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June 16, 2003
イラク新法は戦争への道
高成田 享
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
1946年11月3日に交付された日本国憲法は、上記の文章から始まる。小泉内閣が国会に提出した「イラク新法」を読むと、戦後日本の出発点ともいえる、憲法に立ち返って考えたくなる。
いまでは、この憲法が米軍を主とする占領軍から押し付けられたというのが「常識」になっているが、少なくとも、この憲法前文に対して、当時の国民の大部分は、わが意を得たりと思ったのではないか。長い戦争を通じて、兵士として「外地」に出征した人ばかりでなく、激しい空襲を受けた「内地」の人々も、戦争の悲惨さを十二分に味わった。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」は、ごくごく国民の自然の気持ちだったろう。
それから半世紀あまり、いよいよ日本は「政府の行為」によって、戦争への道に歩み出す。小泉首相がブッシュ米大統領との首脳会談で約束したイラクへの自衛隊派遣に法的な正当性を与えるイラク新法は、これまで日本国民が許容してきた平和維持活動の範囲をはるかに超えて、米軍とともにイラク国内での戦闘に参加するための法案、としか私には読めない。
「イラク特別事態を受けて、イラクの国民生活の安定と向上、統治組織の設立等に向けたイラク国民の自主的な努力を支援促進する国際社会の取り組みに主体的かつ積極的に寄与するため、国連安保理決議を踏まえ、人道復興支援活動および安全確保支援活動を行う」
これは、イラク新法の第1条にあたる「目的」の内容だが、これほどの欺瞞と偽善に満ちた文章を私は知らない。「イラク国民の自主的な努力を支援」などという言葉を、この法案を書いた人も、通そうとしている人たちも、だれひとり信じていないだろう。自衛隊がやろうとしている主な仕事は、米軍の後方支援で、米兵を輸送したり、弾薬を運んだり、米軍が動きやすいように道路を修理したりすることだろう。
もし、本当に「イラク国民の自主的な努力を支援」するのなら、イラク国民が自主的に作ろうとしている政府を支援するために、占領軍である米英軍を追い出すことしかない。「フセイン政権を倒してくれた米英軍には感謝するが、その後は、自分たちで新しい国を作らせてくれ」というのが多くのイラク国民の気持ちだろう。イラク国民に主権を渡そうとしない米軍に協力することがどうして、イラク国民の支援になるのか。
アーミテージ米国務副長官に「湾岸戦争では、入場料を払って、野球を見学するだけだったが、こんどは、グランドに降りてプレーしてみては」と言われて、ノコノコと小さなミットとバットを持って、グラウンドに出ていくことが、どうして日本の「主体的かつ積極的」になるのか。日ごろ、憲法は占領軍の押し付けで、自主的な憲法を作るべきだと叫んでいる人たちにかぎって、まるで米軍のお手伝いでしかないイラク派兵に賛成を表明しているのは、なんとも不思議な光景だ。「北朝鮮が攻めてきたときに、米国に助けてもらうため」とでも言うのだろうか。「いざ」のために、国民の多くが疑問を持つ戦争をいち早く支持し、出したくもない自衛隊を米国への忠誠として出すなんて、「押し付け憲法」を維持するよりも、よほど屈辱的ではないか。
イラクからこのところ伝えられるニュースによると、ブッシュ大統領が「戦闘の終結」を宣言したにもかかわらず、組織的な米軍への攻撃に対して、各地で戦闘が起きている。先週後半の米軍の空爆を含めた戦闘は、「戦闘終結」以来、最大規模のもので、イラク側の死者も多数にのぼっている。米軍によると、イラク側の死傷者は、「フセイン政権にいまも忠誠を尽くす民兵組織」としているが、現地からの報道では、「家屋に入ってきた米兵がライフルの台尻で、家人をなぐり殺した」というのもあった。
事実は不明だが、市街地で、一般の市民も巻き込まれるなかで、戦闘が続いているのだろう。ライフルやロケット砲による攻撃を受けている米軍からみれば、かつてのベトナムと同じように、周りのイラク人がすべて敵に見えているに違いない。死傷者のなかには、非戦闘員への誤射誤爆もふえているのではないかと心配する。
フセインの指揮で、全組織が行動するような組織的な戦闘は、おそらく終わっているのだろう。「生き延びたフセインが米兵を殺すたびに200ドルの懸賞金を払っている」といううわさも流れているそうだが、フセイン政権の残党だけが戦闘に加わっているとは思えない。フセイン政権が倒れたあとも居残り、イラクを支配しようとする米軍に反発する非フセイン支持派の民兵も混じっているのではないか。もし、そうならば、米軍が掃討作戦を進めれば進めるほど、イラク国内の反米勢力をふやすことになる。
いまの状態で、自衛隊を出せば、現地では、米軍と行動をともにする占領軍とみなされるのは当然で、それに反発してゲリラ的な抵抗を続けているイラク勢力の標的になるのは確実だ。「現に戦闘行為が行われておらず、かつそこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域で実施する」(第2条3項)。人がだれもいない砂漠地帯でもいかないかぎり、そんな地域がどこにあるのだろうか。
実際にイラクに行けば、「自衛のため」、武力行動を強めるしかなくなるのではないか。「武力による威嚇または武力行使に当たるものであってはならない」(第2条2項)とはいいながら、米軍と行動をともにすれば、武力行使をやらざるをえなくなるのは確実だ。
「日本は米国と対等の立場にあり、米軍が戦闘行為に参加するのなら、自衛隊もそれに参加するのが日米同盟である。イラクのフセイン残党を討伐し、治安維持のために、自衛隊は米軍とともに、戦闘行為に入ることも辞さない」。イラク新法の欺瞞をなくすには、こうした趣旨の法案にして、国民の賛否を問うべきだろう。これは、憲法の精神には根本的に反するので、違憲訴訟も起きるかもしれないが、本当は戦闘協力法案なのに、「復興支援法案」などというウソをつくよりもましだろう。
私は反対だが、自衛隊と米軍との海外での軍事行動を認めるべきという考えが日本の多数になるかもしれない。しかし、そういう選択の機会を国民に与えず、なし崩しで、自衛隊が軍事行動に参加していくのを容認するような法案を出すのは、国民を欺くものでしかない。
それにしても、国民の支持率が高い首相がいると、戦後日本の基本姿勢を根本的に変えるような大胆な法案でも出せるものだと驚いてしまう。日本は議員内閣制の国だが、高い支持率があれば、大統領制に近い権力を振るうことができるわけだ。
しかし、戦争には熱心だが、国内の「改革」への不熱心さは、ひどいものだ。国民が与えた支持は、国内改革への積極的な取り組みのはずだが、それは忘れて、ひたすら戦争への道である。いつまでもあると思うな支持の声。そんな悪口もいいたくなるような小泉首相のいまである。
http://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20030616.html