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(2003/6/22)
社説
大いなる国いずこに
大きな人間、大人物が減りました。首相候補もいない悲惨な国が寄りすがる大国はといえば「力こそ正義」と大声上げる割に全然大きくない。人物も国も。
関西が大騒ぎです。阪神タイガースが強いので。
十数年、下位に低迷。シーズン初めに好調でもやがては息切れしたチームが、ことしは「ちゃう」とか。
「戦勝」の喜びと、「落ち始めない」意外性の掛け算で、浪速っ子は至福の日々のようです。
暗い時世だもの。たかがプロ野球の珍事でも、それで関西が元気ならええやないか。つられて日本も、多少は明るうなる。タイガース追い落としの楽しみも持続して…。
■イラク占領行政が混乱
「戦勝」に、掛けるのが「落ちない」ではなく「落ちる、人気落ち」だと、答えは至福の反対、苦境になってしまう。イラクを占領した米国がそれでしょう。
「サダムを倒してくれたのはうれしいが、米国にはイラクから早く出ていってほしい」
そんな嫌米、反米感情が国民に広がっているといいます。
何千人もの民間人を殺され、水、電気、石油を断たれ、治安も乱れ切って、人々は戦後の苦しみが極まっているらしい。旧軍人や膨大な公務員は職を失い、生活難が深刻です。
米英の暫定占領当局(CPA)が無政府のイラクを治めていますが、イラクの宗教各派、民族、部族のあらゆる代表からなる国民議会の設置は当分見送りとか。代わりにイラク人三十人ほどの評議会を設けてCPAの助言機関にするそうですが、その人選がCPA任せでは、民意反映の評議会にはなり難しです。
対イラク開戦の大義名分だった大量破壊兵器は見つからぬまま。「民主化」もその青写真、設計図のないうつろな美名でしかなかった気配です。くっきり見えているのが、石油などの利権獲得の野望だけではイラク国民が落胆し怒り、世界がシラけるのも致し方ない。
かくて、イラク各地に反米デモが広がりつつあります。駐留米兵が襲撃され続けてもいる。米軍司令官は「われわれはまだ戦闘地域にいる」と言っているそうで、市民からの武器狩りにも必死のようです。
「武器を奪われて自爆でしか抵抗できないパレスチナを見よ。イラク国民は武器も軍も捨てはしない」
古来、戦闘に明け暮れてきた地の民の本音を聞くと、力まかせの“刀狩り”は不可能に思えます。
占領体制と、やがて生まれる新政府・行政機関が、イスラム教代表や旧行政末端の人々まで一切排除では事が進まない懸念も大でしょう。
■ザ・ビッグ・カントリー
強い米国が力にものいわせない解決策はあるはずなのに。そう思うのは、先日逝った名優グレゴリー・ペックをしのびながらです。
彼主演の米国映画「大いなる西部」はウィリアム・ワイラー監督、1958年製作。原題が「ザ・ビッグ・カントリー」です。
西部開拓時代の雄大な風土、たくましく荒々しい群像の中で織りなされる人間ドラマは、米国人の原点にあった精神を描いて感動的でした。
二人の老牧場主が互いに水源地の独占を図り暴力で抗争する。一方の牧場主の婿になるはずの東部から来た主人公は、水源地を共同利用する平和的解決の道を、非暴力に徹しながらついには切り開きます。古い西部が克服され、新しい大いなる西部が開けたのでした。
憶病と誤解された非暴力が実は精神の強さ、大きさで暴力を倒せる。解決は暴力でなく非暴力によってこそ導かれる。尊いのは真実、ヒューマニズムである。正義と勇気は無上の価値だ。が、それは暴力を必要としない。暴力は正義、勇気とは反対のもの。卑怯(ひきょう)にさえつながる−と教えてくれたのです。
こんな映画を作れる米国をそれこそ「ビッグ・カントリー」だと思いました。米国人の愛する真の正義、勇気とはこういうものなのだろう、と胸に刻みもしたのでした。
ところが、です。今、世界に君臨する米国は何をもって強さとしているのか。まずはケタ外れの核軍事力という、つまり暴力ではありませんか。その武力、先制攻撃で実現を企てる「正義」とは、およそ「ビッグ・カントリー」のそれにはほど遠いものでしょう。
■強さより大きさを見たい
強さよりも大きさをこそ、米国は発揮してほしい。懐深く、相手を理解し、その望みも極力聞き入れて包容しつつ、進歩、幸せを共有してゆく。謙虚な内省が欠かせないでしょう。私欲も抑えなければ、信は得られますまい。
イラクの復興に当たっても、中東和平をかなえるためにも、最大のカギを握る米国の姿勢は、そんな「大いなる」ものであってもらいたい。
イラクの国情、民意をよくよく分析し、条理を尽くして説得もしなくては。力でねじ伏せる占領行政は反抗の暴力を生むだけだ−と説くのは、そう、天界のペックの声です。
http://www.tokyo-np.co.jp/sha/