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6.「下見」 (2003年8月26日付)
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/kikaku03/kanuma/seigi/01bu/01bu-6.html
実行犯、入念に情報収集 職場内まで入り
タイムカードで退庁時間を調べた
誰もが黙っている。車の中は、張りつめた静寂が支配していた。
小佐々守さん=当時(57)=と、小佐々さんを拉致した実行犯三人が乗る黒塗りの乗用車は、鹿沼インターから東北自動車道を南下したとされる。
被害者と加害者。対極にある男たちを乗せた車内は、緊張感に包まれていたのか。
ただ一度、田村好被告(62)の命令で、埼玉県内のインターチェンジで降りたとき、小佐々さんは「左足が痛いんだ」と漏らしたという。
そんな小佐々さんに吉田義雄被告(60)はこう言った。
「すぐ終わる」
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吉田被告の供述だと、小佐々さん拉致計画を持ち掛けられたのは、二〇〇一年十月半ば。埼玉県川口市の吉田被告のアパートに田村被告が訪れ、「人を連れてくるだけで三百万円だ」と誘われた。
連れ去る相手が鹿沼市職員だと知ったのは、「その翌日か翌々日」。南浦和の喫茶店「コロラド」で聞いた。
すぐに高木誠被告(53)を加えた三人で鹿沼市を下見した。
公判で証言した吉田被告によると、下見は七回ぐらい立て続けに行った。名前と市役所に勤務していること、銀髪でやせ形、背が高い−。最初はこの程度の情報だった。
市環境クリーンセンターに勤めていることが分かったのは、下見を始めて三、四日後。センター内に吉田被告が入り、小佐々さんが毎日午後六時前後に退庁していることをタイムカードで確認した。
「自分は出入りしているダンプの運転手と似てたから、怪しまれないと思い、事務所の二階まで行った」「自転車を使って通勤し、どんなルートで帰るかは四日目ぐらいに分かった」(公判での吉田被告の証言)
犯行に移そうとしたが、二日続けて小佐々さんが同僚と一緒だったため断念。そして十月三十一日、小佐々さんは一人で帰路に就いた。
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入念な下見を重ねた上での犯行。だが、小佐々さんを拉致した後は、場当たり的な行動も多い。
拉致現場から鹿沼インターを結ぶコースは幹線道路。当然、ラッシュの時間帯はかなり交通量があり、渋滞を起こすこともある。
実行犯たちは小佐々さんを不自然な形で車内に押し込めた。渋滞や信号待ちの際、周囲の車に不審に思われることを懸念しなかったのか。料金所を通過するばかりか、警察が取り締まりを実施することもある高速道路を、なぜ使ったのか。
東北道を走る車の中で、高木被告がおびえるように言ったという。
「誰かにつけられている…」
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7.迷走(2003年8月27日付)
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/kikaku03/kanuma/seigi/01bu/01bu-7.html
空白目立つ7時間40分 鹿沼−川口−高崎
車中の小佐々さんどんな様子だったのか
東北道岩槻インターから国道122号を南下し、埼玉県川口市で国道298号に入る。頭上に走る東京外環道の高架。その国道沿いに、第二の現場があった。
今では、産廃がうず高く積まれ、ひときわ異彩を放つ。その産廃の山を囲む塀に文字が見えた。
−「誠興社」
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小佐々守さん=当時(57)=を拉致した田村好被告(62)ら三人の実行犯は、東北道を岩槻インターで下りた。
向かった先は高木誠被告(53)の経営する解体会社。「誠興社」だ。
検察の冒頭陳述だと、誠興社に着いた三人は、そこで小佐々さんの目と口をガムテープでふさぎ、手足も縛った。
午後十時。田村被告が電話を入れた。相手は佐々木京一被告(48)だった。
「さらってきたぞ」
田村被告は、仲介役の佐々木被告にこう告げて、拉致した小佐々さんの確認に来るように言った。だが佐々木被告は渋り、姿を現さなかった。
三人は誠興社を出る。
そこで車を乗り換えた。運転役の高木被告が「つけられている。捕まるぞ」とおびえていたためだ。
縛った小佐々さんを高木被告のアコードワゴンに移し、後部座席に運転席側を頭に寝かせた。足をくの字に曲げ、上から防音マットをかぶせた。
このアコードワゴンが、捜査上、重要な手掛かりを残した。
拉致した際に使用した黒塗りの車は、ナンバーに細工があり、Nシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)には掛からない。車を乗り換えたことで、ワゴンのナンバーはNシステムにヒットし、県警は実行犯のその後の行動を絞り込むことができた。
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川口市から北西、秩父方面に向かっていたアコードワゴンが突如、進路を変える。
「田村が『秩父へ向かえ』と言ったが、高崎に産廃を埋める穴を探しに行ったことがあったから、そっちに行った」(高木被告の証言)
嵐山町を抜け、本庄市で国道17号へ。
深夜の車内で、田村被告は不吉な言葉を口にした。「顔を見られたんだ。やるしかないだろう」
十一月一日午前一時二十五分。群馬県高崎市内で実行犯を乗せた車をNシステムが捕捉した。
小佐々さんが拉致されたのは前日、十月三十一日午後五時四十五分。この七時間四十分で、実行犯は鹿沼−川口−高崎を迷走した。
だが、検察が主張するこの七時間余りの事実は裏付けに乏しく、冒頭陳述には空白が多い。支えはすべて実行犯の供述による。
ある捜査員が推理する。
「車中で小佐々さんがどんな様子だったのか、奴らの供述からは伝わってこない。もしかすると、この時はもう…」
迷走の果ての夜の道に見えたのは「榛名」の標識だった。
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8.殺害(2003年8月28日付)
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/kikaku03/kanuma/seigi/01bu/01bu-8.html
白いロープ首に巻き… その時 吉田被告は
「田村の顔を見た人間じゃなかった」
深夜−。左に黒々と浮かぶ「観音山」を見ながら国道17号を北上すると、高崎市中心部の標識に「榛名山」の文字が白く浮かび上がる。
「国道17号から山道に入り、ぐるぐる走った。途中『榛名』だか『榛名山』の看板を見た。だから榛名辺りだと思った」
今年七月二十九日、宇都宮地裁で開かれた田村好被告(62)の第三回公判。証人として出廷した吉田義雄被告(60)は殺害場面の詳細を証言した。
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実行犯三人は山道の脇にアコードワゴンを止め、小佐々守さん=当時(57)=を降ろした。
いつの間にか、田村被告が手に拳銃を握っていた。不気味に光る拳銃。吉田被告と高木誠被告(53)が後ずさりすると、田村被告が言った。
「顔を見られたんだ。しょうがねえだろう」
小佐々さんの体が「びくっ」と震えた。
二人は差し出された拳銃を手にしようとしない。田村被告は小佐々さんの上半身を起こした。
直径約一センチ、長さ約五メートルの白いロープを首に二重に巻いた。手足を縛られ、目と口に粘着テープを張られていた小佐々さんは、嫌々をするように首を左右に振った。
田村、吉田の両被告がその両端を引く。浮いたロープの間に高木被告が木の棒をこじ入れてねじった。ロープが強く締まった。
「ロープを引いているとき、田村の顔を見た。人間の顔じゃなかった。自分もそんな顔をしているのか、これでおれも終わりだなと思った」
後ろに倒れた小佐々さんの胸に、至近距離から田村被告が拳銃を一発撃った。
「とったぞ」。田村被告が叫んだ。
小佐々さんの首が、がくんと揺れた。
「埋めた方がいいんじゃないか」と吉田被告が言うと、間髪入れずに「いいから捨てろ」と田村被告。
吉田、高木の両被告が小佐々さんをがけ下に投げ捨てた。縛るのに使ったテープは「指紋が残るから」と、はがした。
小佐々さんの片方の靴が脱げていた。手首に巻いたステンレス製の時計を、吉田被告は覚えているという。
遺体は二メートルほど下の木の枝に引っかかった。さらに下へ落とそうとした拍子に、吉田被告が足を滑らせた。それを見て、二人が笑った。
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法廷では吉田被告の尋問が続いていた。
「帰りの車中で小佐々さんの靴が片方だけ残っていた。小便の時、田んぼに投げ捨てた」
「高木が『腹が減った』と言うので、コンビニに寄った」
遺族の心情を顧みず、しゃべりまくる。
「(首謀者の曽根正志社長に)『こんな安い金で人殺しするのはどうか。遺族に保険は下りないし、墓も建てられない』と説教してやった」。被告の身でありながら、言い放つふてぶてしさ。
傍聴席の遺族から嗚咽(おえつ)が漏れた。
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