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(回答先: Re: 上記は投稿ミスです。広島と同一のグループ。「爆発物」を加えてで戦術をエスカレート 投稿者 あほか 日時 2003 年 7 月 30 日 18:49:00)
当局は次の疑問に答えてくれるよう通報してくれたんですよね。
ビデオカメラの映像の解析結果がなぜ公表されなかったのか。
カメラに映っているという少年は傘をもっていたのかいないのか。
録画の再生は商店街の立ち会いがなぜ行われなかったのか。商店街もグルなのか。立ち会いなしで「解析した」などとどうして言えるのか。現地では「何かかぶせんたんじゃないのか」という疑問があるがどう捕らえているのか。
防犯カメラにナーバスな少年がアーケードでは堂々とカメラに収まっている「矛盾」はどう説明するのか。
屋上は、事件の該当時間は周りの明かりが差し込んでいて、午後8時から10時までに人目を気にせずにマンションの目の前で子供を裸にして投げ落とすことができるのか。
投げ落とせばまだ人が近くを通っているし(アーケードへはない。駐車場に沿った通りだ)閉店後の店も人気nがなくなっているわけではない。駐車場に沿ったすぐ脇の飲み屋街はまだ開店している時間なのに、墜落したときの衝撃音は誰にも聞こえなかったのか。それよりも生きていた駿くんの悲鳴がなぜ聞こえなかったのか。
その上で少年は駿くんの衣類をお駐車場の屋上から、遺体の行く先を見て投げ落とす時間的余裕があったとしたら、駐車場の入り口に到着するまでに時間差がある。
駿くんを投下した瞬間に「自分がわからなくなった」という妄想がおそったのなら、その場で茫然自失していたのではないか。だとすれば、駐車場出入り口に降りてくるまでにはもっと時間がかかっているはずだ。
屋上の8階から下をおそるおそる覗きながらおりてきたのならもっともっと時間がかかる。
地上部分では時ならぬ悲鳴と衝撃音と驚いた人たちが道路へ飛び出しまわりを調べているだろう。ビルの隙間の暗闇に人が倒れている姿を想像しないような鈍感な通行人や飲み屋の客ばかりだったろうか。マンションの住民も眼前の殺人行為を見てはいないのか?
少年は駿くんを投げ落としたことに呆然としたままへなへなとその場に座り込んでいたのではないか。なんとか腰を持ち上げて宙に浮いた心地で屋上から7階へ手すりにでもすがりながらおり始めた。どれだけ時間がかかったのか?
地上部部分に集まった人たちのところへは衣類もぼつぼつと落ちてきたのではないか。
そこへ、雨降りとはいえ駐車場沿いの街路の明かりで、呆然と立ち現れた少年を見ればその姿が異常であることと頭上から人が落ちてきたことは誰でも関連性を疑う。
少年の足跡になぜ駿くんの足跡は連れ添っていないのか、少なくともアーケードから駐車場の屋上までの言及はない。犯人の靴あとと駿くんの靴あとが連れ添っていたというなら、そう発表するべきだが、なぜ発表できないのか。
当初遺体の傷は「頭から出血、体の数カ所に打撲」、「死因は脳障害」とされていた。それがいつのまにか「はさみ」の傷も付け区得られた。しかもそのはさみも、いつ発見されたかは特定されていない。しかも駿くんを傷つけたときについたはずのルミノール反応は言及がない。「指紋」とだけ言われているのはそれ以上ではない(つまり血液がついていない)からだと思うがいかが?
自供については、新聞のによれば拉致に近い状態で補導し、両親の立ち会いなしで事情聴取を行っている。
大阪の少年が痴漢の疑いで警察に呼ばれ事情聴取を受けたときには、両親が取調室の廊下で待機していたので、警察の誤認であったことが明らかになり謝罪したという。
長崎県警稲佐署はこのような配慮をしたのか。なぜ両親に伝えて少年の取り調べに同席させなかったのか?
「凶悪犯だから」とまず決め込んで、なんらの弁明の機会もあたえずに連行した理由は何か?
7月9日の記者会見では県警課長の話がしどろもどろだったのどういう理由からか?
死体の鑑識から「死亡時刻は7月1日午後8時ごろから7月2日午前零時ごろまで」と結果が出ているのに、「7月2日午前零時ごろ」殺されたのではないかという想定がなぜ成り立たないのか。少年が防犯カメラに映っていたから、7月2日午前零時ごろという想定ははじめからなかったのか?それはなぜか?
カメラの解析が商店街の立会なしで行われたのに、警察の判定が説得力があるのか?
さらに、7月1日午後7時20分から駿くんが行方不明となったのに、それ以前の変質者情報から見て当然駿くんが性犯罪に巻き込まれた可能性があると想定できたのではないか?
そうであれば初動捜査はどう行われたのか。
行方不明であれば、二階建ての家電量販店の「店内くまなく探したけれど」(一体この量販店が何キロメートル四方あるというのか)皆目行き先がわからないのだから、警察犬を導入するのは当たり前だと思うがなぜ導入しなかったのか。
駿くん失踪直後は80名導入したという記事があったと思うけれど、嗅覚のない人間が一体何をしていたのか?80名で店内くまなく探した?何時間?
ざっとみて駿くんの両親が声をかけて探してみても、もあたりに居ないことはすでにわかっていたことだ。駿くんの両親は、行方不明として、駿くんが7時20分にいなくなったあと、午後8時まで探し回っていたのだ。
店の人の協力も、買い物客の協力もあったろう。両親は半狂乱になって探していただろうと思う。それを店員も客も知らぬふりをしていたとは思えない。
従って初動捜査において警察犬が導入されるのは当たり前のことだ。
ところが警察犬が導入されたのは翌日駿くんの遺体が発見されてからであるが、この時間差は犯人の靴あとと駿くんの靴あとのにおいをかなり減殺していたと思うが、なぜそういう捜査になったのか?
失踪の通報があってすぐに、それまでの悪質な(マンションの廊下から子供を放り投げるなど生命に危険がある)変質者の出没情報が出ていた。
駿くんは命に別状があるとなぜ判断しなかったのか。
このような疑問について明解な回答を当局は出すべきだが、いかが思いますか?
どうぞ取りはからってください。
についての疑問だとか、フィルムの再生に録画の提出者が立ち会ったのかどうかとか、少年と駿くんの足あととか、目撃者の正確度の問題とか、屋上の明るさとか言及されているのでしょうか。初動捜査は正しかったのかどうか。
何はともあれ警察がなぜ記者会見で口ごもるのか。
神戸事件との類似性とは残虐性が九通していることだけであって、目撃証言もほとんどなく、証拠はない。警察とマスコミがが決め手と言っているだけであって、それを裏付けるのは「供述」のみです。
この意味から考えれば2ちゃんねるもマスコミや警察に肩いれする役割を担っているというのがエンセンさんの投稿された内容から判断した私の感想です。
もう一つ、草加事件という少年たちの冤罪事件がありました。これは少女が強姦殺人された。その犯人は不良少年グループだった。少女の体に残っていた体液や血液型があB型だったのに、少年たちはO型かA型のみ。それでも警察は「おまえたちが不良だからやったにちがいない」という見込みのもとですべてをでっちあげた。しかし最終的には無罪となった。
「不良だから殺したに違いない」などという少年たちの周辺情報ですべてを決定し、周囲のも人たちもそう思いこむ思考方法が習慣的に作り上げられていることが危険なことは冤罪事件で証明されていることです。昔のことですが、かつての免田栄さんも「極道」だったので犯人にされてしまった、という話を聞いています。
このことは2チャンネルやサイバッチ(メルマガ)でも、部落差別、在日コリアンに対する偏見と差別用語の連発をもとにしていることも、何らかの意図を感じずにはおれません。危険なことだと思います。