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(回答先: Re: 新規投稿が「二重投稿です」でできません 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 7 月 15 日 07:21:05)
999さんの質問への答えをここで再度掲載します。新規投稿ができないため。
Re: レスありがとうございます。冤罪を冤罪として感覚できない感性こそ問題ですね
http://www.asyura.com/0306/nihon5/msg/749.html
投稿者 999 日時 2003 年 7 月 14 日 17:57:25:cPpIXMtCMEAGg
(回答先: Re: レスありがとうございます。冤罪を冤罪として感覚できない感性こそ問題ですね 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 7 月 14 日 09:25:02)
「もし神戸の事件が免罪なら警察も何もかも信用できないと言うことになる。
何かの陰謀なのだろうか?社会不安を煽る、少年法を変える。その他、
裏に何があるのだろうか、もう想像すら出来ない」
このサイトでは長崎の事件は多くの人たちが意見をだし、事件を論評しています。
私も7月1日の発生以降あまり感心がわいていませんでした。しか阿修羅の事件5で別の投稿をしたときに(「スーフリ問題」)素朴な疑問が投げかけられていたことが記憶に残りました。そのときは本当に「まさか神戸事件に類似したものとはにわかに信じがたい」という感想でした。一応注意深く見てはいましたが、冤罪というにはその根拠が弱いなと思っていたのです。
私の鈍感な感性では恥ずかしいことですが7月10日の少年逮捕まで冤罪の観念は乏しかったのです。その点では阿修羅の投稿をされていた人たちが遙かに優れた感性で事件を見ていたのです。もしこの人たちが声をあげていなかったら、私も「単なる少年による性犯罪」で片づけていたかも知れません。
もっとも補導のしかたや報道記事があまりにも決めつけた内容が多いから「いつもの報道パターン」に怒りは感じていましたけど。
私はほとんど新聞やテレビ報道を見ませんので、自分のニュースソースは阿修羅に凝縮された内容とインターネットの検索(ウェッブニュースや人名検索・事件の検索など)が頼りです。
片手落ちですが、何度も読み返してはできるだけ間違いのないよう注意はしても、思いこみと妄想はなかなか排除できない投稿になっていることを恥じています。
しかし事件に疑惑が生じた場合、誤認逮捕じゃないかと疑われるケースは、まず目撃者がいないこと、警察が逮捕した場合の根拠(特に警察の記者会見で根拠がしどろもどろである)、証拠が事件解決後(捜査本部解散で事件は解決したという印象をあたえる)次々に言い換えられる場合には(長崎の場合は「防犯カメラ」から「目撃者」へ、そして「はさみ」というふうに強調する部分を「新たにわかった」などと巧みにトーンを替えている)、これは犯罪がその被疑者の実行によるものだと決めつけるための情報操作でしかないと思います。さらに被疑者が犯人であることを揺るぎない事実であるための工作として、事前・事後に情報をリークする(犯人は中学生らしい、中学生の素行、性癖、家族の風評をあしざまにいう、過去の事件の犯人もこの被疑者に結びつける作業をして被疑者犯人説を補強してゆきます。
こういうプロセスは、一般市民がなるほどと納得できるよう工作するわけですから、「後から」出る情報は、警察がいかに熱心に「嘘」を捻出しているかを物語るものです。もちろん私たちはこの事実を証明はできませんが、そういう疑いをもって、「なぜ警察(イコール国家権力)はこのような犯行を行うのか根拠を推察するべきです。政治的背景も考慮しますが、単なる誤認逮捕なのか、それとも何者かが意図的に犯人を作り上げたる意志があったのか(帝銀事件、下山事件、三鷹事件、松川事件、狭山事件、そして最近の神戸少年事件)、国家権力の意志が見られる場合にはこれは権力犯罪であると同時に謀略(トリック。ある者や団体を陥れる)であると断定できるわけです。
長崎の事件の場合、単純に結論を出すことはまだ時期尚早ですが、もし冤罪であり、権力犯罪である疑いがあるとすればそれはなにを目的として発生したのかまで考えねばなりません。
私が自分で生きてきた結果感じていることを率直に申し上げますと、私たちが特に気をつけなければならないのは、日本では謀略を語る(論じる)ことはタブーになっていることです。誰もが事件が発生するたびに謀略だと直感しますから、語れば自分が危ないと直感しだれもが口をつぐむ。これが謀略の最大のねらいです。「謀略」を語ると戦前の「特高」なみの秘密部隊が居てある日突然自分をつかまえにくるんじゃないかという不安を覚えます。神戸事件でも地元の人たちは固く口をつぐんでいますが、それは我が身にふりかかる災難を予知する能力を皆もっているからで、もし晴れて謀略が明確に証明され関係者が処罰されたりでもすれば、洪水のごとく「あれは謀略だった」という真実を実暴露する日がくることでしょう。
そして日本の現状では、警察もマスコミも、あたかも現実にはそういうものはないという印象をあたえ続けている事実です。このことは進歩的な人々がマスコミも警察もグルだと叫び続けていることからわかりますが、なぜそうなのかはなかなか見解が違うところです。
しかし、左翼を名乗る「正義」を売り物にする党が謀略性を全く感じなくなってしまっている現実も人々の感性を眠りこませている大きな根拠です。彼らの主張は、実際には江戸時代末期の新撰組、黒百人組、天誅組、明治以来の特高、憲兵隊など様々な暗殺で暗躍した事実すら存在しないような平和な日本が描かれています。
戦時中は中国大陸では石井部隊が細菌兵器の開発やマルタの生体実験を極秘にやっていたこと、その存在が知られていたこと、戦後それがGHQ(キャノン機関)に受け継がれたこと、旧日本軍の謀略機関が健在であったこと(陸軍中野学校−−スパイ養成機関、陸軍登戸研究所出身者が暗躍)などまるでなかったかのような「明るい平和な日本」が、信じて疑われない状態にされています。
「陸軍登戸研究所」
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhj5337/9k-index.htm
陸軍登戸研究所
陸軍登戸研究所は、 1939年4月に陸軍科学研究所の秘密戦資材研究室を登戸出張所として神奈川県の稲田登戸地区に設置した。
1942年に陸軍兵器行政本部管轄の陸軍第九技術研究所となり、参謀本部第二部第八課に直結していた。参謀本部第二部第八課は、謀略・諜報を指揮していたので、陸軍中野学校、特務機関および憲兵とは深い関係を持っていた。
また、陸軍習志野学校および陸軍第六技術研究所と化学兵器研究に関係があり、陸軍軍医学校と関連し、関東軍第七三一部隊・第一六四四部隊と細菌兵器研究に関係があった。
当時は、秘匿名を陸軍登戸研究所とされ、看板も「陸軍登戸研究所」と掲げられていて、地元では陸軍の実験場と呼ばれていたようである。
その実体は、秘密のベールに包まれていたが、1948年の「帝銀事件」によって僅かではあるが明るみにされた。
「帝銀事件」の犯行に用いられた毒薬が、陸軍登戸研究所で開発された青酸ニトリールの可能性があるとして、取り調べられたのである。研究所所員が七三一部隊の支部である一六四四部隊において「帝銀事件」の犯行と同様の方法で青酸ニトリールの人体実験を行っており、実行犯が元七三一部隊員のS氏の可能性が濃厚であった。 GHQと深い関係を持つ歯科医師のN氏も犯人の可能性がもたれていた。
しかし、おそらくGHQの謀略によって、逮捕されたのは平沢貞通氏であった。平沢氏は、物的証拠は何もなく、拷問による自白(偽造自白書の可能性大)のみを証拠に死刑判決を受け、死刑確定後も再審請求を何度も繰り返して冤罪を訴えるも、獄死された。その後も遺族が再審請求を行い、無実を明らかにしようとしているが……。
「帝銀事件」の追求は、本論から外れるので関連書を参照されたい。
戦後50年余を経ても陸軍登戸研究所の全貌は明らかにされていない部分がある。が、かなり研究が進んでいて公表された書籍もあり、それらを研究・考察し、政府謀略機関にとって都合の悪い秘密(細菌・毒物研究および人体実験)の部分について迫って行こうと思う。
陸軍登戸研究所の概要
兵器行政本部の研究
秘密戦資材とは
主要参考文献
「陸戦兵器総覧」 日本兵器工業会/編、77-03-25・図書出版社/発行
「風船爆弾」 鈴木俊平/著、80-01-20・新潮社/発行
「風船爆弾始末記」 佐久田昌一/著、82-03・山手書房/発行
「陸軍贋幣作戦」 山本憲蔵/著、84-06-30・徳間書店/発行
「女たちの風船爆弾」 林えいだい/著、85-02-10・亜紀書房/発行
「写真記録・風船爆弾」 林えいだい/編、85-03 ・あらき書店/発行
「謀略戦〜ドキュメント陸軍登戸研究所」 斎藤充功/著、87-06-10・時事通信社/発行
「私の街から戦争が見えた」 川崎市中原平和教育学級/編、89-07-25・教育史料出版会/発行
「高校生が追う陸軍登戸研究所」 赤穂高校平和ゼミナール・法政二高平和研究会/著、91-03-10・教育史料出版会/発行
「『高校生が追う陸軍登戸研究所』出版記念講演会資料集」 赤穂高校平和ゼミナール/著、91-04-13・長野県赤穂高等学校/発行
「報告・登戸研究所と731部隊展」 登戸研究所と731部隊展かわさき実行委員会/編、93-12-01・登戸研究所と731部隊展かわさき実行委員会/発行
「消された秘密戦研究所」 木下健蔵/著、94-01-20・信濃毎日新聞社/発行
「中学生たちの風船爆弾」 中條克俊/著、95-08-15・さきたま出版会/発行
「旧陸軍登戸研究所」 旧陸軍登戸研究所の解体に反対し保存を求める会/編、96-11 ・旧陸軍登戸研究所の解体に反対し保存を求める会/発行
「陸軍登戸研究所の真実」 伴繁雄/著、01-01-25・芙蓉書房出版/発行
「陸軍登戸研究所」 海野福寿・山田朗・渡辺賢二/編、03-03-19・青木書店/発行
その他 「陸軍中野学校」、「第731部隊」、「帝銀事件」 関係は多数あり
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陸軍登戸研究所の概要
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http://village.infoweb.ne.jp/~fwhj5337/Noborito/gaiyo.htm
陸軍登戸研究所の概要
1927(昭和2)年4月
陸軍科学研究所第二部に「秘密戦資材研究室」、東京市淀橋区戸山ケ原に設立
1937(昭和12)年11月
陸軍科学研究所「登戸実験場」、神奈川県橘樹郡生田村(昭和13年10月、川崎市生田に編入)に設立
1939(昭和14)年8月
陸軍科学研究所「登戸出張所」設立
1941年(昭和16)年6月
陸軍技術本部「第九研究所」設立
1942年(昭和17)年10月
陸軍兵器行政本部「第九技術研究所」設立
1945(昭和18)年3月頃より
本部は、長野県上伊那郡宮田村に疎開
第二科、第一科の一部と第四科の一部は、長野県上伊那郡中沢村に疎開
第一科の一部は、長野県北安曇郡松川村に疎開
第一科の一部と第四科の大部分は、兵庫県氷上郡小川村に疎開
第三科は、福井県武生地方に疎開
1945(昭和20)年8月
陸軍兵器行政本部「第九技術研究所」解散
1948(昭和23)年1月
帝国銀行椎名町支店で毒殺事件発生
注:正式名は、以上の変遷をたどっているが、登戸地区に移転してからは「登戸研究所」の秘匿名が使用されていた。
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http://village.infoweb.ne.jp/~fwhj5337/Noborito/shizai.htm
秘密戦資材
秘密戦とはスパイ戦であり、007シリーズのQ課が 日本陸軍の「登戸研究所」に当たる。
一、諜報器材
無線傍受用全波受信機
有線電信電話の盗聴用増幅器および可搬式録音機
窃話用増幅器および可搬式録音機
不法発信探索用携帯方向探知器
科学的秘密通信法(普通型秘密インキ、紫外線型秘密インキ、赤外線型秘密インキ、X線型秘密インキ、写真化学利用法、超縮写法、など)
小型偽装写真機・活動写真撮影機(ライター型、マッチ型、ステッキ型、チョッキボタン型、ハンドブック型、かばん型、など)
遠距離撮影用望遠写真機、夜間撮影用暗中撮影機、水中撮影用写真機、秘密撮影用潜望写真機
一般万能複写機、自動式迅速複写機、電気複写機、携帯用連続複写機
封書・小包の開封還元用器材、開梱・還元用器材
特殊秘密通信用具(オブラート製特殊通信紙、硝化紙製証拠煙滅用秘密通信紙、など)
開鍵および窃取用器材
二、防諜器材
現場検証器材(指紋採取用具、見取図製作用具、現場写真用具、痕跡採取用具、など)
写真器材(現場写真用具、複写用具、暗室用具、引伸し器材、映写器材、感光材料、処理薬剤、など)
郵信検閲器材(開封および還元器材、梱包検閲用器材、秘密書信発見器材、など)
捜査および隠密聴見器材(偽装潜望鏡、潜視鏡、窃話用増幅器、可搬式録音機、など)
理化学鑑識器材(爆破資材および放火資材の鑑識機材、一般犯罪の鑑識器材、など)
法医鑑識器材(毒物検知用具、血液・体液鑑識薬品、毒物鑑識用具・薬剤、など)
無線探査器材(不法発信波の捜査用全波受信機、地上波・空間波・散乱波の直視鑑別用方向探知機、傍受機、近距離散乱波用方向探知器、近接方向探知器、など)
三、謀略器材
破壊謀略資材
爆破・殺傷資材(缶詰型、煉瓦型、石炭型、チューブ型、トランク型、梱包箱型、帯型、磁石式、など)
即時点火具、時限点火具(時計式時限信管、化学時限信管)
機械的妨害用具(列車・自動車などの機械的妨害法)
明暗信管および温度信管
放火謀略資材
放火資材(成形煉瓦型焼痍材、石鹸型焼痍材、焼痍筒、散布焼痍筒、発射焼痍筒、焼痍板、など)
点火具(化学時限方式、時計型時限方式)
自然発火性放火資材
電気利用放火法
原因不明の放火法
一般可燃物利用の応用資材による放火法
殺傷謀略資材
偽騙拳銃(万年筆型拳銃、ステッキ型拳銃、など)
毒物謀略資材
即効性毒物
遅効性毒物(経口用、刺殺用、吸入用、催眠用、など)
細菌謀略資材
経済謀略資材
四、宣伝器材
宣伝用自動車(印刷機、印刷材料、遠距離放声装置、無線電話機、録音装置、発声映写装置、などを車載)
せ弾投射機
宣伝用噴射進弾
宣伝用花火
宣伝用アドバルーン
五、その他の器材
変装資材(顔面変装用資材、変装用被服、携行用鬘、変装用化粧用具、など)
隠密聴見資材(ステッキ型潜望鏡、鍵穴覗き用具、鑑別鏡、尾行者探知用バックミラー、など)
逮捕および自衛用具(犯人抵抗阻止用電撃器、簡易自動手錠、テロ防止および犯人検挙用防弾チョッキ、など)
尋問および防盗用具(うそ発見器、特殊警報装置、防盗装置、高電圧式安全金庫、など)
警察犬資材(合成薬剤利用による番犬追跡防避法、発情剤、麻酔剤利用による警察犬突破法、など)
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最近明らかになったのは山本舜勝(きよかつ)なる陸軍中野学校教官出身者が創成した自衛隊陸幕二部別班内の「青桐グループ」。山本は「自衛隊影の部隊」という暴露本を出したあと何者かに暗殺さたそうである。
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革マル派「解放」1675号
http://www.jrcl.org/liber/l1675.htm
老将は真実を語らず
ただ闇≠ノ隠れゆくのみ
本年六月、「自衛隊調査学校副校長」の経歴を持つ元陸将補・山本舜勝が、『自衛隊「影の部隊」―三島由紀夫を殺した真実の告白』という本を出した。その中で、山本は、一九六八年から七〇年にかけて、作家の三島由紀夫が創設した「楯の会」に集まった右翼分子どもにたいして、「軍事訓練」なるものをおこなったことを自白している。七〇年十一月に市谷の自衛隊東部方面総監部に三島を先頭に乱入し三島と森田某が割腹自殺をとげたことで有名となったあの「楯の会」である。現職の自衛隊幹部でありながら、配下の調査学校隊員を動員し「治安出動」のための基本戦略と情報収集の方法などを、三島を含む「楯の会」会員に実地教育した、というのだ。
その「訓練」なるものは、「尾行・張り込み・盗聴・隠し撮り」や「暗号を駆使した通信連絡技法」などの特殊技能の体得。特定の地域――成田闘争を想定し千葉、茨城が選ばれたという――に潜り込むための「地域住民の性格・慣習・行動様式の研究」や「ガス・水道・通信・交通・食料の流通機構などの掌握」だったという。そして、「実地訓練」と称して、山谷のドヤ街に潜入したりした、という。
また、「訓練」だけでなく実戦≠煬o験した、などということも山本某は本の中で告白している。なんと彼らは、一九六八年の「10・21国際反戦デー」の際、「楯の会」会員や現役自衛隊員数十人をデモ隊列に潜りこませ、情報収集をおこなわせた、というのだ。さらに、三島由紀夫の弟である外務省官僚の協力を得て、総理官邸に入り込み、政府首脳の動向の把握を試みるということまでやった。しかもこれらはすべて、当時の自衛隊上層部の承諾を得ていた、とのこと。
つまり、自衛隊内の特定の部分が、七〇年闘争の高揚に危機感をもった政府関係者や自衛隊上層部の黙認≠フもとに、「楯の会」への「軍事訓練」という体裁をとりながら、自衛隊調査学校の隊員たちを主要な担い手とした極秘部隊を創り出し、「治安出動」を想定した情報収集および実戦の訓練を実施していたというわけ。
ところで、この「楯の会」の中心メンバーは、「論争ジャーナル」という雑誌の周辺に寄り集まった右翼分子。この雑誌を背後でプロモートしていたのは、かの田中清玄だったというのは有名な話。今回の暴露*{を書いた山本某も、スパイ養成機関として有名な陸軍中野学校の教官という経歴を買われて陸幕二部のもとにおかれた自衛隊調査学校・「対心理情報課程」の創設に携わり、かの陸幕二部別班や別室とかかわったという、その筋ではけっこうの大物=B実際、この男は、この課程の卒業生で組織した極秘の諜報部隊――七三年の金大中拉致事件でその存在が明らかとなった――通称「青桐グループ」の指揮をとった人物とされている。となれば、この極秘部隊と田中清玄らの地下帝国≠ニの結びつきもあぶり出されてくる。
一九五四年創設の自衛隊調査学校は、今年三月末をもって「廃校」となった。山本の自白≠焉Aこの「廃校」が契機とされている。しかし真の理由は隠されている。
いやそもそも、この本は、そこに書かれなかったことの方にこそ真の秘密があることを暗示している。三島の死後、「もはや長期戦で臨むしかない、と考えていた」山本は、「楯の会」残党を含む極秘部隊をどのような任務につけたのか? 「尾行・盗聴・盗撮・秘密通信」の訓練を重ねたこの闇の部隊は、いかなる実戦≠ノ従事したのか? それらは書かれていない。しかし、七〇年代いこうの謀略の全歴史をふりかえれば、答えはおのずと明らかではないか。
ともかく、山本らがつくりあげた諜報員養成機関は「廃校」とともに終わりを告げた。けれどもそれは、新たな機関が、すでに自衛隊の内部に、それとは判らない形で、創りあげられたということなのだ。闇≠ヘ、消えることなく生き続けている。このことを一時も忘れてはならない。
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三島由紀夫と楯の会に、自衛隊が情報員訓練 元幹部証言 (阿修羅空耳の丘)
http://www.asyura.com/sora/bd13/msg/359.html
(ご参照ください。記事は朝日新聞らしい)
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インターネットを検索するだけでも膨大な「冤罪」「謀略」の事実が拾えます。
前も書きましたが、謀略を阻止するには謀略を暴露することが最大の手段ではないでしょうか。国民は、この平和な國日本でそんなものない、という認識を植え付けられている中、大変な作業です。
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