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YAHOO検索の結果13番目にヒットしているかたのサイト。ブックマークしました。
−−−前置きと自己紹介のページあり、以下抜粋−−−−
「メディアの辺境地帯」について
−初めてこのページを訪問された方へ−
http://www.aurora.dti.ne.jp/~osumi/about.html#author
「政治的立場
人権思想は、「すべての人民とすべての国民とが達成すべき共通の基準」(世界人権宣言)を提供するという考え方から、人権の破壊や無力化を目的とするもの、あるいはそのようなことを目的とする行為を行う権利を主張するもの以外のいかなる思想とも対立しない。
従って、このサイトは「民主主義、人権思想の擁護」「全体主義・専制政治におよびその正当化に対する抵抗」という点に関しては妥協しないが、それ以外のいかなる政治的立場もとらない。特定の政治思想を持つ者、あるいは政治団体の個別の政策や主張の一部を支持することはあるが、そのことによってその者あるいは団体の政治思想を受け入れたものと解釈してはならない」
「筆者(大住良太)はマスコミ関係者でも何でもなく、本職は電子機器を開発する技術者です。
(ただし今は「人権と報道・連絡会」に属しているため、マスコミ関係者と少しは面識がある。)」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−抜粋以上−−−−−−−
http://www.aurora.dti.ne.jp/~osumi/boyscase/nagasaki.html
長崎男児誘拐殺人事件・犯罪的でデタラメなマスコミの論調
2003.7.13
付添人接見前に「犯人」と断定する朝日新聞
私は今、紙の新聞を購読していない。
そのかわりに、インターネット新聞「日刊ベリタ」を購読している。既存の新聞については、インターネットで読めれば十分と考えている。悪質な犯罪報道、役に立たない政治報道、視野が狭く量もスポーツ報道に劣る国際報道。どこをとっても、従来の日本の新聞を買いたいと思う気持ちになれないし、他人にも定期購読しないように勧めている。後で過去の記事を検証したければ、図書館へ行けばよい。
03年7月9日に12歳の中学生が補導された「長崎男児誘拐殺人事件」の報道もインターネットで読んでいるが、「神戸小学生連続殺傷事件」報道から6年経った今もマスコミは何も変わっていないと心底呆れる。
この事件の参考になりそうな過去のページを、このページの最後に挙げるので、参考にしてほしい。このページでは、マスコミの論調がいかに犯罪的でデタラメかを示すために、実例を一つだけ挙げておく。
朝日新聞は10日付の社説で、長崎の事件を取り上げた。ここで朝日は「4カ月前まで小学生だった少年が、なぜこのような残虐な事件を起こしたのか」と書いている。少年を犯人と断定する主張だ。
ところが、この新聞が発行された時点では、少年には付添人の弁護士がついていなかった。長崎県弁護士会が3人の付添人を選定したのが10日。彼らが接見したのはその翌日だった。その時点で、少年は初めて法的な弁護をうけて主張する機会が与えられたのである。だがそれまでの間に、朝日も含めたマスコミは長崎県警の非公式捜査情報を垂れ流している(いつもと同じく、主に「供述」のリーク)。
朝日社説は、少年が付添人によって防御を受ける以前に、捜査機関側の情報だけから少年を犯人と断定し、社会的な罰を与えた。これこそまさしく推定無罪原則に反するれっきとした犯罪であり、適正手続きの保障と弁護を受ける権利をも社会的に無効化しようとするものだ。それは、少年の犯罪の証明や、被害者やその遺族の受けた打撃のいかんにかかわらず、何ら正当化されない。また、捜査権力の利益に従って主張する姿勢は、ジャーナリズムの原則からみてデタラメそのものだ。
朝日新聞に鴻池大臣を批判する資格があるか
付添人が少年に接見した11日、政府の鴻池祥肇(よしただ)防災担当相 は閣議後の記者会見で、 「厳しい罰則をつくるべきだ。親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」 などと発言した。鴻池大臣は自分のページでも「被害者の方に人権がなく、犯人側、加害者の人権が大事にされすぎているのではないか」(これは、朝日も懇意にしている柳田邦男氏の論法とそっくりだ)、「殺人事件を起こした犯人である子供の親がどうして出て来ないのか」「悪人の人権は後に廻せ、善良な人々の人権を最優先せよ。マスコミは悲しみの被害者の親や家族の映像のみ映す。犯罪者の親の顔もクローズアップすべきだ」などと主張している。
朝日は鴻池発言のあった翌日の社説で「政治家としての資質を疑わせる、余りに悲しい発言である」「たがの外れた政治家の発言が繰り返される背景には、理性的な言葉よりも感情的な言葉を、共感する仲間よりも攻撃する相手を求める時代風潮があるのかも知れない」と批判した。だが鴻池発言を煽っているのが、朝日をはじめとするマスコミの報道や論調ではないのか。
鴻池発言は、「悲しい」とか、理性を欠くというだけでは済まされない。憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定している。「親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」という発言は憲法36条(拷問と残虐な刑罰の禁止)に明らかに反している。それに、子の犯罪で親を罰するような制度は、今日、自由主義とはいえない国家でさえ採用していないだろう。しかもそのような報復主義的思想を以前から自分のページでほのめかしてさえいる。鴻池氏は直ちに責任を取って閣僚と国会議員を辞職すべきである。
ところが、朝日社説には鴻池発言の憲法違反や非常識な司法感覚への言及が一切ない。朝日にとって問題なのはあくまでも言語とか心理(「理性的な言葉よりも感情的な言葉を、共感する仲間よりも攻撃する相手を求める時代風潮があるのかも知れない」という主張)であって、法による支配が行政の責任者にないがしろにされていることではないのだ。
公務員の憲法遵守義務を指摘できず、自らも違法行為を犯す朝日が、鴻池大臣を批判する資格があるのか。
「2ちゃんねる」だけを標的にする法務省人権擁護局の二重基準
ところで各報道によれば、法務省人権擁護局は10日、インターネット掲示板「2ちゃんねる」に、補導された男子中学生に関して複数の名前が書き込まれたとして、掲示板管理者に削除依頼を出したという。
「2ちゃんねる」の一部で行われているプライバシー侵害はひどいと思う。だが、長崎事件に関連する人権侵害・違法行為のうち、「2ちゃんねる」だけを標的にする法務省人権擁護局の二重基準が許されるだろうか。
人権侵害というなら、付添人の接見以前に「残虐な事件を起こした」と断定した朝日新聞や、「親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」と発言した鴻池大臣も人権を侵害している。もし仮に「2ちゃんねる」に対する削除依頼が正当だというのなら、朝日新聞や鴻池大臣にも「削除依頼」を出すのが整合性のある行為というものだろう(もっとも、公権力のメディアに対するそのような行為には私は賛成しないが)。
私は以前から、ネット掲示板によるプライバシー侵害はつねにマスコミ報道に依存してきたと考えている。掲示板による扇動行為には、いつもマスコミによる扇動行為が先行している。マスコミの知り得ない新事実がネットの掲示板に掲載され、それをマスコミが大々的に取りあげるということは、これまでほとんどない。朝日は「匿名を利用した〔ネットへの〕悪質な書き込みや人権侵害は年々増え続けている」(12日、「アサヒ・コム」)と書くのだが、朝日の10日付の社説もまた「匿名」であり、「悪質な」論説であり、「人権侵害」といえる。
参考資料
以下は、「長崎男児誘拐殺人事件」の参考になると思われる私の過去のページの一覧である。
日本型犯罪報道・9つの大罪
最近の犯罪報道にみる マスメディアのゆがんだ司法観と論理
これらは、日本のマスコミが犯罪報道で採用している原則・手法を取り上げて批判したものだ。少年事件に限らず、あらゆる犯罪報道についていえることだ。
人権と報道・連絡会シンポジウム−少年法「改正」とマスコミの責任
00年に「改正」された少年法について議論した「人権と報道・連絡会」年次シンポジウムの報告。「改正」の特徴のひとつに検察官送致(逆送)できる年齢を14歳に引き下げるなどの「厳罰化」があったが、それによる抑止効果が疑わしいことは、長崎事件が例示することになるかもしれない。
「新潮45」少年の実名・顔写真掲載記事訴訟・控訴審判決は憲法違反だ
被疑少年の実名・顔写真掲載を認めた大阪高裁判決に対する批判。この判決は、元少年側が自己都合により上告しなかったため、確定した。なお、別の事件で、実名とよく似た仮名報道が少年法違反にあたるとして文藝春秋が訴えられた裁判は、一審(名古屋地裁)、二審(名古屋高裁)とも元少年側が勝訴したが、最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻し、現在も係争中。
少年犯罪実名報道論者・柳田邦男氏の嘘
上記大阪高裁判決を熱烈に支持する柳田邦男氏(ノンフィクション作家)の主張を紹介し、それを批判している。とくに、「加害者側が人権に守られている」という嘘をついているという点で、長崎事件で「打ち首」発言をした鴻池大臣とシンクロしている点にも注目。
神戸事件にみる被害者遺族への報道被害
神戸小学生連続殺傷事件で犠牲となった女児の母親、山下京子さんの著書『彩花へ − 「生きる力」をありがとう』(河出書房新社)の書評。
マスコミが被疑少年への憎悪・処罰感情を煽る陰で、被害者遺族を苦しめているのが他ならぬマスコミだったという一例。
またこの著書は、「加害者」を「被害者」と対置させる柳田氏や鴻池大臣、一部のマスコミ関係者の主張の不毛性も浮き彫りにしている。
バスハイジャック事件 少年「顔写真」流出と新聞社の責任
00年に起きた西鉄バスハイジャック事件で、朝日新聞は少年の顔の写った写真を外国のメディアに提供していた。それがネットに流れ、私のところにもメールとして届いた。朝日の提供した写真が外国メディアやそれらのインターネット版に掲載されたかどうかは未確認。
マスコミの自浄能力喪失小史1995-2002
東京地下鉄サリン事件が起こった1995年以降、マスコミによる反人権的体質の維持と、報道被害批判の回避ならびにその破綻を歴史的に追ったもの。また「加害者」を「被害者」と対置させる柳田氏をここでも批判しており、朝日で「犯罪被害者」キャンペーンを担当していた河原理子氏の主張と比較している。
「メディア規制法案」・その後の展開(2)−犯罪被害者さえ救済されればいいのか
河原氏の著書「犯罪被害者」(平凡社新書)に対する批判を含んでいる。彼女による「コペルニクス的転回」の誤用は情けない。
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