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落語家・春風亭柳昇、胃がんで死去−82歳
軽妙な語り口、とぼけた芸風で親しまれ
明るい芸風で親しまれた春風亭柳昇さん(平成9年12月9日、浅草演芸ホール) 軽妙な語り口、とぼけた芸風で親しまれた落語家で落語芸術協会理事長の春風亭柳昇(しゅんぷうてい・りゅうしょう、本名・秋本安雄)さんが16日午前2時10分、胃がんのため東京都清瀬市の病院で死去した。82歳だった。東京都出身。自宅は東京都武蔵野市関前3−16−10。通夜は19日午後6時から。葬儀・告別式は20日正午から、武蔵野市八幡町1−1−2の延命寺で。喪主は妻、孝子(たかこ)さん。
昭和16年召集され、戦地で両手を負傷。復員後の21年、戦友の父だった先代・春風亭柳橋に入門し、24年、五代目柳昇を襲名。33年に真打に昇進した。
「古典落語はソバや酒を飲むしぐさがあるが、あたしゃ(負傷で)指がうまく動かない」と新作落語に活路を見いだし、「結婚式」「課長の犬」など日常生活やサラリーマンを題材にした作品を次々と発表。著作「与太郎戦記」は映画にもなった。37年、桂米丸らと「創作落語研究会」を結成し、国立演芸場開場の設立促進委員長として折衝に当たった。
趣味のトロンボーンを使った芸なども得意で、57年には女性のファンクラブ「柳昇ギャルズ」も結成される人気だった。同年、芸術祭賞優秀賞受賞。平成2年に勲四等瑞宝章受章。
落語芸術協会によると昨年12月、精密検査で胃がんが発見され、同月の手術で胃の3分の2を摘出。しかし、今年5月に再び症状が悪化し再入院していた。最後の高座は4月23日、渋谷クロスタワーホテルでの落語特特選会。演目は十八番の「結婚式風景」だった。
落語芸術協会副会長、三遊亭小遊三さんの話 「協会を代表して外と折衝するのが抜群にうまかった。国立演芸場設立のときも、国や政治家との交渉に東奔西走、常に落語のことを考えておられた。昨年夏、私のバンドが浅草演芸場に出たとき、トロンボーンを吹いていただいたが、客も本人も大喜びだったのが印象に残っている。常に前向きで、当人もまだ死んだ気がしていないんじゃないかと思うくらい。教わることがまだまだいっぱいあったので残念だ」
ZAKZAK 2003/06/16