現在地 HOME > 掲示板 > 戦争37 > 573.html ★阿修羅♪ |
|
イラク特措法:
番犬・米国に追随一辺倒の日本外交
「イラク戦争における日本の立場はポーランドと同じだよ」。イラク復興特措法の成立前、ある外交官が自嘲気味にこう語るのを聞いた。
ポーランドは99年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。国境を接するロシアへの歴史的な不信感は今も根強く、国の安全保障とはイコール米国との同盟維持だという生存戦略が、イラク戦争での一貫した米国支持につながった。
ポーランドはロシアが怖い。日本は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が怖い。だから米国についていった方が得策だという肌身の感覚が、両国の対応をほぼ決定づけたというのである。
それが外交のリアリズムだと肯定することはできる。かつて椎名悦三郎外相が国会で「米国は日本の番犬様」と皮肉を込めて言ったのは、約40年も前のことだった。「番犬・米国」が21世紀の今も日本外交の支配原理であると言えば、冷笑的にすぎるだろうか。
戦後の日本は、米国によって作られた国際秩序に付き従うことをもって「外交」としてきた。こうした絶対的「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」は、危機に直面すると間欠泉のように噴き出し、日本を一つの方向へと押し流す。湾岸戦争後の92年国連平和維持活動(PKO)協力法に始まり、イラク復興特措法に至るここ10年の立法作業過程は、米国の世界観に必死になって身の丈を合わせようとしてきた歴史でもあった。
それでも日本には、地道な努力に支えられた独自外交と呼べるものがあったはずである。
中東で植民地支配など「手を汚した」経験を持たず、イランとも良好な関係を保ってきた日本の外交姿勢は、相手から一定の評価を受けてきた。軍事でも「国連が承諾しない戦争に賛成しない」「自衛隊の海外派遣は相手国の同意が必要」という原則が、つい最近までは機能していた。
米国支持ありきで突っ走った今回の対応は、コツコツと積み上げてきたこうした外交経験と資産を、帳消しにしかねない危うさをはらむ。
戦争の「大義」はともかく、破壊された国家の再建に協力するのは当然の責務だ、という議論もあるだろう。だが、派兵の前に考えることはいくらでもある。イラク人による正統政権が誕生するまでなぜ待てないのか。インドのように、明確な国連決議のない派兵にはノーを言うことがなぜできないのか――。
イラク復興特措法の成立は、戦争支持に始まる「米国との特権的同盟関係」を当面、確固たるものにするだろう。
だが、「番犬・米国」に追随する姿勢がむき出しの対米一辺倒外交は、他のあらゆる選択肢を封じ込め、外交の多様性と柔軟性を失わせる。米英でさえ「イラク戦争後」の世界への不安が広がる中、日本は特権クラブの一員としてどのような国際秩序形成に参画しようとしているのか。現地でなお続く「戦争」の実態を前に、政治は方向感覚を失い、立ちすくんでいるように見える。【小松浩】
[毎日新聞7月26日] ( 2003-07-26-20:06 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20030727k0000m030047000c.html