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対抗文化から「精神世界」へ
─オルタナティブを目指した人びとのその後─
http://www.sendai-sentyuri.co.jp/sup/maekawa.html
前川理子
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「ニューエイジ」や「精神世界」と呼ばれるような現代的な宗教現象が昨今注目されている。本屋に行けば「ニューエイジ・コーナー」が設置され、「精神世界の本」がならんでいる。ニューエイジ・ヒーリングのCD、お香や占いグッズなど関連商品も販売されている。毎月開催されるワークショップやセミナー・スケジュールを掲載する「精神世界」専門誌は数種類に及び、読者はここから、ヨガや呼吸法、占星術、前世療法やトランスパーソナル心理学などなど気に入ったものを選び、好みの会合に参加することができるようになっている。集まりは数時間から数日間に及ぶものまであり、料金も数千から数万円、ときには数十万かかる連泊ものもある。参加者たちの多くは、あちらこちらの団体を自由に流浪し、一つの組織に属することを好まないのが普通である。「ニューエイジ」/「精神世界」現象は、現代的な個人主義の感性にぴったり合った手軽な宗教文化として人気を集めている。
わが国における「ニューエイジ」/「精神世界」マーケットの盛況は八〇年代に入ってからのものだが、アメリカやヨーロッパではこれに少し先行して「ニューエイジ」、「ニュースピリチュアリティ」と呼ばれる運動が台頭していた。一〇年程度のズレがあるが、ほぼ同時期に日本と欧米で類似の現象が起こっている。これは興味深いことではないだろうか。さらに興味を引くのは、両地域において、運動を率いるリーダーたちの多くが七〇年代の対抗文化運動の申し子たちであったことである。たしかに、日本でアメリカ・ニューエイジの翻訳本を手広く扱う出版社や、海外からチャネラーや種々の身体技法のトレーナーらを招く「精神世界」系企業の設立者には、青年期に「政治の季節」を体験し、対抗文化を通過したこの世代出身者たちが多い。彼らもいまや人生半ばの四、五〇代に達している。「ニューエイジ」/「精神世界」イコール若者という図式に反して、実際は、この新手の宗教を発信し、現在も下支えしてリーダーシップを取っているのは、若きとき全共闘運動や対抗文化運動に身を投じていたこの四、五〇の世代だということはあまり知られていないようだ。
六〇年代末の「政治の季節」と八〇年代の「ニューエイジ」あるいは「精神世界」──この両者を架け橋するものがあるとすれば、それは何なのか。当時の学生運動を中心とした青年たちの「政治闘争」、これと混交しつつ展開した対抗文化など、六〇年代末から七〇年代の運動は一種の異議申し立て運動としての性格を持っていた。若者たちのエネルギーは、主流文化へのプロテストとしての全共闘とかヒッピーといった形で噴出し、一部突出した事件や文化的な流行現象を生んだ。しかし、これらの若者たちも年はとっていく。結婚し、家庭ももつようになる。無謀なユートピア建設の夢もはかないものと思われるようになっていく。やがて、彼らの一部は「ニューエイジ」という一種の宗教運動に活路を見いだしていった。
早稲田大学時代に全共闘イデオローグとして名を馳せた津村喬は、ニューエイジの旗手マリリン・ファーガソンの『アクエリアン革命』(邦訳一九八一年)をはじめて読んだとき、「新しい共産党宣言だ」と思ったという。学生運動をかけぬけ、七〇年代に入ってからも反原発運動、反差別運動など市民運動に積極的に参加した。『月刊ピーナツ』を創刊し、ロッキード事件に抗議して多くの共感を得たことも記憶に新しい。こうした在野の社会運動家が、ニューエイジとの出会いにどのような感動を見いだしたというのか。津村はその後、気功の普及推進に努めるほか、チベット密教の瞑想修行セミナーを開催したり、「精神世界」関連のベストセラーを次々に出版する「精神世界」活動家への華麗な転身を果している。日本の労働運動を率いた高野守の子として幼い頃から中国に親しみ、青年期には毛沢東に心酔した津村を、ニューエイジへと導いたものは何だったのか。
全共闘運動からニューエイジへの転身を、津村自身は飛躍とか断絶ではけっしてなく、運動の新たな展開──「転形」だと述べている。当初、全共闘運動は七〇年安保闘争と大学の学内行政問題の解決を争点として、両者が連動して拡大した運動であった。しかし、運動の深化にともなって、その攻撃対象は大学からその大学を特権化している国家へ、そしてその「帝国主義的体制」に加担している自分自身へと徐々に向けられるようになっていく。全共闘運動の真髄は、こうした社会と自己の同時変革という命題にこそあったといえよう。そしてその頂点に「自己否定」の論理があった。「自己否定」とは、社会変革を社会の側の変化に求めるだけでなく、その社会の一員としての自己にも変革の要求が振り向けられていくこと──運動の精神化ないし内向化──を意味したものに他ならない。
全共闘運動を特徴づけているのが、この変革目標における「二重性」──社会と自己との同時変革──であるとするなら、この点にこそ、ニューエイジと全共闘運動の内的連関を理解する鍵がある。ニューエイジは、人々に自己変革(本当の自分の発見)をもたらし、変革を遂げた人々の社会への浸透によってやがて「新しい時代」(ニューエイジ)が到来するという福音を信じる人たちの運動である。全共闘の自己変革思想を身につけた青年たちが、この宗教的メッセージに親近感を覚えたとしてもそれほど不思議ではない。また、古今東西の宗教的・心理的実践技法を取り入れたニューエイジは、自己の変革を確実にもたらす頼もしい実際性を備えているように思われた。社会変革の前提として自己の変革を性急に要求する全共闘運動の論理は、「私が変われば社会も変わる」というニューエイジの宗教的命題と極めて親和性が高い。ここから、成長の過程で見失われてしまった「本来の自己」「聖なる自己」を取り戻そう、と呼びかけるニューエイジの実践課題へはあと一歩であったろう。
しかし、この「転形」の過程で何かが失われたことに気付いた者は少なかったようである。ニューエイジは、自己と社会の変革における即時的な結びつきを、何らかの超越性を媒介にすることで一気に成立させようとするのだが──津村の場合は、道教の「気」という超越的概念を導入することで、人間と宇宙を直結させる一元的世界観を成立させようとした──、そのとき、運動はいつのまにか社会学的観点に欠けた神秘主義運動になりかわってしまっている。「転形」の過程におけるこの変化は、本人たちによって自覚的に問題視されるには、あまりに連続的で微妙でありすぎたのだろうか。津村においても、この変化が問題になった形跡はほとんどない。
今日、「ニューエイジ」/「精神世界」に新たに加わりつづける参加者たちの意識は、対抗文化のもっていた社会への「対抗」という本来の目的から明らかにずれたものになってきている。つまり、「ニューエイジ」/「精神世界」では、社会=自己変革を目指した七〇年代対抗文化の主張を表面上維持しつつも、変革の力点は大きく「自己」の側にシフトしている。そこでは、自分以外の人間の多様な関係性が成り立ち、自己の意思を離れたところで客観的に存立しているものとしての「社会」のリアリティが見失われてしまっている。自己から社会への回路が閉ざされた独善的な運動の中には、依拠するに足りるだけの社会へのプロテストは育たないだろう。実際、現在の「ニューエイジ」/「精神世界」は、冒頭に述べたような消費主義を基調にしている。こうすることによって、多くの若者を吸収することも可能になった。対抗文化世代はみずからサブカルチャー化することによって社会への再「参入」を果してしまったようである。
前川理子(まえかわ・みちこ)一九六九年生まれ。石川県出身。
[現職](財)国際宗教研究所研究員 [専門]近現代日本宗教史、宗教社会学 [論文・著書]「「ニューエイジ」類似運動の出現をめぐって」(『宗教と社会』四号一九九八年八月)、『癒しを生きた人々』(共著、専修大学出版局、一九九九)、 メWhen Prophecy Fails: The Response of Aumモ Mark R. Mullins and Robert Kisala eds., Religion and Social Crisis, Macmillian.(近刊予定)