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(回答先: Re: Yomiuri Weekly7/27 で長崎少年は団地に設置された「防犯カメラにナーバスになっていた」との報・ほう,ならなんであのアーケードは 投稿者 ばじる 日時 2003 年 7 月 15 日 14:00:41)
冤罪の人間がいると言うことは、その裏に真犯人がのうのうといると言うことで、その何とも言えない気持ち悪さを解消して欲しいだけだ。「真犯人」は捕まえて欲しいのだ。
>この掲示板では冤罪説が主流のようですが、
>冤罪とすることも、あるいは12才犯行とすることも、
>かたくなに思いこんでしまえば、
>おなじひとつのコインの裏表だと、
>わたしは考えるようにいたします。
>(だって、まるで、わからないんです・・)。
小生の感じを言わせてもらえば、99%以上冤罪の感じ、ですね。
他の人も「かたくなに思いこんで」いる人はいないんじゃないですかね。
要は、疑惑を生じさせるようないい加減な捜査は許さないと言うことです。
もし万が一無実の人が犯人にされたら、本人にとってそんな残酷なことは
ないし、そんなことが起こる社会で生活するなんて気持ち悪いでしょう。
第一真犯人が他にいて、のうのうとしていたらそんな許し難いこともない
とは思いませんか。
上の%の喩えで言えば、99%冤罪の感じで、残りの0.何%真犯人かと
言う事は、裏返せば他に真犯人がいる確率が非常に高いと言うこです。そ
れは何とも言えず気持ちが悪い感じがするし、許しがたい。
別に犯人を捕まえるな何て言ってんじゃなくて、その逆で「真」犯人を捕
まえて欲しいのだ。
分かんないかな、、。