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「トロツキーイコールネオコン」とんでも説批判−−短いエッセイ「トロツキー研究所」
http://www.asyura.com/0306/war35/msg/429.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 6 月 07 日 14:57:30:0iYhrg5rK5QpI

yahoo japanを検索した結果、いの一番にでてきたサイトで最近の風潮批判あり。今、詳しく目を通しているところですが、とりあえず以下(更新情報)。

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http://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/osirase.html

お知らせ&更新情報

 

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.5.16)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.5.12)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.5.6)

 最新号(第40号)をアップしました。雑誌の方にあったいくつかのケアレスミスが修正されています。(2003.5.1)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.4.27)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.4.24)

 久しぶりに、「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。

 ところで、最近、アメリカのネオコン(新保守派)をめぐって、トロツキーおよびトロツキストに対するナンセンスな濡れ衣がしばしばかけられ、迷惑しています。ネオコンの親玉のような人物が学生時代、シャハトマン派のトロツキスト組織にたまたま入っていたというだけで、現在のネオコン戦略(外部からの軍事力による「解放」)が、このトロツキストであった過去やトロツキーの「世界同時革命」論と密接に関係がある、というわけです。

 反論するのもバカバカしいこのようなトンデモ説を、立派な肩書きをもった立派な人々が公共の電波や公共の新聞を通じて垂れ流しているのですから、困ったものです。同じような論理で、現在の読売グループや西武グループの戦略は日本共産党ないしスターリニズムと関係があると言うこともできたでしょう。

 そもそも、トロツキーは「世界同時革命」なるナンセンスな議論を一度も唱えたことはないし、ネオコンの戦略とて、別に世界同時に軍事力で「解放」する戦略ではありません。「同時」なる無用な言葉が入るのは、このような説を流している人々自身がこの問題についてまったく無知だからに他なりません。

 また、トロツキーは、十分に成熟した革命に軍事的支援を行なうことには原則的に賛成でしたが、革命情勢など存在しないにもかかわらず軍事力によって外部から「革命」政権を押しつけるような、いわゆる「革命の輸出」路線にはきっぱりと反対しました。そして、そのような路線をめぐって、1922〜23年にトロツキーはいわゆる「攻勢理論」派と大論争を繰り広げてきたのです(第28号(特集 軍事理論の諸問題)参照)。逆に、軍事力によって外部から自分たちにとって都合のいい政権を押しつける行為を実行に移したのは、第2次大戦中、および戦後のスターリンでした。したがって、ネオコンの戦略に親和的なのは、トロツキーではなくむしろスターリンのほうでしょう。

 ロシアのスターリニスト歴史家のたわごとといい(3月2日付のお知らせ参照)、今回の日本の政治評論家のたわごとといい、最近、最小限の歴史的知識さえもたない「知識人」たちが政治的な公共空間をすっかり席巻してしまっているようです。(2003.4.21)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.4.5)

 『トロツキー研究』の最新号(特集 左翼反対派の闘争(1))を昨日、会員および定期購読者に発送しました。今日か明日には到着すると思います。お楽しみに。なお、一箇所重大なミスがありましたので、ここで訂正しお詫びしておきます。73頁の見出しのところですが、「トロツキーの手紙(10月8日付)に対する政治局員の回答」の筆者名がなぜかトロツキーになっています。これは大間違いで、正しい筆者名は「スターリン、ジノヴィエフ、カーメネフ他」です。何でこんな初歩的な大ミスが見過ごされたのか不思議ですが、とりあえず、ここで急いで訂正しておきます。申し訳ありませんでした。(2003.4.4)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.3.26)

 いよいよアメリカによる対イラク戦争が秒読み段階に入りました。トロツキーの時代と同じく、帝国主義の側が用いる侵略の口実は同じです。民主主義のための戦争、解放のための戦争、自衛のための戦争、等々です。ブッシュ大統領のしらじらしい口調の演説は、彼自身が自分の言っている開戦理由を信じていないことを示しています。今から12年前にクウェートがアメリカによって「解放」されたはずですが、かの国が一握りの王族郎党の支配から脱して民主共和制の国になったという話は聞いたことがありません。

 帝国主義諸国が戦争をやる理由はトロツキーの生きた時代とそれほど大きく変わりません。経済的利権と政治的覇権の確立です。帝国主義の安定した支配に必要ならば、ごくたまに議会制民主主義が、たいていの場合は専制と独裁が、場合によっては王政やファシズムが導入されるのです。(2003.3.19)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.3.19)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.3.12)

 例の『朝日新聞』の記事の件で、朝日編集部に抗議のメールを出しておきました(あの記事を読んで怒りを覚えたすべての方も、どしどし抗議メールを出してください)。それに対する相手側の反応(あればの話ですが)については、また後日お知らせします。(2003.3.7)

 「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.3.5)

 3月1日付の『朝日新聞』の第8面に、スターリンの復権を狙った「歴史書」(『ゲネラリシモス(元帥)』)が出版され、ベストセラーになっているという記事が掲載されています。この著作の作者(ウラジーミル・カルポフ)のコメントも掲載されていますが、その内容が実に噴飯ものです。以下全文、引用しましょう。

 「国家保安委員会の秘密資料などを集め、5年がかりで『ゲネラリシモス』を書いた。弾圧と呼ばれる間違いも犯したが、スターリンは卓抜した政治家だ。部分的な事実を誇張して批判するだけでは、彼の指導者像は見えてこない。私の調べでは、レーニンの死後、実権を掌握したトロツキー派は、配下のユダヤ人を使って250万人のロシア人を殺した。スターリンは同派との闘争過程で、ユダヤ人ら5万人弱を殺した。どちらが国民にとって大犯罪なのか。社会主義思想の破壊をたくらむ勢力に対し、強い指導力で国民の団結を勝ち得た。著書をプーチン大統領に贈り『お役に立ちますか?』と添え書きした。欠けているものを読みとってほしい」。

 最初から最後まででたらめで、反ユダヤ主義的なたわごとです。レーニンの死後にトロツキー派が実権を握った? いったいどこの惑星の話をしているのでしょう。レーニンが死んだのは1924年1月。このとき、トロツキー派は新路線論争で完全に敗北し、かろうじて持っていた拠点であるモスクワ党組織、軍事部門、青年学生部門、すべてにおいて基盤を破壊されました(次号の特集はまさにその過程を扱っています)。心底驚くべきは、そのときにトロツキー派が「配下のユダヤ人(!)」を使って「250万人のロシア人を殺した」(!!)というくだりです。この党内闘争においては、トロツキー派どころか、スターリン派も人を殺していません。闘争は完全に党の枠内で展開されました。唯一、1923年にスルタン=ガリエフ(トロツキー派でも何でもないが、スターリンに対立していた)がスターリン派の差し金で逮捕されたぐらいのものです。スターリン派でさえ政敵を殺しはじめるのは、1930年代になってからであり、とりわけ1936年以降です。

 そもそも、トロツキー派が250万人も殺したというのに、その中にどうして最大の政敵であるスターリンは含められていないのでしょう? しかも、当時の共産党員数は全部で50万人程度。全党員を殺してもまったく足りません。「配下のユダヤ人」とやらはどうやら、党内闘争とは何の関係もない人々を殺しまくるお間抜け野郎だったようです。これは、モスクワ裁判のときにスターリン派によって唱えられた「トロツキストの陰謀」よりもはるかに荒唐無稽です。しかも、トロツキー派はユダヤ人を使って「ロシア人」を殺し、スターリン派は「ユダヤ人」を殺した、というわけです。ロシア人とユダヤ人を対立させるための見え透いたレトリックです。トロツキー派にもスターリン派にも、多数のユダヤ人が参加していたし、どちらにも同じく多数のロシア人が参加していました。

 このような前時代的な差別主義的文献が堂々と出版され、ベストセラーになっているという事実は、現在ロシアがどこまで思想的に退歩しているかを示しています。凋落したスターリニズムは、1920年代と同じく、ロシアで根強い反ユダヤ主義に助けを求めているようです。(2003.3.2)

 「次号予告」をアップしました。次号の特集は「左翼反対派の闘争(1)――新路線論争」です。お楽しみに!(2003.2.28)

「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.2.27)

「トロツキー・ライブラリー」を更新しました。(2003.2.13)

 祝! 5万アクセス達成! ついに、5万という大台に乗りました。4万アクセスを達成してから半年足らずでの5万到達です。この1、2年、だいたい半年で1万のテンポでアクセスが上積みされているようです。今後ともよろしくお願いします。(2003.2.9)

 本日、『ニューズ・レター』第34号を会員のみなさんに郵送しました。『トロツキー研究』の最新号(第39号 中国革命と陳独秀)に掲載しきれなかった「陳独秀と中国革命」に関する諸資料が掲載されています。お楽しみに。(2003.2.6)

「トロツキー・ライブラリー」を久しぶりに更新しました。(2003.1.29)

 現在、次号を鋭意準備中です。次号の特集は「左翼反対派の闘争(1)」で、主として1923年末における新路線論争を取り上げる予定です。本邦初訳の重要な資料も盛りだくさんにする予定です。また小特集として、先ほど亡くなられた王凡西氏の追悼記事を複数掲載する予定です。お楽しみに。(2003.1.29)

 『トロツキー研究』の最新号(第39号 中国革命と陳独秀)の一部をアップしました。陳独秀に関する王凡西氏の論文も入っています。(2003.1.10)

 昨年の年末、12月30日に中国の老トロツキストである王凡西氏が、心臓発作のためイギリスのリーズで死去されました。王凡西氏の回顧録『中国トロツキスト回想録』を見てもわかるように、まさに最古参の中国トロツキストの一人であり、また鄭超麟亡き後、その最後の生き残りでもあった歴史的人物です。

 王凡西氏は、老境に入ってからもその執筆活動を続けられ、わが『トロツキー研究』にも何度も寄稿していただきました。彼の病室には『トロツキー研究』が並べて置いてあったそうです。『トロツキー研究』の最新号である第39号はちょうど「中国革命と陳独秀」であり、陳独秀に関する王氏の論文を2本掲載することができました。王氏が死去される前にこの号を発行することができ、王氏に届けることができたことを、ささやかな喜びとしたいと思います。心よりご冥福をお祈りします。次号の『トロツキー研究』にはぜひとも王凡西氏の追悼文を掲載したいと思います。

 また、ついでと言っては何ですが、「リンク集」の「トロツキーの同時代人・友人」のコーナーに香港のトロツキストが運営している「陳独秀と中国革命」というタイトルのホームページを入れておきました。そのトップページには、王凡西氏の死去を告げるニュースが掲載されています。(2003.1.6)

 あけましておめでとうございます! 本年もよろしくお願いします。暗いニュース続きの昨年でしたが、今年も簡単に明るいニュースは見つかりそうにありませんね。トロツキー研究所はいつまでもつのでしょうか?(おいおい) 今年も地道に着実に、やっていきたいと思います。それはそうと、「トロツキー・ライブラリー」にスペイン革命の論文を1本アップしました。(2003.1.4)

 古いお知らせはいつものように、別のページに移しました。

 

(2002年前半のお知らせ)(2002年後半のお知らせ)

(2001年前半のお知らせ)(2001年後半のお知らせ)

  (2000年前半のお知らせ)(2000年後半のお知らせ)

(1999年前半のお知らせ)(1999年後半のお知らせ)

 

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