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社説
(2003/7/26)
慎重に情勢見極めよ
安保転換点のイラク特措法
イラク復興支援特別措置法が成立しても、現地情勢は不安定であり、戦闘の危険が去らない限り自衛隊を派遣すべきではない。戦争の大義にも疑問が残っている。
イラク特措法の本質は、中立性や安全性に疑問のある未経験の領域に自衛隊の海外派遣を認め、日本の安全保障政策を転換する点にある。
これまで、自衛隊が参加する国連平和維持活動(PKO)は、国連安保理決議の明確な要請や、紛争当事者の同意などを前提として慎重に実施されてきた。テロ特措法に基づく支援でも、情勢が危険なアフガニスタン国内には自衛隊を派遣せず、比較的安全な海上を主な舞台として給油などに従事してきた。
■自衛隊が交戦の危険も
今回のイラク復興支援では、自衛隊派遣の要請がイラクの民意を代表する形であったわけではない。占領統治しているのは国連の機関ではなく、戦争に勝った米英両国だ。
フセイン元大統領の政権崩壊から三カ月以上が経過しても、米軍などは旧政権側のゲリラ的な攻撃を受け続けていて、情勢は不安定だ。ようやく追い詰めた元大統領の息子らからも、激しい抵抗に遭った。
特措法に基づき陸上自衛隊を派遣することになれば、国際社会の安全保障をめぐり、日本は「普通の国」に一歩近づくことになる。
たしかに、復興支援は主要国として当然の務めだ。中東の安定は原油供給をこの地域に頼る日本にとって国益でもある。北朝鮮の潜在的脅威が不安な情勢下では、日米同盟のきずなも守らねばならない。
不穏な情勢下で、そうした責任を果たし、利益を確保するうえで、整然と活動できる組織は自衛隊をおいてほかにあるまい。
半面、自衛隊が米軍などに後方支援を行う場合、戦闘活動に巻き込まれて交戦し、武力行使の一線を越えることがあっては、憲法の平和主義が傷つくし、自衛隊員の生命身体にも危険が及ぶ。
■大量破壊兵器は未発見
自衛隊を取り巻く危険は、旧政権側の組織的な攻撃だけではない。占領統治に抗議する群衆が暴徒化して自衛隊と衝突すれば、市民に発砲する決断を迫られるかもしれない。
現地の情勢が、憲法を危険にさらしかねないほど不穏である限り、自衛隊を派遣すべきだという結論にはならない。
イラクに自衛隊を派遣しようという構想を、現時点で積極的に支持できないのは、米英両国が主導した戦争の大義に、深刻な疑問がつきまとっている事情にも理由がある。
ブッシュ米大統領がことし一月、一般教書演説で取り上げた「フセインが最近、アフリカから相当量のウランを購入しようとした」という情報は、結局は虚偽と分かった。
フセイン旧政権の大量破壊兵器隠匿をめぐる物証が発見されていない段階で、自衛隊の派遣が、米英両国の占領統治や旧政権追討の戦闘を支援する結果になるのなら、後ろめたさから逃れられない。
日本を含む同盟国、友好国の多くが戦争を支持したのは、米国の情報や米大統領の演説を信用したからだろう。米国は、ゆがんだ情報を流して味方陣営を拡大した背信の責任を明らかにし、けじめをつけねばならない。今後、北朝鮮との間で緊張が高まることがあれば、同じ過ちが繰り返されてはならないのだ。
虚偽情報に粉飾された戦争は、イラク市民に大きな犠牲を強いた。開戦時の戦争支持について「いまさら取り消しますというわけにはいかない」という福田康夫官房長官の発言は、日米同盟関係の信頼感や、戦争で被災したイラク市民らの感情に、いささか鈍感に響く。
戦争の大義の検証や情報粉飾疑惑の真相究明を促す暗黙のメッセージを送るため、政府は、新特措法に基づく自衛隊の派遣には慎重を期する必要がある。戦争を支持した国として、それがせめてもの責任というものだろう。
イラク特措法のように、憲法解釈の限界に一歩近づく新法は、立法府の合憲判断を明確にするため、成立の時点で、できるだけ幅広い党派の賛成を得ておくことが望ましい。ところが、特措法は修正に関する与野党の協議で一致点を見いだせず、与党が野党の反対を押さえ込むようにして成立させた。
新しい安全保障政策を国民が安心して受け入れられる環境を整えるうえで、与野党が対立を解消できなかった経緯は残念だった。野党の主張が入れられなかった結果、特措法は、基本計画に対する国会の関与について事前審査が規定されず、大きな欠陥を残したままだ。
■国会が担う大きな責任
仮に、イラクの情勢などが変化して自衛隊派遣の環境が整ったとしても、国会は基本計画承認にあたり、活動の地理的範囲や業務の種類、指揮権の独立性などを綿密に点検する必要がある。基本計画策定の動きがあれば委員会審議や閉会中審査を活用し、可能な限り事実上の事前審査を行って、文民統制の責任を果たさねばならない。
http://www.tokyo-np.co.jp/sha/