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「五五年体制」といわれた自社両党時代、有事法制は保革対立の象徴的なテーマだった。その有事法制関連三法が成
立したことは、戦後のタブーが破られたことを意味する。冷戦の崩壊、北朝鮮の核開発問題といった国際情勢の変化
が、それを促した。憲法をめぐり、集団的自衛権の行使を認めていない政府解釈の変更も現実味を帯びてきた。
(政治部・西川裕二)
■発 端
一九六三年、自衛隊制服組が朝鮮半島有事を想定し、極秘に有事対応を検討した「三矢(みつや)研究」。これが有
事法制論議の発端だった。二年後の国会で、当時の社会党議員が暴露して政治問題化した。まだ、戦争の記憶が風化し
ていない時代だった。
だが、冷戦崩壊の波は、日本も揺さぶった。
自衛隊の活動は一九九〇年代以降、急速に拡大した。まず、湾岸戦争の教訓から生まれた九二年の国連平和維持活動
(PKO)協力法が、海外派遣に道を開いた。その後、周辺事態法によって、日本周辺で戦闘中の米軍に対する後方支
援が可能になり、テロ対策特別措置法では、日本から遠く離れたインド洋での米軍支援まで活動範囲は広がった。
ただ、三日の参院有事法制特別委員会での参考人質疑では、森本敏・拓殖大教授が「日本は事態対処型の法整備を積
み重ねてきた。そろそろ脱却すべきだ」と指摘した。場当たり的な対応を重ねた一連の法整備は、つぎはぎだらけ。な
ぜなら、それは憲法解釈によって合憲の枠を拡大する繰り返しの歴史でもあったからだ。
■すき間
戦力の保持を禁じている憲法について、政府は「自衛のための最小限の実力は戦力に当たらない」との解釈を取って
いる。憲法は自衛隊の活動に歯止めをかけてきた。
自衛隊が新たな活動に踏み切る際、必ず議論になるのが「集団的自衛権の行使」の問題。政府は、自国が直接攻撃さ
れていないのに、同盟国に対する攻撃を実力で阻止する集団的自衛権について、主権国家として保有しているが、行使
は憲法上許されないとの見解をとっている。
このため、自衛隊が戦闘中の米軍を支援するにしても、武力行使と一体化しないよう、戦闘地域外での後方支援に限
定したように、憲法の枠をこじ開けてすき間をつくり、ギリギリの対応を行ってきた。
だが、先の日米首脳会談で、日米協力の加速を確認したミサイル防衛(MD)を導入するにしても、日本を狙ったミ
サイルと断定できない段階で迎撃すれば、集団的自衛権の行使にあたるとの指摘がある。もはやすき間をつくるのは限
界にきている。
■同 盟
福田康夫官房長官は五月二十二日、参院での有事法制審議で、集団的自衛権の行使について「いつの内閣になるか分
からないが、状況を見ながら判断する時が来るのかなと思う。それが早からんことを祈っている」と答弁、政府解釈の
変更に期待を表明した。
その二日前には、小泉純一郎首相が「いずれ憲法でも自衛隊を軍隊と認める時期が来ると確信している」と答弁し
た。
これより前に、有事法制関連三法案が九割の賛成で衆院を通過したという事実は、こうした政府首脳の勇ましい発言
に、現実味を持たせている。
二〇〇〇年十月、後にブッシュ政権の国務副長官に就任するリチャード・アーミテージ氏らが、ブッシュ政権の対日
政策を先取りする形でまとめた対日政策報告書「アーミテージ報告」は、「日本が集団的自衛権を禁じていることは、
同盟の協力にとって制約」と指摘し、その行使を認めるよう日本に求めた。小泉政権が有事法制整備を進めた背後に
も、米国の存在があった。
日本の安全保障政策は大きな転機を迎えている。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20030607/mng_____kakushin000.shtml