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(回答先: 尋ね人、竹中半兵衛殿。MSブラスタにもしややられたのか? 投稿者 クエスチョン 日時 2003 年 8 月 19 日 01:23:28)
クエスチョンさん、エンセンさん、ご無沙汰しております。
小生blaseter程度にに「破砕」されるほど無防備ではなかった、と我ながら自己満足しております。
忘れもしない2年前の9月21日、MSジャパンのHPを開いたとたんすべてがnimdaによって灰燼に帰した苦い経験をもっており、その後遺症は仕事にいまだに残っております。
blasterは MS updateさえ更新(7月17日版)しておけば事足りたようです。
それより、クエスチョンさんや愚民党さんおすすめのediterを早く覚えたいこと、また写真や動画のアップロード技術を習いたいところですが、あいにく仕事が暑さの中でピークになっており、時間がとれないところです。
ところで、長崎の男児殺害事件の冤罪とエンセンさんの平和の問題、ひとときも忘れることなく、未だに仕事中でも思っております。
実は8月15日の夜7時半に一度だけテレビを見ました。
たまたまNHKの終戦記念日特集でしたが、中身は「核」。
国井滋比古(プロジェクトXのメインキャスター?)とかいうダミ声のおっさんともうひとりNHKそのまま(居ても居なくても何の意味もない)という女性キャスター、それにときおり間抜け面(失礼。どうしてもそう見えるのです)をのぞっかせる井上ひさしなど織り交ぜて2時間半もつきあってしまいました。
番組は8月15日なんだから日本の戦争へいたるプロセスや戦争そのものへのつっこみでもあるのか、あるいは意味不明の宇宙人の声「耐え難きを耐え、忍びが難きを忍び・・・」の再放送もやるかと思ったら、とんでもありませんでした。
先に感想を申し上げますと、戦前と同じ道をたどりつつある現在の危機的な状況とのからみで終戦をどうとらえているのか関心があったので、イラク侵略や有事法の問題点から過去から現代へのアプローチでもするのかな、と期待したわけです。
ところが内容は「核」そのもので、これは支配階級でも被
支配階級でもだれでも唱える反「核」という存在論そのもので終始。
「核は必要か」と質問されれば権力者とて「不要」というに決まってるじゃないですか。人類の存在に核が不要なのは誰だってわかっている。
それじゃあ原発は?劣化ウラン弾は?
あくまで現実との関わりにおいて捉えないと、たとえ痛ましい被爆者たちの人生を見せつけられようと、番組を見終えたあとに「ああそんなものか」という感覚しか残らない。
現実と完全なズレがあります。
たとえば阿修羅で丁々発止と繰り広げられる生きた論戦は、NHKではまったく無意味なものなのです。
もっといえば、NHKの番組を見たからと言って、「じゃあ反核運動をやろう」という自覚は生まれないのです。
話は飛びますが、エンセンさんの「戦争論」。
哲学的な存在論的問いでありあすが、本質論でもあります。
この問いへのひとつの糸口は、「所有」(物神崇拝イコール物欲)が戦争を導いているのだろう、と思います。
現代においてはそれは私有財産であり、私有財産を獲得する方法は「自由主義」であり、私有財産を拡大するためには侵略があり、これを冒すものに対しては排除をする。
このイデオロギーのもとにすべての学問が隷属している・・・・存在論の限りで。
物質の自己運動によって原子の集合体である人間も欲望の限りを追求してゆけば、「所有」も当然現代的には資本主義(帝国主義)の原理であり、無産者は「所有」していないので資本主義からはじき出されている、そのうえで所有者が物欲を満たすためにあらゆる方法を用いて非所有者に対して犠牲を強いている。
そのため所有者の精神状況は物欲がすべてであり、物欲しか頭脳に描くことができません。
物欲を追求の結果得られた対価である貨幣を獲得したあとにはせいぜいイデオロギーとしては「色」しか残っていないのもまたおぞましい現実です。最高発展段階にある資本主義を帝国主義と呼びますが、あらゆる競争のあとに残るものは、あたかも芳香を発する納豆が賞味期限を過ぎナットウキンの増殖を終えて納豆としての使命を終えて死滅してゆく、ちょうど似たような現象だと思います。ヨーグルトでも同じことが言えます。乳酸菌も増殖し尽くせば死滅し腐敗します。帝国主義も腐敗の限りです。
急激に訪れた暑さのせいでこのくらいのことしか頭に浮かばないのですが、
もっと真剣に考えてみたいと思います。