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人はなぜエセ科学に騙されるのか 速読度☆☆☆
カールセーガン先生ですね。昔、コスモスと言うテレビ番組をやっていたような気がします。確か、私が中学生か小学生の時です。夜更かしをしたのを覚えてます。
ところで、私は空飛ぶ円盤もあるかもしれないし、エイリアンもいるかもしれないし、いないかもしれない、と思っています。もし、本当に矢追大先生が言うように、エイリアンがいるならば、私は地球人にできる事はただ一つのような気がします。
それは「お願いです、食べないでください」と言う事ではないでしょうか。だって、あれほど高度な科学技術を持った宇宙人を本当に怒らせたら、何をされるか分かりません。その上、私たちは自分たちの星を何百回と破壊する事が可能なほどの核兵器を持っているのです。そんな非文化的で野蛮な生命体に対して、高度な文明を持った宇宙人を怒らせない様にする方法が大切な気がします。何と言っても、Vと言うビデオに出てくるような宇宙人だったら、困りますから。
ところで、その程度の宇宙人像しか持たない私ですが、宇宙のお話とかは基本的に好きです。特に、所謂エセ科学を暴き立てる本を、私は好みます。ただ、おおつき教授の様に、むきになる人は嫌いです。あの人が持つ低脳な人間を賢くしてやろうとする態度が、私は嫌なのです。大体、エセ科学が広まった一つの原因は、明らかに科学者側にもあると思うのです。ほとんどの学者が、エセ科学と言うものをせせら笑い、無視してきた事。そして、それらのエセ科学に対して、信じる人を馬鹿にするのではなく、分かりやすく批判すると言う事を怠ってきた事に私は原因の多くがあるような気がするのです。そう言った事をネグレクトし、一方的に信じる人間を馬鹿にする態度をとるような学者を、私は学者としての適格性すら疑ってしまいます。
今回、ご登場いただいたカールセーガンは、あまりそう言う傲慢な態度をとらない学者さんです。元々、テレビにも良く出られていたせいか、言葉を選びながら、そして歴史を紐解きながら、様々な批判を行っていきます。
例えば、宇宙人による誘拐にしても、カールセーガンは悪魔払いの事例などもあげながら、宇宙人による誘拐(アブダクション)との共通点をあげたりもしていったりします。彼によるならば、どうも宇宙人による誘拐は、中世にはやった悪魔による強姦などと非常に似た傾向があるそうです(要は宇宙人と悪魔が入れ替わっただけだという事でしょう)。
また、彼はこの様なエセ科学が浸透してしまう基礎として、科学者や教育制度に関する問題をもあげていきます。私が読んでいて面白いなーと思ったのは、この辺の下りでした。我が国でも、今エセ科学を暴くと言う作業は急激に行われる様になっています。ある本は、その傾向を軽くちゃかし、面白がると言う傾向にあるし、またある本は、ただ批判していくと言う傾向にあります。おおつき先生は後者に当たると思うのですが、カールセーガンが示した様なアプローチは我が国では基本的に珍しい傾向にあるような気がします。
でも、これはいがいと大切なアプローチの様な気がするです。我が国においてもエセ科学と言うものは、信じられている側面が否定できません。私自身は別にエセ科学も害がないなら、構わないと思うのですが、物によっては危険なものもあると思うのです。特に、新興宗教などに見られる医学を一切拒絶すると言う態度は、私は異様な物に見えたりする事があります(大体、中国の針治療などにしても、近代医学と組み合わせて使用されているそうです。針や気孔のみを単独ではやられていないそうなのですが)。
学校教育で、何を教えようと、私は個人的には構わないと思います。しかし、ゆとり教育と言うならば、もう少し面白い事をやった方がよいと思うのです。大体、教科書を薄くすると言う発想がつまらないし、薄くすれば分かりやすいと言う発想が愚かですけど。薄くすれば、必然的に記述は単純化し、わかりにくくなります。私のようなお馬鹿さんは、ますます分からなくなるのです。まして、私のように文系を選択した人間は、ほとんど科学(化学、生物、地学など)をやる機会は、高校ではありませんでした。どうせゆとり教育と言うならば、もう少しエセ科学の話しなども織り込んだ様な授業の方が、楽しい様な気がするのですが。これは、歴史の話しでも同じでしょうが。
ところで、近時エセ科学以上に異様な歴史の本を作りたがっている方たちがいるようです。単に我が国が正しいと言う極めて単純で、粗雑なアプローチから歴史を見ると言うその単純さを笑う事は簡単です。しかし、明らかにそう言った物が受け入れられる地盤が、我が国には今存在していることもまた事実です。 そして、彼(女)らが行った提言が一面的である事は、全く事実だと私は思いますが、現行の学者たちが教科書で提示している歴史観と言う物もまた単純な物のような気がするのです。
確かに、 東京裁判史観が間違いだと言う事や資料第一主義が間違っていると言う事はある意味事実かもしれません。そして、資料を無批判的に事実とする態度も改められるべきなのかもしれません。しかし、資料を改竄したり、自分たちにとって都合が良い事実のみをつなぎ合わせ歴史を語る態度は、本書においてカールセーガンが批判したエセ科学にありがちな傾向であると言う事も、私は事実だと思います。
まさに、自分の都合の良い事実のみを並べ立てると言う態度は、科学的な思考とは無縁なものだし、学問的な態度としても私はふさわしいものとは思えないのです。
本書は興味深い内容なのですが、活字が小さく少し読みにくさを感じたので、☆を少な目につけてみました。