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(回答先: <学習障害調査>「人権侵害」と都教委の指示を複数校が保留【毎日新聞】 投稿者 今そこにある危機への懸念 日時 2003 年 8 月 13 日 11:13:41)
NoMoreADHDです。
・・・調査を保留している多摩地区の小学校長は「質問項目が微妙で、全児童をこれで判断
するのは問題だ」と話す。都内の小学校教諭(41)は「家庭の事情で情緒が安定しな
い子もおり、中枢神経に問題があるとされるADHDなどの子とどう区別するのか」と
疑問を投げ掛ける。市民団体「障害児を普通学校へ・全国連絡会」は11日、「個人情
報が漏れる可能性も否定できない」と都教委に即時停止を求めた。・・・(毎日新聞)
LDの調査が人権侵害にあたるとして、東京都教育委員会の指示を複数校の先生方が保留されたとのことですが、我々の大事な子供をあずかる良識ある教育者として至極当然な対応のされかただと思います。このような愚行を深刻な人権侵害と捉えない文部科学省の特殊支援教育調査官の柘植雅義氏の人権感覚の方が異常です。
LD唱導者の通説:「LD児という学習に特異な困難を覚える子供達がいるに違いないのです」、「次にLDとは何か、その定義を考えましょう」、「児童の○○パーセントはLDに違いないのです」、「LDの子には特別な支援をしましょう」、「LDの子は分かりづらく見えにくい障害をもっています。彼らの行動特性を正しく理解しましょう」、「知的障害は無いのだが科目間の成績にバラツキがあり、筋肉の緊張が弱く、ソーシャルスキルが弱く、字が下手で、手先が不器用で、跳び箱や側転はできるがケンパや縄跳びが下手で、親や教師が話し掛けても聞いていないことがあるような子はLDなのです」、「彼らは視聴覚に異常はないし、知的障害でもないのですが、認知機能に障害があり、外界の刺激が脳の中で正しく処理されないのです。したがって彼らは我々が窺い知れえない、特殊な感覚の世界に住んでいるのです」・・・
こんなあやふやで馬鹿な話があるでしょうか。「一見まともに見えるが、実はどこかが狂っている子供達」が存在するという証拠がどこにありますか。どの教科も満遍なく「悪い」成績をとれば、その子は「学習障害」ではないのですか?「字が下手、ソーシャルスキルが弱い」人は、大人の中にも沢山いますし(むしろ、字が上手でソーシャルスキルに長けた人の方が少数派でしょう)、子供だったらなおさらでしょう。そもそも、「肉体的能力」と「知的な能力」と「社会的な能力」をごちゃ混ぜにして論じて、それらが一まとまりの障害だというのは、無茶苦茶な主張です。
それで、その「LDの児童」とかが仮に実在したとして、次にどう対応するのですか。「チーム・ティーチング」とやらで、個別に一人の子供を複数の先生やアシスタントが寄ってたかって教えるのですか。一人の優秀な先生が教えるよりも、そちらの方が効果が上がるのでしょうか。一つの教室に教える人が多くいると、却って他の子供達が気を散らされて、学習効果が下がるのではないでしょうか。「LD児のための独自開発の手作りのプリント」を作って解かせるのですか。今あるテキストや問題集では駄目ですか。それで、そういった「LD児への対応」が、前述のLD児の特徴と何の論理的対応関係があるのですか。
LDとは何かの明確な定義もない、LDかどうかの信頼のおける判断方法もない、LDへの(教育学的根拠のある)対応方法もない、こんな現状で「LD児の実態を正しく理解し、彼らを暖かく支援してください」といわれても一般の人は困ります。いったい、彼らは何を求めているのでしょうか。「LD児の○○パーセントはADHDも併発している、ADHDは脳の病気だ。だからリタリンを飲ませよう」と、最後にはこうくるのですか?日本がアメリカの悲劇の二の舞になったら、悲惨だと思います。(リタリン服用で多数の児童が廃人になったり死亡しています)。
なお、念のため申し上げますと、ADHDは「中枢神経系の病気」ではありません。ドラッグ産業と精神科医が結託して捏造した、虚構の障害です。LDもインチキの障害です。(教育の失敗を糊塗するのに役立つ、学校当局や教育行政担当者にとっては素敵な理論です)