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イスラエルとパレスチナのバランスオブパワーと会談テーブル【アルジャジーラ.infoの漫画です。】→この漫画を見た後、次の記事を読んで欲しい。
The balance of power decides positions of Palestinians and Israelis at the negotiations table (Emad Hajjaj, 5/28/03).
http://www.aljazeerah.info/Cartoons/2003%20cartoons/Today's%20cartoons.htm
テーブルクロスの下の鉄格子の中から、パレスチナ国旗を出している、、。
上記漫画を見た後、次の記事を読んで欲しい。5月28日東京新聞「筆洗」
エルサレム辺りのネット上では「返還領土減少の法則」という話がはやっ
ているそうだ。パレスチナの土地がどんどん減っていく歴史をいう▼最初
は一九四七年。大戦中のナチスによるユダヤ人大量虐殺が明るみに出て国
際世論が同情。国連は英国の委任統治下だったパレスチナの地を分割し、
ユダヤ国家とパレスチナ国家を樹立すると決める。この時のパレスチナヘ
の割り当ては47%。半分以下である▼アラブ側は怒り、第一次中東戦争
がぽっ発。イスラエルは戦勝を重ねて土地を増やしていく。パレスチナの
方はアラファト議長ら指導部が「国」外を転々。ついにやってきた機会が
九三年のオスロ合意だった。戻る土地は半分の半分より少ない22%。そ
れでものんだ▼ところが和平派のラビン首相が暗殺され返還プランは頓挫
してしまう。米国の仲介で交渉は息を吹き返したかに見えたがイスラエル
の返事は22%のうちの80%を返しましよう。アラファト議長は蹴る。
そして次なる相手は強硬派のシャロン首相。彼は入植を進めてさらに削り、
最初から数えれば22%の80%の、そのまた42%を差し上げますとな
った。もはや一割もない▼シャロン内閣は初めてパレスチナ独立国家を認
めたとされる。勇気ある決断にも見えるが、面積でいえばパレスチナ国家
のほぼ消滅を宣言したようなものではないか▼歴史とは残酷なものだ。常
に勝者が著す。もしイスラエルが戦争に負けていたら事態は逆になっただ
ろう。ただ現代においてこれほどの残酷を放置してきた国際社会とは一体
何だったのか。