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(回答先: Re: 【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 「百人斬り」冤罪訴訟を我が事とせよ 投稿者 孝子ファン 日時 2003 年 7 月 18 日 20:31:34)
士官に供与(下賜)される軍刀(日本刀)が取り替え自在というわけではないので、「百人斬り」が誇張された話であるかことは事実だろう。
しかし、「百人斬り」なのか「三人斬り」だったのか、士官二人が本当に戦果を競い合ったのかは別として、日本刀で敵をぶった斬ることが英雄的で格好いい行為と受けとめられていたんだろうとは推測する。
そうでなければ、準戦時下に東京日日新聞(現毎日新聞)は、たとえ現地特派員がそのような記事を送ってきても新聞に掲載することはなかったはずだ。
また、小堀氏は、悲痛な声で、「陸軍は第一線の将兵にその様な殺人の功業を認めてはゐない、といふ意味の訂正申し入れを、新聞社に対してなすべきであつた。何故それをしなかつたのか。軍はその様な殺戮行為を奨励するものではない、と何故声明しなかつたのか。」と言われているが、陸軍首脳は、「百人斬り」が誇張記事だとわかっていても、それは皇軍の強さを印象付け国民の戦意を高揚させるものだと判断したから放置したと考えるほうがスムーズである。
小堀氏は、旧陸軍を擁護する立場から「「百人斬り」が虚構であり、第一物理的に「あり得ぬ」話である」と断じているが、「百人斬り」が虚構というより誇張ではなかったのかという疑念は持たれていないようである。
(敵がどのような状態であったかはわからないので、その問題は除外する)
おかしな言い方になるが、「「百人斬り競争」の汚名から両少尉の名誉を回復するための訴訟」という考えにも違和感を抱く。
両少尉が、一人の敵でもそのようなことを行なっていたとしたら、軍刀で敵を叩き斬るという“度胸と技量を要する行為”にヒロイズムや名誉を感じていたのではなかいとも推測できる。
東京日日新聞(現毎日新聞)が記事を掲載し、陸軍も記事に抗議しなかったという事実から、そのような推測もあながちデタラメとは言えないだろう。
昭和12年の日本には「百人斬り競争」の記事に支配層やある範囲の国民が歓呼の声を上げる価値観状況にあったんだと私は冷静に受け止める。
「百人斬り」だったのか「一人斬り」だったのかといった量を検証することも重要だが、それで両少尉(やったのが事実だとして)の名誉が回復するとも思わないし、当時の価値観が覆るとも思わない。
もちろん、両少尉を人面鬼だとも思わない。
両少尉は、戦前のある時期において豪胆で勇猛だと褒め称えられるべき帝国陸軍士官だったと考える。