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最近の政治動物の動きは学問などまったく無関係、己の主観的願望だけで物を言っている。まさに馬鹿丸出し。歴史は知らんけど政治技術はまかせてくれ、と言わんばかりに「陳謝」でも居直っている。
ポチをはじめ、今の閣僚たち、頭脳の程度はどうなってるんだ?ここにまた歴史狂科書の悪しきサンプルが呈示された。
学習院出身者なら、同じ苗字でも麻生磯次いう立派なリベラリストの学長が居たことぐらい認識しとかにゃ阿寒。立派なお前のおじいちゃんが墓場で泣いてることだろう、「ああ、日本も終わりじゃ。馬鹿な孫よ、さっさと引退せんかい」。
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http://www.asahi.com/politics/update/0602/009.html
「創氏改名」発言、麻生・自民政調会長が陳謝
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自民党の麻生太郎政調会長は2日夕に記者会見し、東京大学の学園祭で講演した際に「創氏改名は朝鮮人が望んだ」との趣旨の発言をしたことについて「日韓関係の重要性が私の発言から齟齬(そご)をきたすのは誠に申し訳ない。韓国国民に対して率直におわび申し上げる」と陳謝した。6日に韓国の盧武鉉大統領の来日を控え、韓国メディアなどに反発が広がったことから、早期に事態の収拾を図ろうとしたものだ。
発言の経緯について麻生氏は「学生にわかりやすく説明しようとして言葉が足りなくなり、真意が伝わらなかった」と釈明。「朝鮮半島における過去の植民地支配に対する認識は、95年の村山首相談話、96年の橋本首相談話において『いかに多くの韓国の方々の心を傷つけたかは、想像に余りある』と述べている通りで、その認識はまったく変わらない」と説明した。
ただ、発言そのものを撤回するかどうかについては「双方で色々な認識があり、学者等々で続いている話だ。その経過を見守らないと、きちんとした発言はできないということだと思う」と語るにとどめた。
会見に先立ち、麻生氏はこうした考えを自民党の山崎拓幹事長に電話で伝え、山崎氏も「この回答でよろしいのではないか」と返答した。しかし、与党にも「創氏改名は深刻な日韓関係の中の歴史的な問題。大統領訪日直前のこの時期にどうされたのかな、という気は率直にする」(公明党・東順治国対委員長)などと疑問視する声も少なくない。野党各党も「いまだにこうした発言で日韓関係にマイナスの影響が出ることは残念」(民主党・岡田克也幹事長)、「事実と違い、重大な発言だ」(共産党・市田忠義書記局長)と一斉に反発した。
また在日本大韓民国青年会中央本部は同日、自民党本部と麻生氏の事務所に対し、「韓日が新たな視点に立ち作り上げてきた友好関係を真っ向から否定する発言」として麻生氏の党役職の辞任と議員辞職、韓国政府と北朝鮮政府への謝罪を求める抗議文を提出した。
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麻生太郎・自民党政調会長が31日に東京大学の学園祭で発言した「創氏改名」に関する内容の要旨は以下の通り。
質問者: 中国や韓国と外交をするうえで、歴史問題をどうすればいいと思うか。
麻生氏: 歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。たとえば朝鮮人の創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が出たことは一回もない。しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ。これを韓国でやりあったら灰皿が飛んできた。そのときに「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んでこい」と言ったら、おじいさんが現れて「あなたのおっしゃる通りです」と。ついでに「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、おたくらにそういう言葉はないのか、と言ってハングル文字が出てきた」と言ったら、もっとすごい騒ぎになった。その時もそのおじいさんが「よく勉強しておられる。あなたのおっしゃる通りです」と言って、その場は収まった。やっぱり、きちんと正しいことは歴史的事実として述べた方がいい。 (06/02 20:31)
ついでに麻生氏の略歴をHPで検索。皇室大学はまともな勉強させてくんないのかな?
ハクをつけるために留学をやってみても、所詮薄っぺらな頭脳は改良されるわけでもなく、ただただお金持ちの利害を守るためにだけのスポーツ(鉄砲気違い)で武装した政治動物でしかない。
−−−−−−以下HP---
http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/profile/profile.html
衆議院議員
麻生 太郎
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生年月日
: 昭和15年 9月20日
所属政党 : 自由民主党
選挙区
: 福岡県第8区
当 選 : 7回
学習院大学卒業後、スタンフォード大、ロンドン大学院に留学。帰国後に家業の麻生産業(現麻生セメント)に入社、炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。日本青年会議所会頭時代は民間外交を積極的に推進。祖父は故吉田茂元首相、父の故太賀吉も衆議院議員と政治一家だが、衆議院初当選は父引退の14年後。「タロー」の愛称で親しまれる自らの人柄で熱烈な支持を集めてきた。国内各界のほか米国など海外にも幅広い人脈を持つ。特技の射撃はメキシコ国際大会優勝、モントリオール五輪にも出場し、ゴルフも得意。
一男一女の良き父でもある。
昭和15年9月20日生
昭和38年 学習院大学政経学部を卒業後、スタンフォード、ロンドン両大学院に留学。
昭和48年 麻生セメント社長に就任。
昭和51年 モントリオール五輪にクレー射撃日本代表として出場。
昭和53年 日本青年会議所会頭に就任。若き経済人のリーダーとして活躍。
昭和54年 衆議院選挙に初当選。以来、エネルギー政策の転換で疲弊した産炭地・筑豊の浮揚に全力を集中、同時に経済大国日本の果たすべき役割と進むべき道を追求、外交面でも活躍。
昭和63年 文部政務次官に就任。
平成2年 自民党文教部会長に就任。
衆議院石炭対策特別委員長に就任。
衆議院外務委員長に就任。
平成5年 自由民主党副幹事長に就任。
平成8年 国務大臣 経済企画庁長官に就任。
平成12年 自由民主党 経理局長に就任。
平成13年 国務大臣 経済財政政策担当大臣に就任。
自由民主党政務調査会会長 に就任。
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内外にわたる幅広い人脈と行動力、政治への情熱は高く評価されており21世紀のニューリーダーとして注目を集めている。祖父は、今日の日本の進路を決めた吉田茂元総理。当選7回。
セピア色に変色した1枚の写真。非常に懐かしい思い出の1枚です。確か昭和24年の冬と思いますが、インドのネール首相から日本に贈られた2頭の象を、祖父で当時総理大臣だった吉田茂と、母の和子と一緒に上野動物園まで見に行った時のものです。
中央の子供が私で、その右が祖父、左が母です。この写真を見て改めて驚くのは、現在と違って総理大臣の警備がたった一人であること。私の記憶に間違いがなければ、あとは新聞記者と一般の見学者の方々です。当時、日本の将来をその双肩に担っていた祖父とは思えぬ、温かみのある表情が印象的です。
上野動物園の象は名前をインディラ、ハナコと言い、全国の人気者となりました。インディラは昭和58年に死亡しましたが、ハナコの方は現在、およそ50歳。東京の井の頭恩賜公園自然文化園で元気に余生を送っているそうです。