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すでに私も学問の世界から昇天して数十年、昔読んだことのなる「世界」がまだ健在なんですね。今や私の情報源はインターネットの薄っぺらい報道コメントから拾う程度になっていますが(例外−−やましたさんのHPと神戸事件ホームページは圧巻)、それなりに現在のワセダの「学問の貧困」、学者、ジャーナリズムや政党の「哲学の貧困」、しかも衆愚政治がはびこる現状について、第二次大戦終了後発刊された「世界」が対戦にいたる社会を痛烈に批判していることと同様の世相になっているようです。ここではその「駄文」(著者不明)を見つけたので掲載します。
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http://members.jcom.home.ne.jp/avan1/sekai1.html#001
駄文−この時代の「理性」と「真理」
創刊当初の「世界」は昭和前期の哲学者を中心にして構成されることが多く、この時期の哲学者の多くはカントの「真・善・美」の哲学を基にした思想が重きを成している。ところで、先に断っておかなければならないが、哲学を大して学んでもいない私が、生まれてもいないこの時期の論文を批判する立場に無いことは重々承知していることを御理解頂けるとありがたい。
さて、カントの哲学は「理性批判」であり、人間の理性がその理性自身に対して批判を加えるというものであった。その批判の上で「人間の理性が知ることのできる真理」を追い求めたわけであるが、敗戦を迎えた日本での「理性」とはどのようなものであったろうか。
安倍論文に詳しくあるが、戦時中は、満州事変以後の軍部独裁と人間的な生活を無視した社会的な統制(それは上からの統制だけでなく、底辺の国民自身が互いを監視した社会構造も含むものである)など、次第に人間の理性と呼ぶものが廃れていった時代であった。こうした中で、思想統制を進める政府に対して学者と言論機関は、その多くが抵抗ではなく迎合をもって応じた。迎合しなくとも弾圧を恐れ、声を潜める学者が多かったことは既に知られていることであろう。そして、日本国民の大半がそれを許したのである(周恩来は日本国民も軍部の被害者だとしているが…)。その背景には「何が人間として正しい行いであるのか」という人間の真実を追い求める哲学が学者を初めとした人々に無かったことがあるという。
そうした経過から、敗戦後は軍国主義と神道礼賛の過ちを回顧すると共に、敗戦後の日本が「どうあるべきか」「どうするべきか」という答えを追い求める姿勢が創刊初期の「世界」に強く見られる。こうした姿勢が当時の「理性」であったのではないだろうか。
興味深いのはこれから「どうなるか」という視点ではないことである。現在の報道を注視すれば分かることであるが、政治関係記事では「政局」を、経済記事では「景気の先行き」と「不安な未来」を主に取り上げている。どちらの記事においても不確定な未来を読もうとし、「人間として何が正しい行動なのか」という視点は無いのである。確かにドラマチックな政局を追うことや景気判断は記事としては面白いし、必要性を否定はしないが、今どういった政治経済思想が庶民のためになるのかという考えが無いため、実に薄っぺらな記事になるし、政治家の政争の愚を許す温床になっているのであると考える。こうしたことからは敗戦の教訓は忘れ去られているとも考えられよう。
閑話休題。当時の「世界」の記事からは「真理」という言葉が多く見られるのであるが、この拙文がそうしたことの背景を理解する一助になれば幸いである。
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◇剛毅と真実と智慧とを 安倍能成 (要旨)
(中略)
◇「世界」の創刊に際して 岩波茂雄 (全文)
(前略)
年来日華親善を志していた私は、大義名分なき満州事変にも支那事変にも、もとより絶対反対であった。また三国同盟の締結に際しても、太平洋戦争の勃発に際しても、心中憂憤を禁じ得なかった。そのために自由主義者と呼ばれ、非戦論者とされ、時には国賊とまで誹謗され、自己の職域をも奪われんとした。それにも拘らず大勢に抗し得ざりしは、結局私に勇気が無かったためである。私と同感の士はおそらく全国に何百万か存していたに相違ない。もしその中の数十人が完全決起し、あたかも若き学徒が特攻隊員となって敵機敵艦に体当りを敢行したごとく、死を決して主戦論者に反抗したならば、あるいは名分なき戦争も未然に喰い止め得たかも知れず、たとえそれが不可能であっても、少なくとも祖国をここに到らしめず時局を収拾し得たかとも思われる。私に義を見て之に赴く気概の無かったことは、顧みて衷心慙愧に堪えない。
(以下略)
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