----------
『亜空間通信』600号(2003/05/17)
【英米式腹話術掌人形テロリスト騙し受売り日本メディアと平和売人は匪賊知らずや】
[中略]
「真実が靴の紐を結ばぬうちに、虚偽のニュースは世界を一周してしまう」
この至言を、私は、戦前に大阪で発行されていた『現代新聞批判』の復刻版で発見した。掲載の日付は、1941年9月1日、いわゆる太平洋戦争勃発、または、アジア・太平洋戦争における対米開戦の三か月と一週間前である。
これもまた、 マーク・トウェインの言葉とあるが、まだ、英語の引用句事典などには当たっていない。とかく有名な警句ほど、発言者の「伝説」であったという例が多いので、一応、出典は留保しておくが、無線電信の開幕期に、その将来を鋭く予測したものだとすれば、永遠の高い評価に値する。いままた、インターネット開幕期である。再び真剣に この至言に耳を傾けることが必要だろう。
[2003.08.05.追記:以上は、1998年元旦に発表した「メディア批判:世界革命宣言」の一部である]
しかりしこうして、ついに昨日(2003/05/16)、電網検索により原典を発見!
http://www.quotationspage.com/quotes/Mark_Twain
Mark Twain
A lie can travel halfway around the world while the truth is putting on its shoes.
[後略]
---------- 引用ここまで ----------
以上。
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電網速報『亜空間通信』(2001.09.01.創刊 2003.08.05.現在、645号発行済)
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